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伝わるならなんだっていいって思った

みんなはどんな気持ちで絵を描いてるのか、
何を目的に文章を書くのか、
どうしてその手段を選んだのか、
気になって眠れない今日この頃。

思ってることを伝えるために描いたり書いたりするのか、
その行為が自分にとっては慣習的なものなのか、
目的があって手段としているのか、
手段こそが目的なのか、
これだけでもちろん生まれるものは違うし、どれが正しいなんてことはないし、伝える方法も多種多様なんだろうなと思いつつ。

いままで自分は、人から受ける優しさだったり、街中で見つけた感動だったり、偶然のひらめきだったり、ひっそり感じる疑問だったり、煮え繰り返るほどの腹立たしさだったり、そういう感情や毒素を外に放り出すことでわりと気持ちを整理していた印象だったのだけども。
最近は、だんだん自分の感じる疑問に虫眼鏡を当てることが多くなって、自分の疑問に対して答えを持ってる人、似たような疑問を持ってる人、まだ疑問に出会っていないけど初めてその疑問を認識した人を探すようになった気がする。

前とのスタンスの違いとしては、
「自分はこういう疑問を抱いていて、こういう風に見ていて、こういう答えを出しました。」
というより、
「自分はこういう疑問を抱いていて、こう思っています。差し支えなければ教えていただきたいんですが、ちなみにあなたはどうですか。」
っていう意味合いに移行している気がする。

これは、
伝えたいひとに訴えたいというより、
自分の中にある疑問をひとに尋ねたいっていうことなんだろうか。

ただ、これは以前よりも伝えたいっていう思いが弱くなったわけじゃなくて、自分の伝えたいことがあってもその声の音量を大きくすればいいわけじゃないわけで、疑問に対して興味を持ってくれるひとに届くんだったら、届く程度のボリュームで尋ねればいいだけなのかなあと思ったりしました。
もちろん、できれば遠くのほうまで聞こえてくれるに越したことはないんだけども。
伝えたいひとに伝わるんだったらわりと手段も音量もなんだっていいなあと思う夜でした。
エモめかよ。

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