ゴッホ展に行きました。

本日は母親と一緒にゴッホ展へ。母も私も芸術の知識ゼロで、ゴッホの名前は知っていてもどんな絵を書いたかをまるで知らない。(一応、ひまわりと自画像を書いていたことぐらいは知っている)

展示会は、ゴッホが絵を独学で学び出した頃から、死ぬまでに描いた作品を年代順に並べて、その合間合間に彼に影響を与えた又は親しかった画家の作品が展示されていた。最初の頃の作品は農夫を題材にしたものが殆どで、感じた印象としては暗く、動きのない退屈なものが多かった。絵の隣には彼の弟テオへ向けた手紙の抜粋が書き出されており、これが面白い。

「テオ、色調と色彩がどれほど重要なことか!それに対する感覚を掴めない者は、生命を表すことなんて到底できないだろう。」

「最良の絵、正確に言うと芸術的な点から最も完璧に描かれた絵というものは、近づいて見ると絵具の点が並んでいるだけだが、少し離れてみるとその効果が現れてくる。」

このようなゴッホの芸術論を読んで、「うんうん、その通りだな」と偉そうに関心しながら、パリ時代の作品へと徐々に進んでいった。

次の部屋はゴッホがパリに出たての時期の作品。親子共々も感銘を受けたのは「花瓶の花」で、特に母親がこれを気に入り帰りにポストカードを購入したほどである。(うちの母は無用な出費はしたがらない)同じ部屋に飾られていたゴッホが称賛したアドルフ・モンティセリの「庭園の宴」を「牡蠣の殻の表面のようだ」(油絵独特のゴツゴツさと白、緑、茶色という配色のせいでそうにしか見えなかった)とかなり失礼なことを言いながら最後の部屋へ向かう。

最後の目玉はなんといっても展示会のポスターでも使用されている「糸杉」全体的にグニャグニャした線で描かれており、そのせいか茂っている糸杉の葉っぱが緑色の炎が燃えているように見え、何故だか知らないがなんとも知らない感動を受けた。同じ部屋にはゴッホと共同生活をしていたゴーギャンや印象派のモネの絵も展示されていたが、死ぬ間際の彼の絵はそのどれとも違っており、太い線で輪郭をとり、点々としたタッチと豊かな色彩で描かれている彼の作品を見ていると、最初の頃の暗くて動きのない作品の名残と、その頃彼が語っていた芸術論の両方が詰め込まれているような気がして、これが芸術に人生を捧げた男の行き着いた作品なのかと頭が下がる思いをしながら会場を後にした。

お土産に図録とポストカードを購入し、展示会限定スヌーピと写真を撮って三宮へ戻り、友人に頼まれていた本と「八本脚の蝶」を購入して、自宅に帰った。




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