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両腕だけのクライミング〜僕らが壁を登る理由

1月に開催された【キャンパラバトル】。“車いすクライマー”によるコンペです。大会名は、“キャンパシング”という両腕で体を持ち上げるクライミングの技術に由来します。

足が使えない彼らは、キャンパシングによる両腕だけで壁を駆け登ります。車いすの人間がクライミングに挑むというのは、一見ミスマッチのようですが、れっきとしたスポーツであり、エンターテイメントであり、障害者クライミング=【パラクライミング】という競技として成立しています。

そんなキャンパラバトルに挑む5人のクライマーたちが、クライミングの楽しさ、そしてパラクライミングの未来について語り合いました。


▼大内秀之さん「楽しいからやっている」

大内:大阪に住んでいる大内です。クライミング歴は5年。2016年11月くらいから本気でやり始めて、世界選手権に出させてもらったりして、クライミングが楽しくて楽しくて。世界を知れたということは本当に良かった。その世界をみんなで共有したいと思ってこのキャンパラバトルを主催させてもらいました。

大内秀之選手 (15)
大内秀之さん(42)兵庫県出身 競技歴5年

僕は生まれたときに小児がんが背中にあって生まれてきて、それを取ることによって胸椎の11番から下が動かない。おへそから下が動かなくなっている人間です。幼少期からリハビリをしていて、足のつっぱりはちょっとできる。それくらいかな、残っているのは。トレーニングもそうだけれど、楽しいからやっているというのが一番。いろいろな課題を登れるようになるのは楽しい。

▼畠山直久さん「俺なら登れる」

畠山:ほとんど俺と一緒。俺は11番、10番。

畠山直久選手 (15)
畠山直久さん(49)岩手県出身 競技歴3年

畠山:最年長の畠山です。東京在住。車いすを楽しんでいます。フリークライミングは以前から知ってはいた。カラフルなホールドが付いているのを見て面白そうだなとは思っていたが、大内さんの動画を見て、腕だけで登っている奴がいるというのを見て、俺ならもっと登れるなって思った。それで実際にやってみて全然登れないなぁというのを体験して、もっとやりたいということで始めたのが2018年5月。 来年で50歳になるおじさんです。けがをしたのは39歳のとき。仕事中に鉄板の下敷きになって背骨を潰しまして、そこから歩かなくなりました。現在は時計修理の仕事をしています。

壁を登っていないときは、車いすで自走、会社帰りに11km くらいを1~2時間で。調子がいいと20km。車いすを漕ぐ動作っていうのは、腕を下に振る動作なのでクライミングと逆じゃないかと言われるけど一緒。体の各筋肉はどれも使うし、その頻度が違うだけ。 少しずつ登れる機会も増やしていっています。

坂道ダッシュ
坂道を車いすで登るトレーニングする畠山さん

▼平井亮太さん「いま出来ることをひたすら」

平井:11km なんて走ったことない!?11 km 自走したことがある人なんている!?

大内:車いすマラソンで20km走ったことがある。けどそんなの人生に1~2回くらい。だけど畠山さんは週に1~2回でしょう!?

平井亮太選手 (10)
平井亮太さん(34)神奈川県出身 競技歴1年

平井:神奈川に住んでいる平井です。クライミング歴はちょうど1年くらい。第1回のキャンパラバトルに畠山さんに誘ってもらって、それがきっかけになりました。そこからパラクライミングのジャパンシリーズも3回出場させてもらって、 ようやく1年。これからやってやるぞという感じです。

自分は筋トレメインのトレーニング。昔の筋トレと変わってクライミングを意識して筋トレするようになった。筋トレをして、壁を登って、この筋トレは正解だったなという答え合わせができる。本当はもっと登りたいんだけれども、なかなか登りに行けるジムがない。

自分は難病、27歳の頃に、よくつまずくなあ、体が動かないなあというのを感じて、それが徐々に徐々に悪くなってきて、スーパーを1周、コンビニを1周するのが限界ということになって。とうとう車いすじゃないと外で行動できなくなったなというのが30歳くらい。車いす歴は4年で、病気発症歴は7年。自分は損傷ではなく、ある物質を代謝できない遺伝子らしくて、代謝できない物質が脊髄の髄膜を破壊してしまって、信号伝達がうまくいかなくて歩けなくなっている。まだ足が完全に動かないというわけではない。ちょっとは足首を動かせる。杖を使えばちょっと歩行ができる。でも、クライミングで足を狙ったホールドに置くというコントロールはできない。進行性で、どんどんマヒが上に来る可能性もある。でもあんまり気にしていないですね。気にしないで、今できることを、ただひたすら鍛えるしかない。

