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大好きだった母からの遺言

2022 年12 月27 日、愛する母が永眠しました。

74 歳。ガンでした。

僕は53 歳のオジさんですが、ココロの声で叫びます。

僕は母が大好きでした。


「言葉」を愛した母

東京育ちの母は垢抜けていて、言葉遣いが綺麗で、底抜けに優しくて、いつだって明るくて、笑いのセンスも抜群で、賢いけど天然で。おおげさでなく、出会う人みんなに愛されていました。

ヒトの悪口は絶対に言わず、なにがあっても怒らない。それどころか、どんな窮地に立たされてもその状況下での「良いこと」を探し、感謝することを常に実践した人でした。

また、僕が特に尊敬していたのは、母の筆まめさです。

詳細な子育て日記を書いて残しておいてくれていたり、手紙をよく送ってくれたり、考えをノートに書いて見せてくれたり。地元新聞の投稿エッセイコーナーも常連でした。

母は文章で心を伝えることをすごく大事にしていました。字もすごくキレイで、僕はその美しさにいつも見とれていました。

母は僕にとって、そして家族全員にとって、本当に女神のような存在でした。

これは、僕が5 歳のときに父が撮ってくれた写真です。

母が亡くなって以来、見るたびに涙が浮かんできます。

僕、弟、妹、そして母。貧乏だったけど、幸せ一杯でした

母が語ってくれたこと

母は2022 年のはじめにガンの末期だと診断され、その年の冬に寝たきりになりました。

大好きな文章が書けなくなってからも、母は残される家族全員に対し、伝えておかねばならないことを、か細い声で、でも笑顔で、全力で伝えてくれました。

毎日、一言一言を噛み締めながら、一人一人に寄り添いながら、それぞれの手を握ってくれました。

たまに僕が一人で見舞うときは必ず、諭すように、そして時には叱るように母は喋りました。

倦怠感や痛みに耐え、死力を尽くして語ってくれました。僕はそれを、涙ながらに聞き、記憶し、書き留めました。

ある日、痛み止めの点滴をしながら母は、天井を眺めてこう言いました。

「おにいちゃんはさ、声が聴こえるんでしょ? 神様とか、亡くなった人の。」

僕は言葉を失いました。

たしかに昔、そういうブログを弟と一緒に書いてはいましたが、僕は母とその話をすることを避けてきました。

自分が発信源となっていることがなんだか恥ずかしかったのと、悪くなる一方だった僕の体調のことで心配をかけたくなかったからです。

母はきっと弟から、ブログの内容を詳しく聞いたに違いありません。

僕:「う、うん。まあ、そうだね。聴こえるかなあ。」

母:「そういう接続って、すぐできるの?」

僕:「接続? ・・・うん、できるけど、でも、もう終わったの。あれはやめたの。」

母:「あら、なんでやめたの?」

僕:「うーん、色々あってさあ。」

驚きのヒトコト

僕が言葉を濁すと母はゆっくり、顔を僕に向けました。そして真剣な眼差しで、こう言いました。

母:「おにいちゃん。それ、やりなさい。」

僕:「へ?」

母:「おにいちゃんはすぐにそうやって、自分の才能を隠そうとするんだから。せっかくあなたに降りてもらってるんだから、ありがたーく?」

僕:「いただくの? で、でも。。。」

母のどこにそんなチカラが残っていたのか、声がだんだん大きくなっていきます。

母:「おにいちゃん、黒子(くろこ)はもう十分やったじゃない。もう堂々と顔を出して。恥ずかしいことは何もないよ。覚悟して、受け入れて、楽しんで。おにいちゃんができることを、おにいちゃんのペースでやれば良いのよ。」

僕はなんだかドキドキしてきてしまい、うまく返事ができません。

母:「もしあたしが死んだらさ、おにいちゃんはあたしの言葉、受け取れるんでしょ?」

僕:「う、うん。でも、もうやらないって決めてたからな。。。」

母:「なに言ってるの、せっかくの力がもったいない!」

母の剣幕に圧倒され、僕はもうタジタジです。

母:「あたしはね、みんなにもっと伝えたいことがあるの。伝えたくても伝えられなかったことがまだまだたくさんあるのよ。あたしはもう書くことができないんだから、おにいちゃんの力であたしの声を聞いて、それをちゃんと伝えて欲しいの。」

