「私たちは毎朝コーヒーを飲んで乾杯をしているの」

コーヒーに入れた角砂糖がゆるやかに溶けるような正確な愛がそこにあって、私たちは今日も同じ部屋のドアをバラバラに出かけていった。今年は暖冬だったから、いつもよりも春の訪れが早かった。こんな日に思い出すのは、いつかの春の出来事。

「私たちは毎朝コーヒーを飲んで乾杯をしているの」

と言っていたのは、昔、たまたま同じ旅館に居合わせた4、50代の女性だった。前日の夜にちょっとしたパーティがあり、彼女はそこでスポットライトを浴びていたのだったと思う。(ちょっとしたパーティ、というものは、実際に存在するのだ。)その旅館は山のてっぺんにあって、寒いところだったから、4月なのに雪解けはまだまだ先で、旅館のまわりには量高く雪が積みあげられていた。たまたま招待をされていた私は、美味しいごはんを食べながら、きらきらと色々な人が壇上で話しているのをみていた。話し疲れて、食べ疲れて、相部屋になった私たちは、翌朝のご飯に連れ立った。

こんなパーティがなければ、一生出会わないような、年代もバラバラの人たちが食卓を同じにする。木の温もりを感じるあたたかなレストラン・ルームには、そこの土地で有名な絵師の作品がいくつか飾られていた。当時、学生だった私は、色々な人たちの話を興味深く聞いて、私の知らない人生に、思いを馳せた。

「私たちは毎朝コーヒーを飲んで乾杯をしているの」

という言葉は、そこで聞いた。お酒が得意ではなかったから、飲み会の、華やかな雰囲気の中に入ることはできなかった。それでも、お酒が回って饒舌になる人たち、顔が赤らむ人や、表情を全く変えない人、そうした人たちを遠くから見ているのは好きだった。私がかかることは決してない魔法が、そこにはあったのだと思う。お酒を飲みたいと思ったことがなかったので、羨ましさがあったのかはわからないが、魔法がかかって楽しげな人たちはきらきらと眩しく見えた。

そんな生活を送っていたから、毎朝コーヒーで乾杯をするという習慣を聞いたときには、心底驚いたのだった。毎朝、コーヒーで魔法をかけられるということ。その人は、コーヒーでも、真夏の麦茶も、味のしない炭酸水でも、夫婦で食卓を囲むときには必ず乾杯をするのだと言っていた。それを聞いた一つのテーブルに集まった私たちは、やってみようよ、と言って、朝食ビュッフェのポットのコーヒーをそれぞれ注いで、その日は朝から乾杯をしたのだった。素敵な朝の出来事だった。

大切な人と一緒に食卓を囲むときは、毎回乾杯をするんだ。そんな気持ちがずっと私の中にあって、結婚した今では夫婦でコーヒーを飲んで乾杯をするのが習慣になっている。仕事の時間もバラバラな私たち夫婦は、一緒に食事をとることが難しい日も多いけれども、お茶を飲む時間が取れる日は必ず、コーヒーを飲みながら乾杯をした。魔法がかかっているから、その日は一日無敵なのだ。

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