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ご相談 その21. 延命治療について

前回に続き、「apolo」さんからの神様ほっとライン

もう一つの質問、延命治療について。

高齢(当時96歳)の義母が、誤嚥性肺炎で入院した際に、経口で食事ができるようにリハビリを受けたり、トイレにもまだ自ら行ける(体が動かせる)状態だったにも関わらず、誤嚥性肺炎を恐れて、食事は取らせずに24時間体制で点滴を受けることになり、結果、寝たきりになってしまいました。

その後、一年ほど頑張ってくれましたが、最後は痩せ細ってしまい、意志の疎通も出来ず、身動きも出来ず、天井を見つめて、ただ生きているだけ、という状態になっていました。

そのような状態は、やはり、本人にはとても辛い状態なのでしょうか?苦しそうな表情ではなかったのですが、身動き出来ない状態が続くのは、望む状態ではないのだろうと思うのですが…。

家族としては、とにかく、少しでも長く生きていてほしい、という思いでいましたが、亡くなった後に改めて考えると、本人としてはあれで本当によかったのか?食べられなくなったら、延命せずに、自然に逝かせてあげるほうが良かったのかも?という思いがあります。

入院していたある日、義母が、私に向かって「もういいわ。家に帰る」と言ったことがありました。

その時、私は義母に「家に帰っても、今の状態だと、自分でご飯が食べられないから、まだ帰れないよ」と言って、連れて帰らなかったのですが、あの時、本人の意思を尊重して、家に連れて帰ったほうが良かったのかもしれないと、今になって思うことがあります。

しかし、延命しないという決断は、家族にとって、自ら家族の命を絶ってしまうように思えて、とても辛い気持ちになります。延命治療について、どのように考えると良いのでしょうか。

長くなってしまって申し訳ありません。

可能な範囲で、教えていただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

延命治療のご質問に、僕の心は揺れに揺れました。

昨年末に母を亡くしたばかりであったことと、人間の根源的な悩みのテーマであることも含め、この記事を書き出すまで、気持ちがずっとこわばっておりました。

母の死は、思ったよりもダメージが大きくて、思ったよりも苦しくて、思ったよりも僕たち家族の人生に影響が大きかったのです。

そのことも併せて、今回はお話を進めてまいります。

それではわたくし、謹んでおりられます。

八幡様、どうぞよろしくお願いいたします。


命の終末

僕:「母の命の終末については、母はもちろん、家族みんなが考え抜きまして、皆が納得して、しかし最後まで苦しみ抜いて、見送りました。

その足跡を少しだけ、こちらに掲載することで、母への供養にさせていただこうと考えますが、八幡様。よろしいでしょうか。」

八幡様:「いいのですか?」

僕:「はい。その選択が正しかったのかどうかをジャッジされると怖いですが、事実を述べます。

このnoteでの僕たちの表現において、自分の気持ちに嘘はつかないと決めたので、素直に、ストレートに書いていきます。」

八幡様:「わかりました。」

僕:「母の末期癌がわかってから、このまま命が潰えてしまうなんて、想像もできませんでした。奇跡的に癌がすっかり消えてしまい、奇跡的に普通の生活に戻るものだと信じていました。

しかしながら、卵巣がんが全身に転移して、すでに手の施しようがないところまできていると知らされてから、約1 年で旅立ってしまいました。」

八幡様:「本当は助かった命かもしれないと、後から仕入れたさまざまな治療情報にも苦しみましたね。」

僕:「はい。手の施しようがない、とお医者様に言われた言葉を鵜呑みにしていたのではないか。

諦めるしかない、という周りの言葉も信じすぎて、本当はもっとできることがあったのかもしれないと、胸が締め付けられる日々が続きました。」

八幡様:「お母様を助けたい気持ちと、もうダメかもしれないという気持ちが何度も交差していくのですね。」

僕:「そうです。しかし母は、すべての最先端治療を退けました。これなら助かるかもしれない! と思えることも、最初は僕たちの勧めに乗ったとしても、最初の1 回でやめてしまうのです。」

