政敵の死去こそ問われるセンス
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石原慎太郎元都知事が死去
2月1日の大きなニュースと言えば、東京都知事、運輸大臣を務めた石原慎太郎氏がお亡くなりになったことです。享年89歳でした。
表現規制反対の立場からすると、石原慎太郎は受け入れられない人物ではありました。漫画やアニメに対する執拗までの敵視は受け入れられるものではありませんでした。自身は作家として陰茎で障子を破る小説を執筆したにも関わらず、後進には表現の自由を許さないスタンスは、さすがに矛盾したものと感じました。
あと、石原都知事肝いりで始まった新銀行東京の失敗や、都立大学の名称変更など、強引に進めてしまおうとする姿勢も問題はありました。個人的には尖閣諸島を東京都が購入するのは、引っかかる部分ではありました。都内在住で選挙権を持たない立場だと、幅を利かせすぎる姿勢は、尚更不快感があったのは正直なところです。
言葉に強さがある人物
良くも悪くもワンマン的な手法が目立ち、歯に着せぬ発言も多かったのは確かですが、今振り返ってみると、やはり「言葉に強みがある」という印象は感じられるものです。
改めて見て面白いと思うところですが、やはり「はっきりとした言葉を話す」というところにあるでしょう。
正直言えば、不確実性が高い物事でも、何でもかんでも断定的に言う姿勢は、私としては好きではないです。表現規制関連の話になると、常に言い切る姿勢は不快にさえ感じるものでした。
しかし、靖国参拝について逆に質問されたところで、回答に困った毎日新聞の記者のシドロモドロとした姿勢を見ると、石原慎太郎は自分の考えをしっかり持って、きっちりと自分のスタンスをはっきりと示せるのは対称的と言えるでしょう。マスコミや活動家が逆風を吹かせることがあっても、毅然とした態度で立ち向かっていた姿勢は、石原慎太郎を論ずる上では外せない部分でしょう。
風評やポリティカル・コレクトネスを気にすることもなく、思いのママに発言する姿勢は、ドナルド・トランプに近いものはあるでしょう。良くも悪くも「リーダーらしいリーダー」という性格だと言えます。
自分にはそういった部分は持っておらず、むしろ性格的には毎日新聞の記者のような人間に近いので、こういう言葉の強い姿勢は目を張るものがあったと感じるものです。
死んだタイミングで発言する難しさ
個人的には、石原慎太郎氏に関しては、あまりいい印象を持っているわけではありません。正直言えば苦手な部類の政治家です。
ただ、このお亡くなりになったタイミングで、かつての鬱憤を晴らすように言葉を重ねるのは、最も格好のつかないことだと感じるものです。やはりこういうタイミングこそ、公に対して発信していくには、センスを問われるものですね。
なぜなら、死ぬ前にいくらでも言うチャンスがあります。それに生前にどれほど言葉に強みがあり、威圧感があった石原慎太郎氏でも、死んでしまっては言い返すことができません。
「哀悼の意を表せ」とも「ご冥福をお祈せよ」とは思わないものですし、私もその気持ちになれないのですが、このタイミングでこれみよがしにバッシングに走る行為は、やはり「話題になったから騒いでいるだけ」にしか見えないものです。
チラシの裏に書いておくか、自分の内心にとっておくのがいいと思いますが、インターネットの環境下になると、状況を構わず思ったことを反射的に言ってしまう人は見られるものです。
その点では、石原慎太郎とは対立関係であった、共産党の志位和夫委員長のスタンスは、言葉の選び方や身のわきまえ方は非常にスマートなものだと感じさせられます。人は人、政治は政治と分けて考えることができるのでしょう。
お亡くなりになったタイミングで発言をする社民党の大椿ゆうこ副党首と、お亡くなりになったタイミングだからこそ発言を控える共産党の志位和夫委員長。共闘関係にある両党の党幹部でも、センスに違いがはっきりと感じるものです。
このタイミングで石原慎太郎について書いていくのは、結構頭を使うなあと思いながらnoteを書きました。これが適切なものかどうかまではわかりません。
しかし、やはり人がお亡くなりになるときこそ、センスを問われるものです。
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