私の抱えている無能スキル

noteにあった無能論が興味深かったので自分も書いてみることにした。まずどういうわけか手掛ける対象の中でどうしてもこれは外せないという要素がことごとく欠けているせいでモノにならないという事が発生する。

前職は小売業だったのだが、コミュニケーションという物が根本的に欠けていて、基本的に相手の気分を害する接客ばかりしていた。代表的な対応としてお客様の発言をいちいち否定したりする。なんでそんなことをと普通の人は思うかもしれないが、頭が反射的に否定的な発言を選択してしまうのだ。これはたぶん私だけだろう。

他には漫画家を目指していたが絵が描けないとか、楽器演奏をしようとして耳コピは出来るけどコードが弾けないとか、小説を書こうとしてもプロットが作れないとか、占い師(命占)を目指して数学が小学生レベルで出来ないとか、タロット占い師をやろうとしてカードの象意がぜんっぜん拾えないとか、介護士をやろうとしてボディメカニクスで躓くとか、その対象においてキーになる事が全くできないという事例が発生する。

多少できないならまだいいのだが、それこそ無能レベルでできないのだから話にならない。5つの項目があったとして一番重要な奴に関しては無能というしかない。これを外したらどうにもならないのそのコアな部分を遂行する能力に欠けている。

こっから話が脱線するのだが、自分の命式をプロの占い師に見てもらったらことごとく「恋愛も結婚も仕事も駄目だから趣味に生きてください」と人類にとっては「いったいどうするの?」としか言えないような結果が出てしまっていた。つまり、遊んで暮らすしか能がないと暗に言われているようなものだし、職業適性検査で『芸術家』が出てくるのの占いバージョンではないかって気がする。たぶん、同じ結果が出てくる人は一定数いて、四柱推命ならそれらしい名称がついているはず。残念ながら私は四柱推命がわからないので何とも言えないが『財多身弱』とかそういうの。

結局、私をデーターとして活用するなら無能というのはいろんな行動の核になる部分が欠落してる人って事になって、言い換えると「永遠のアマチュア」でしかないんだろうなって思う。こうやって私は無能なまま人生を終えることになるし何も実績を残さずに人生を終えることになるんだろうなって思う。現実にできないものは努力してもできないんだから仕方がない。努力はしてみたことは何度もあるけど目に見えない壁があってそこから先に勧めない感じだ。