八幡様:「癌様と一緒に、死ぬまで生きるよ。と。」

僕:「はい。母らしく、癌にも様づけして、笑ってこう言っていましたね。あたしは死ぬまで、生きる。と。」

八幡様:「お母様の最期。辛いでしょうが、ここでお話しください。」

僕:「はい。母が僕たちに、最後の子育てをするよ。と言いながら、何を語り、何を残して逝ったかをお話しいたいます。」

八幡様:「お願いいたします。」

母語録

僕は、母から教えられたことがたくさんあります。もともとノロマでおバカな僕を、この世の中に適応できるように、根気強く育ててくれました。

そのおかげで、僕は今も生きていられます。その母が、僕の人生の中で、伝えてくれた言葉の数々をここにまず記しておきます。

「おにいちゃん。遅くてもいいんだよ。できなくてもいいからね。少しずつ、ゆっくりやればいいの。

難しいことは、一つ一つ、順番に、じっくりやりなさい。できたら、もう一度。できたらもう一度。くりかえしてやれば、どんどん上手くなっていくよ。

あわてず。ゆーーーっくり。だんだん楽しくなってくるよ。」

「難しかったね。さいごまで偉かったね。できなかったことなのに、あきらめなかったね。」

(父に叱られて夜、母におんぶされながら外を散歩)

「おにいちゃん。10歩歩くだけで、幸せが10個あるって知ってる?(僕は黙って首を振る)

1歩、ほら。お隣さんの今日のご飯はカレーだね。いい香り。幸せ〜。

2歩、ほら。向こうで猫の目が光ってる。こっち見てるね。可愛いね。幸せ〜。

3歩、ほら。マーガレットが咲いてるよ。その中に一本だけ黄色い花が咲いててびっくり!幸せ〜。

4歩、さっきはお父さんにいっぱい叱られたのに、すぐにごめんなさいが言えたでしょう? おにいちゃんはかっこいいな〜。幸せ。

5歩、外に出た時は星が一つだけしか見えなかったのに、今はほら、こんなにたくさんの星が輝いてる! 幸せ!

6歩、昨日保育園をイヤイヤして行かなかった理由がお昼寝の時間におねしょしちゃったからって、自分で言えたでしょ?すごいな〜って思ったよ。恥ずかしかったのに、偉かったね! 幸せ〜。

7歩、ああ。あったかいなあ〜。おにいちゃんって、おんぶされてる時も、あたしの背中を痛くないようにしてくれてるね。優しいね。ありがとう。幸せ。

8歩、おにいちゃんがいるとあたしは一人じゃないって思うよ。寂しくないんだよ。いつも幸せ。

9歩、ほら。下駄の音が可愛いね。カランコロンって。耳が聞こえるって幸せね。

10歩、おにいちゃんが今日もたくさんご飯を食べてくれたね。明日もいっぱい食べてね。美味しそうに食べてくれるから本当に幸せ。

11歩。これからも、歩くたんびに幸せがいっぱい。どんどん増えていくから幸せ。

探せばたくさんあるんだよ。どんなに辛いことがあってもね。探せば、幸せはどこにでもあるの。おにいちゃんはわかるもんね?(頷く)いい子ね。風が気持ちいいね。幸せだね〜〜」

「自分を傷つけることを、自分で許しちゃだめだよ。

だから、人から傷つけられることがあってもいけないよ。だからもちろん、人を傷つけることもだめ。

もし、傷つけられても、コラーって仕返しなんかしちゃダメだよ。傷つけた人は、後からその何倍も苦しむことになるんだからね。放っておきなさい。

もし、どうしても、暴力以外で人を傷つけなくちゃいけなくなった時は、大好きな人が傷つけられた時だけ。愛ある言葉で戦いなさい。

自分じゃない誰かが泣いてるのは絶対に見過ごしちゃダメだよ。もし、思いがけず深く傷つけてしまったら、謝りなさい。

早く謝れば、あなたの傷は浅くて済むからね。」

「ものを大切にしなさい。ものにだって、心があるんだからね。

人が作るものには全部、作る人の愛情が詰まってるんだよ。大切にしなくちゃ、作った人に申し訳ないでしょう?