パラクラキャップ
平井さんが自作したパラクライミングと刺繍したキャップ

平井:ちなみに ここにパラクライミングって描いて常に宣伝しています。

片岡雅志選手 (13)
片岡 雅志さん(28)兵庫県出身 競技2年

▼片岡雅志さん「やべー腕だけで登ってるぞ」

片岡:兵庫県に住んでいる片岡です。28歳。クライミングは約2年。生まれたときに二分脊椎。大人の拳くらいの大きさの髄膜瘤が背中にあって、 それを取ることで、生きることと引き換えに、腰から下がマヒ。動かすこともできないし、感覚もない。車いす生活をしているが家の中では使っていなくて、背骨をとったことによって腕が長く見えるが、四つん這いが簡単にできる。ズリバイで生活できる。

腕立て
倒立状態で腕立てをする片岡さん

片岡:クライミングを始めたきっかけは大内さんとの再会。

大内:俺は片岡が小学生のときから知っている。障害のある子向けにいろいろなスポーツを提供しましょうという障害者スポーツ施設のプログラムに、講師として入っていた。片岡はその参加者のひとり。そこで何回かバーベキューとかもやったよね。めっちゃ生意気な小学生がいっぱいいて(笑)

片岡はいま、社会福祉法人で働いていて、その研修で俺を選んでくれて、それが2年前。久しぶりやなあ、講師やるよって言って。そのときにクライミングやっているから、お前も行ってみたらと。

片岡:僕も当時、会社と家の往復でつまらないなあと思っている矢先だったので。バスケやったり、野球やったり、水泳やったり、スポーツはもともとやっていた。ただ、クライミングはなかなかやろうって気になれなかった。大内さんに誘われて、やべー腕だけで登ってるぞ、俺にできるのかなと思ってやってみたのがきっかけ。

大内:まさかライバルになるとは思わんかった!

丸山晴生選手 (6)
丸山晴生さん(26)福岡県出身 競技歴2年

▼丸山晴生さん(26)福岡県出身 競技歴2年

まる:丸山です。まるって呼んでください。九州から仕事で東京に来て3年目です。大学4年生のとき、あとは卒業するだけ、就職するだけというときに、バイクでバイト先に行くときにスリップしてしまって。雨か雪だった。そこで脊椎が真っ二つになってしまって、神経も一緒にぱっくり割れてしまった。小指はぴくぴくとも動かせない。 いま胸の高さから下は、コントロールできないし、動かせないし、感覚もない。

僕はボルダリングを健常者のときから遊び程度でやっていたが、けがをしてからは 自分には関係ないと思って、チョークバックやシューズは捨ててしまった。 NPO法人モンキーマジックのイベントに参加して、障害があっても出来るんだと知って、趣味程度にたまにホールドに触れる機会を持っています。けがをしてからは、楽しく登れたらなというスタンスでやっています。

車いすのクライマーといっても、症状によって、少し足に力が入る人は、壁を蹴ったり、体を捻ったりして反動で登ったりできるが、私はできません。背筋が使えると筋肉の力でぐっと上に持って行けたりするが、それもできない。見た目では一緒だが、細かいところで違う。私以外みんな筋肉ムキムキ。腕の力に自信がありませんという人が、今回の大会をいきなり見てしまうと、筋肉ムキムキの人が力自慢で登っているように見えてしまう。それじゃあ「私には関係ない」と思ってしまう人がいるかもしれない。障害のある人は、クライミングができるという発想自体ないと思う。自分がそうだったので。自分でできないと決めつけていたが、できるんだ、選択肢としてありなんだということに気づいた。

クライミングはまだこれから、ルールが進化していく余地があると思っていて。人の残存機能に合わせたルールがどんどん進化して、多くの人が楽しめるスポーツになったらいいなと思っています。バスケでは障害が重たい人ほど数値が小さくて、コートにいる選手の点数が何点以上になってはいけませんよというのがルールになっている。そんなバランスの取れるルールがあれば面白いのでは。私のような筋力がない人もやっていますし、いろいろなルールが整っていけば、楽しみの幅が増える。筋肉ムキムキの人ばかりだと遠慮せずに、まずは興味があったらやってみる。ロープで補助してもらえれば楽しめるやり方がある。もちろん高いところを目指すのも面白いと思うが、レクレーションとして、日頃の趣味の一環として楽しむ。そんな幅のあるスポーツになっていけばおもしろいと思っています。

(了)

写真提供:写真の力で、もっといい社会へ。『ソー写ルグッド

あおり
クライミングの最中に、会場を片手で煽る

パラクライマーたちの語らいは、こちらの記事で一覧できます↓

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