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「出身大学は秘密です」| 17歳(2015年)

 私には四歳年上の兄がいる。

兄が小学四年生になったとき、両親の「私立の中高がどんなものだか見てみたい」という考えで兄は半強制的に中学受験をすることになり、無事に合格した。

 両親は私にも、兄のときと同じように「私立の中高を受験しなさい」と言うものだと思っていた。
しかし実際には「お兄ちゃんの受験で私立の中高がどんなものか分かったから、あなたは私立でも公立でもどっちでもいいよ」と言われた。

自分も兄と同じように、小学四年生になったら青地に塾の頭文字「N」が光るリュックで塾に通うものだと思い込んでいたから拍子抜けした。とても第二子らしいエピソードだ。

人生最初の岐路に立った小学三年生の私は、私立に行くか公立に行くか小さい頭で考えた。
私が出した答えは、「中学受験する」だった。

その理由は、高校受験も大学受験もしたくないから。

当時の私は高校受験も大学受験もどんなものか知らなかったけれど、私が通っていた田舎の小学校では学年八十人のうち中学受験するのは五人程度だったということもあり、学年ほぼ全員が受験する高校受験よりも競争率は低くなるだろうと考えた。
しかも、大学付属の中高を選べば大学受験もしなくて済む。

これは中学受験しない理由がないだろうと思い私は自らの意思で中学受験をすることを決め、「N」のリュックを背負って塾へ通う日々が始まった。

志望校を大学付属の中高一貫校に絞り、結果第二志望だった学校に合格した。


 入学したは良いものの、校風なのか人種なのかびっくりするくらい肌に合わなかった。

学生生活の良いスタートダッシュを切ろうと思い入った運動部は、ゲーム中の戦略的な動き方に全く思考が追いつかず中学一年の終わりでやめてしまった。

中高一貫だと高校受験がないことで中学時代に部活に全力で打ち込めるというメリットがあるが、当時の私は部活にも入らず校外に打ち込むものがあるわけでもなかった。
高校受験をしたくないという希望は叶ったものの、放課後は家に直帰してテレビを見ながらなんとなく毎日が終わる日々だった。


 そんな全く華のない学生生活を送っていた高校二年生のある日、授業中にクラスメイトが突然「先生って、どこの大学出身なんですか?」と質問した。

先生は「出身大学は秘密です」と答えた。

質問したクラスメイトが「えーいいじゃん教えてよー!」と言っている中、そういえば他の先生は出身大学を教えてくれただろうかと気になり思い返してみた。

すると、自分から出身大学を教えてくれた先生はある一人を除いて全員、中高の付属大学出身者だった。
校内では自然と附属大学出身の先生の声が大きくなり、他大学出身の先生はどこかで肩身の狭さを感じているように見えた。

附属大学に対して好意的・同調的な人間ばかりで悪意的・反発的な態度を示せる人間が少ない。異質さや相対的な視点が圧倒的に足りない。中高でずっと感じていたなんとも言えない気持ち悪さの正体が分かった気がした。

大袈裟ではあるが「この環境、悪い宗教や悪い国と同じじゃないか」と思った。

 私は、この環境を出ようと思った。

大学受験をしないために大学付属の中高に入学したはずが、その中高が大学付属だったために大学受験することになった。

高校二年が終わる頃に大学受験塾に入った。やや遅めの受験勉強スタートだった。

結果、第一志望の超難関大学には届かなかったものの、一般的に難関大学と分類される私立大学の文系学部に合格した。


 中高に引き続き大学でも馴染めなかったらいよいよこの先の人生どうしようかと思っていたが、大学は私にとってとても居心地が良く、友人にも恵まれた。


 大学で特に仲が良かったRちゃんは地方の県内トップ高校出身で、同級生に東大・医学部・国立への合格者がごろごろいる中で今の大学に通っている自分は落ちこぼれなのだと言っていた。

 第一印象が派手で、絶対に仲良くなることはないと思っていたが名字と地元が同じで思いがけず意気投合したOくんは、県内で偏差値順の下から数えた方が早い高校出身だった。

その高校の卒業生の進路割合は、わずかに大学進学・専門学校と就職が一定数・そして少なくない数が進路不明(フリーターなど)となっているらしい。

中堅大学に現役合格したら「英雄」扱いされるその高校で、Oくんは現役で中堅大学に補欠合格したものの結果的に補欠枠は出なかった。その悔しさから一浪して中堅大学に入学、さらに中堅大学入学後に塾でバイトをしながら仮面浪人をして私と出会った大学に入学したという。


 大学一年の早々に「私立文系はクソ」と言うRちゃんと「この大学に入れて本当に良かった」と言うOくんの対照的な二人に出会えて、私は大学受験して良かったと思った。


 高校を卒業して数年後、通っていた中高の附属大学が長年の体質を問われるような出来事が起きた。

大学附属の中高だからというよりかは、あの大学の附属中高だったからこその気持ち悪さだったのかもしれないなと、数年越しに答え合わせをすることとなった。

というかそもそも、中高当時の私の心が捻くれすぎていたゆえの感じ方でもあった可能性も多分にある。

(大学附属の中高が悪と言いたいのではない、ということを補足しておきます。今でも毎年二月になると「がんばれ中学受験生」という気持ちです。)



 何はともあれ、あの先生が「出身大学は秘密です」という回答をしていなかったら、私はきっとRちゃんともOくんとも出会うことはなかった。



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