大切にすると、ものからも大切にされるんだよ。」

「人にはいいものをあげること。自分が一番小さいものをもらいなさい。

誰よりも後から行きなさい。われ先にと走ることなく、ゆったりと順番を譲りながら、一番最後に行きなさい。

それでもし欲しいものが手に入らなくても、あなた以外の人が喜ぶことで、その幸せを想像して嬉しがりなさい。あなたが欲しいものは、人も欲しいの。人に差し上げなさい。

そのかわり、誰かから頂戴したものは遠慮なくもらいなさい。その時は、おにいちゃん。天地がひっくり返るくらいの笑顔で喜べるでしょう?」

「商売をするなら、薄利多売。利益は少なく、たくさん売るの。

小さい儲けだけれど、それだけ人の笑顔が見られるの。それだけ嬉しい顔が見られるの。その笑顔をいただくことが、ご褒美になるからね。

人間は、笑顔がなくっちゃ商売はできないからね。」

「おにいちゃんの苦しみは変わってあげられないけど、わかってあげることはできるよ。

だって多分、今までおにいちゃんが思ってきたこと、全部わかるのよ。なんでって? だって、あたしの可愛い息子だもん。

どれだけ悩んでるか、苦しんでるか、人に言えないことも全部我慢してるのくらいはわかるよ。

結局おにいちゃんは全部自分で解決しようと頑張るけど、それはね。病気になっちゃうよ。あたしがそうだったから。

問題を解決したいなら、人の頭を借りなさい。自分だけの頭では、パンクしちゃうからね。悩みの半分以上は、それだけで解決しちゃうよ。

いいことも悪いことも、なんでも独り占めしないこと。みんなと分け合いながら進みなさい。」

「人はね。必ず死ぬからね。最初に言っておくよ。

あたしは、延命治療はしないからね。

命というものは、終わるときには終わるの。家族のみんなの気持ちはよーくわかってるから、絶対に病院での治療はしません。

そんなこと言っても、お父さんはあたしをどうにか助けようとするけどね。こればっかりは、わがまま言わせてもらうからね。

おにいちゃんも協力してね。もうだめだ、となった時、みんなで覚悟して、みんなで見送ってね。」

などなど。母の言葉は53 年分の蓄積があって、全てを書き切ることは到底できませんが、この言葉たちを見ていただければ母の芯をお分かりいただけると思います。

その母が、命を自ら、流れに逆らわない方向に持っていきました。

家族の心は乱れました。

助けたい。命を永らえさせたい。今までの親不孝を侘びつつ、どうにか癌を無くし、少しでも楽しい人生を送ってほしい。そう思って母にかける言葉は全て、覆されました。

「もういいの。十分楽しんだ人生だから。あたしの残りの人生をよく見ておきなさい。これが、人の死。大切な人が亡くなるときの皆の心の動きを学びなさい。

あたしがあなたたちに教えることのできることはもう、これしかないの。

これが最後の子育てよ。目を逸らさずに、涙を見せずに、しっかり見ておきなさい。」

これらの気丈な言葉は、息も絶え絶えの喉から搾り出されてきました。

延命治療の是非

延命治療の是非について、これは難しい問題です。

家族の気持ちとしては「死んでほしくない」もしくは「早く楽にしてあげたい」のどちらかになります。どちらも本当の気持ちです。治せるものなら治したいのですが、今の医療には限界があります。

