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「生きてるだけで偉い」の欺瞞

この記事はただ愚痴るだけの毒です。


生きてるだけで偉いという言葉が心底嫌いだ。
〇〇でえらい!と話すキャラクターがいる。
そのキャラクターが流行り始めた途端、類似する言葉をSNSや広告、商品キャッチコピーでよく見かけるようになった。
それらを見かけるたび、欺瞞だと感じてしまう。
生きてるだけで偉い、起きれて偉い、仕事して偉い、これらは耳障りがいいようだが、間違った(歪んだ)自己肯定感の植え付けにすぎないように思う。
偉い・偉くないに限らず、根本的にジャッジをするところから離れられないからこういった言葉が生まれるのではないのか。
HSPやINFなんちゃらを名乗る方々が「しんどい人の気持ちがわからないからそんなこと言えるんです!」とか言ってきそうだが、あくまで個人の意見であり、そういった言葉を用いる人間やコンテンツ自体を攻撃する意図はない。

ああいった言葉を投げかけられて嬉しい人はいるのだろうか。
正直、友人などに悩みを相談したり、話を聞いてもらっている時に言われたら私は腹が立ってしまうと思う。
あまりにも各所で使い回されるせいで言葉としてのありがたみが薄れてどれもこれもコピペにしか聞こえない。
これを言っておけばいいんでしょという傲慢さや打算も伺える。これは完全に私の被害妄想。
他人の相談や愚痴、相手自身に心底興味がなければいくらでも使っていいと思う。
それくらいあの言葉には血が通っておらず、冷たいように聞こえる。

しかし、ここまでゴチャゴチャと書いているうちにあれはある種の当たり障りない言葉なのかもしれないという気持ちも出てきた。
決して否定はせず、肯定はしつつも踏み入った雰囲気もないライトなマジックワードなのかもしれない。不干渉と寛容を貫く今に適した言葉のようにも思えてきた。

あの言葉の真意や、あの言葉を気に入っている人の気持ちは分からない。
ここまでゴチャゴチャと愚痴とトンチキ考察を繰り広げてきたが、やはり私はあの類いの言葉が嫌いだ。
友人たちが使い始めたら多分泣くと思うし、その言葉を向けられたら勝手にもう関係は終わりなんだなと被害妄想をすると思う。
私を殺せ。


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