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どこにも書けなかった、彼への思い出

友達の少ない私が、仕事も忙しく、いろんなことに追われて中々話す相手も見つけられずに書いた文章です。
垂れ流しですので、先に、ごめんなさい。

 
 
 
 

友人の友人みたいな友人の、訃報を知ったのは一週間前だった。
私とそう変わらない彼は多分30代前半だろう。
若すぎる死に大学卒業以来静かだった私の周囲は、ジュッと水をはねた鍋底のようにざわめき立った。

彼の記憶はただ一つ、共通の友人の恋愛相談に一緒に乗ったことだった。当時、付き合う相手と携帯がコロコロと変わる私のだらし無く上辺だけの恋愛観に反して、彼の現実的な誠実さが清潔感を帯びて提供されている恋愛観がとても印象的だった。
それでいて、その時カラオケで歌ったのはCOMPLEX の BE MY BABYだ。
ギャップ萌えってこういう事かなと、私のくだらない頭は考えた。

彼のそんな唯一の記憶もまた、周囲につられてジュッと音を立てて蘇った。心がザワザワした。思い出が蓋を開けて、サヨナラをしてください、と言った。
早すぎる。私の彼に対する好感度がなんだか裏切られたような気持ちになり悲しみに変わった。
人の死に対して同情しきれていない自分の勝手な感情の扱いに戸惑いながら何日かが経っていた。
その間私の友人たちは彼の故郷の葬儀に出席し、写真を幾つか撮って共有してくれ、偲ぶ会を企画してくれていた。
彼らの写真の中に私の知っている景色があった。知ってる。ここ。
思い出の中でふらふらしていた私が友人の写真を見て、彼の死を現実に受け入れたのは故郷の町並みの写真からだった。

私が行った時、そこは雪で覆われていて着いた時には既に夜で真っ暗。丸井で買ったブーツが積雪に飲み込まれて先を行く知人が差し出した手が無ければ前になど進めない深さの雪で、こんな所に高速バスの駅があるのが不思議なくらい歩きにくい場所だった。
着いた知人の家ではそのブーツが新聞紙の上で乾かされ、クタクタになってストーブにあたりながら家族の人に「これじゃあ雪は歩けねぇ」と失笑されて次の日にブーツを買いに行くことになったのだ。
町のショッピングセンターに向かうまで、見かけた恋人たちは少し離れて歩いていた。手を繋ぐと滑って危ないからと教えてもらった。聞いてもわからない言葉のテレビ。異常な暖かさの部屋。なのに入ってから温まるトイレの便座。

当時おじゃました家の記憶が生々しく蘇った。
そして、近所にある会館という名の銭湯。
そこの写真が友人の撮ってきた写真の中にあったのだ。昔の記憶と今の現実が繋がった。
私の行った雪国は、白くて白くて何も見えないほどの白さで完結していたのに写真には緑鮮やかで長閑な町並みが映し出されていた。
青い空の下にゆったりと幅をとった道路が自由に曲がって家々の間を通っている。
そこには、私の知る黙り込んだ町が目を覚まして微笑んでいた。記憶の場所と記憶の人が結びつく。
彼の寡黙な中の優しさと、じっと耐える人への態度。でもその中に可愛らしさと情熱的なものがあって、それが彼の好かれているところだった。それを育てたのがこの場所だ。私はやっと、彼の死を少し近くに感じていた。彼への好感度や尊敬や思い出でがなくなった訳ではない。
そこに、彼は眠ったのだ。想いは私の中にある。
これが本当のことになるのは誰もが時間をかけてする事なんだろう。今はまだ少し思い出と現実をふらふらとしているかも知れない。でも、知られて良かったと思う。

友人らの集まりには子供がいて行けないけれど、私の知る雪国と彼の知る故郷の景色を思いながら、今家で静かに思いを馳せている。

固形水彩絵の具を買います( 'ω')/ ハイ! ダイソーから買い換えます!