僕:「う、うん。それなら、できるかも。」

母:「ありがとう。でも、あたしだけじゃだめよ、神様のお言葉もね。そして、おにいちゃんの言葉も伝えてあげて。」

僕:「え、僕の言葉も?」

母:「もちろんよ! 世の中には苦しみ、悩んでいる人がたくさんいるのよ。その中には、おにいちゃんの言葉を待っている人が必ずいるの。あなたの力で、人々を救いなさい。」

僕:「でも、僕にできるかな。。」

母:「できるわよ。あたしがおにいちゃんの1 番のファンだから、私は死んでも、あなたをずっと応援し続ける。それはずっと忘れないでね。」

僕は涙がどっと溢れました。

びしょびしょになった顔をティッシュで覆い、うわずった声で言いました。

僕:「わかった。もう隠さない。やるよ。お母さんのために。」

すると母ははちきれんばかりの笑顔で、

「わかってくれてありがとう! あー嬉しい!」

と言うと、また天井を見て、すっと目をつぶりました。

人生の〇〇になりなさい

一気に喋った母は、さぞかし疲れたことでしょう。

か細いながらも大きめの息をひとつ吐き、一転して小さな声になりました。

母:「いい? おにいちゃん。おにいちゃんが人生の主役なんだからね。あなた自身が動き、あなた自身が輝くのよ。」

僕:「うん。わかったよ。これからは、僕が動く。でもそのかわり、お母さん、頼むから死なないで。」

母:(聞いてない)「龍からさ、おにいちゃんをいつも助けてくれてる神様がいらっしゃるって聞いたわよ。死んだらお会いできるかしら。ご挨拶して、母ですって、お礼をお伝えしなきゃね。あと、あたしの実の父にも会いたい。あっちで会えるかなあ〜?」

そう言いながら、母は眠ってしまいました。

僕は子どものように咽び泣きながら、ただただ、母の手を強く握りしめることしかできませんでした。

そして無情にも、それから2 ヶ月で母は逝ってしまいました。

亡くなった母から届いた声

母が亡くなった翌朝。

僕に母の声が届きました。

ちなみに、死者の言葉は脳内に響きます。遠くから聴こえる感じです。なので母は精一杯の大声で喋っているような声になっています。

母:「おにいちゃん。面白いね〜。こっちは車の運転ができるよ!」

僕:「え? お母さん、車の免許ないじゃん! 運転できるの?」

母:「一度乗りたかったの〜! これでもうどこへでも行けるよ。ちょっとお父さんに会いに行ってくるね!」

僕:「お父さんって? おじいちゃんのところ?」

母:「うん。長野の上田で生まれ変わってるみたいだから、その勇姿を見てこようと思ってさ!」

僕:「うわあ。いいなあ! 行ってらっしゃーーい♪」

運転気をつけて〜! 

と(脳内で)見送った後、なんとも言えない深い悲しみと大きな喜びが同時に押し寄せてきて、朝の寒い日差しの中で僕はまた泣きました。

それから僕は、母の言いつけどおり、ブログを再開する準備をはじめました。

僕の病状と今後

僕は一時、医者からも「アンタ、よく生きているね」と目を丸くされるくらいの末期的病状だったのですが、母が亡くなった後、ある治療を受けたおかげで奇跡的に回復していきました。

(この治療法に出会えたのも、実は母の導きのおかげです。このことに関しても、いつかお話しします)

もちろん、弟の龍にはまっさきに再開の件を相談しました。

彼は「いいじゃん!」とヒトコト。でも今回はアニキが執筆するといいよ。アニキが主役になるタイミングだと俺は思う。と。

まるで母が言った言葉と同じです。

「でも、ブログの開設作業とか、そのあたりの裏方仕事は俺も手伝うし。なんでも言って。」

それから数ヶ月間の準備を経て、おかげさまでこの場を作ることができました。

色々とお手伝いをしてくれた仲間たちに、心から感謝いたします。

これから、このマガジンは、母からもらった遺言を守って書いていきます。

おりられることしか取り柄のないオジさんですが、覚悟を持って進めます。

どうか宜しくお願いします。


おわりに

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

さっそく昨日からたくさんのフォローやスキ!、そしてご購読、サポートをいただき、感謝です!

神様ほっとラインも早速たくさんのお申込みがきております!!

僕アニ時代からのお客様もいらしてくれて、胸がいっぱいです。みなさん、元気でいてくれて、ありがとうございます。涙しながら拝読しました。

いま、ほっとラインの回答前にお伝えするべき記事を書き溜めた分があるので、あと 3 日ほどは毎日更新ができるかな〜と思います。その後、ご質問への回答ができれば、と思っています。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!

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