『猫さんの決断』No.6
夏真っ盛りのとある日、チョビヒゲ猫は裏庭の井戸を掃除していた小野さんを横目に、龍が居なくなった井戸を覗いてみた。中は水が溢れていて、何度か水を汲み変えるとすぐにキレイになった。
「龍が暴れたおかげで今年は豊かだね」
小野さんは機嫌良く井戸の蓋を閉めた。チョビヒゲ猫は中をもっと見たかったが、熱中症を懸念した小野さんは、早めに庭の作業を終えた。
猫さんはすっかりバテていて、クーラーの効いた居間と少し暑いパントリーを行ったり来たりしている。割と暑さに強いチョビヒゲ猫は、しばらく停滞していた自分に飽きたのか、なんだか急に散歩へ行きたくなった。チョビヒゲ猫が玄関をガリガリすると、小野さんが心配そうに扉を開けてくれた。
「照り返しもキツイから気をつけるんだよ」
チョビヒゲ猫は喉をゴロゴロ鳴らしてお礼を言うと、小野さんはチョビヒゲ猫の頭を撫でた。小野さんの言う通り道路からの照り返しが強く、チョビヒゲ猫は日陰を選びながら歩いた。
10メートルも歩くとすっかりイヤになり、やっぱり引き返そうと振り向くと、道がユラユラと歪んでいる。迂闊に出かけたことを後悔してトボトボ会館まで戻ると、小野さんが玄関から出て来た。
「おっ。ね。暑いだろ」
夏休みに入り、小野さんは本業がイベントで目白押しらしく、帰ってきたチョビヒゲ猫を踏まないよう足を上げながら、暑さを避けて足早に駐車場の車へ乗り込んだ。
久しぶりにやる気が出たのに、暑さで外出を断念せざるをえないチョビヒゲ猫は、つまらなそうに会館へ入ろうとすると、ふっと体が宙に浮いた。
頭の後ろでカチリと音がして、チョビヒゲ猫はリードに繋がれ、小野さんの車内にある手持ちケージに詰め込まれた。
「こんな日は車に限る」
手持ちケージは窮屈で、暑さがこもる車の中も好きではなかったが、適度にクーラーの効いた車内は快適だった。小野さんはしっかり車内を冷やしてから出発すると、チョビヒゲ猫はケージの中で身構えながら、走り出す車の動きを感じた。
「どこへ行くつもりだったの?」
…龍の落とした玉を探しに…とは言えないチョビヒゲ猫がウニャウニャと濁すと、小野さんはハハハと笑い、気晴らしにちょっとだけドライブしようと、近所を一周するルートで車を走らせた。
ずっとくすぶっていたチョビヒゲ猫の冒険心は、近所一周位では到底満たされそうにもなかったが、次々と流れて、くるくる変わる景色を見るのは楽しかった。人々が行き交う商店街の光景を眺めながら、チョビヒゲ猫はなんだか自分が忘れ去られるような、なんとも言えない不思議な気持ちになった。
短いドライブが終わり、チョビヒゲ猫を会館まで送り届けた小野さんは、その足で本業へと向かった。良かれと思って連れ出してくれた小野さんには悪いが、唐突に訪れた虚無感に苛まれたチョビヒゲ猫は、ソワソワと落ち着かなくなった。
冷たい廊下に転がっていた猫さんが、珍しく動揺しているチョビヒゲ猫に気づくと、億劫そうにゆっくりと立ち上がり、チョビヒゲ猫に常温のミルクを提供した。水分を補給したチョビヒゲ猫は、生き返る想いがしてホッと安心すると、いつになく冷静な猫さんに感謝した。
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