母は医師から、できるだけ楽に死ねるようにと緩和ケアを勧められました。そこで一旦は納得して、入院したのです。

しかし、病院の先生や看護師の皆様の手厚いケアを受けるごとに、ここで死んではいけないのだ、と思ったそうです。そしてある日、自分の家に帰ります。と言って、戻りました。

父はその母の気持ちを受け入れ、在宅でのケアに入りました。

夫婦というものはすごいです。衰弱していく母の喜ぶことをするべく、父は心が何度も折れそうになるのを奮い立たせながら、やがてくる死を全力で介護しながら待ったのです。

薬の量の調整や、点滴、おむつの取り替え、着替え、シーツの交換、空気の入れ替え、酸素吸入の調整、食事の用意、後片付けなど。

動けなくなってしまった母の介護を支えるのは、父と訪問看護のチームと、近所の先生。そして僕たち兄妹家族のサポート。

母の周りにはいつも誰かがそばにいて、いつも誰かが話をして、できる限り寄り添い続けました。

遊び心

別れが近づいてくる深い悲しみの中、母を中心にして、幸せなことを探し、涙を拭きながら笑い合いました。

毎回見舞うたびに痩せていく母を見て愕然とする孫たちは、心が疲れてしまって自分で幸せを探すことはできません。

ですので母は、折り紙をポチ袋に見立てて何枚も折り、その中に小銭をランダムに入れて、くじのように引かせました。皆の心を少しでもほぐして、明るくしようと工夫してくれていたのです。

母は、遊び心を失っちゃダメだよ。といつも言っていました。

「どんなに苦しくても、それを面白がって、誰のせいにもせず、頑張りなさい。

誰かのせいにした途端、もっと苦しくなっていくからね。

遊び心は、相手に対する思いやりだから。

どんなに相手の考え方が間違えていたとしても、それを論破せず、頓智を聞かせて気づかせるの。威丈高な態度で話す人は寂しい人よ。

もしかすると、あなた自身が相手に対して、寂しい思いをさせているのかもしれないからね。

まず、相手の気持ちを読み取りなさい。なぜこんなに吠えるんだろうって。

それはきっと、自分の弱点に気づいているからよ。賢いから吠えるの。傷ついた狼は、禿鷹に捕食される前、近寄ってこないように吠えるからね。それと同じ。

自分の弱点がわかってるから吠える。ということは、その弱点のどこかを弱点にせず、強化してあげれば吠えなくなるし、むしろ生き返って、おにいちゃんを応援する立場に変わるからね。

どうしてもあなたを傷つけたい人は時間がかかるけど、同じ。吠える人は賢い人。賢さには、賢さで戦っても潰されるだけ。

あなたは、余裕のあんぽんたんになりなさい。

遊び心を持っているおにいちゃんは、できる。心の入れ物に余裕があるってことだから。心がパンパンに張っていて隙間もない人は、責められたら病気になっちゃう。それって可哀想じゃない?

おにいちゃんの心の余裕の中に、人の悲しみを詰め込んで、それを理解してあげられたら、きっとそれはいずれ消えて無くなっていくんじゃないかな。あたしはそう思うよ。」

わかったから。お母さん。死なんといて。

僕は何度も何度もそう言いましたが、母はいつも首を横に振り、

「よく見ておきなさい。もう泣かないでいいから。しっかり見ておきなさい。あたしは、もうすぐこの世からいなくなるからね。」

と、僕を繰り返し、諭すのでした。

選択

八幡様:「お母様の心の在り方をこうして知ることによって、すでに答えは出ていますね。

延命治療をするかしないか。これは、家族との関係値で大きく変化していく結論です。お母様の考え方が答えではありませんし、きっと皆様のご意見は全員違うはずです。それを理解しながらお読みください。」

僕:「前フォローをありがとうございます。母は、実は揺れていたと僕は思います。」

母:「そうなの。おにいちゃんの言う通りよ。」

僕:「お母さん!」

母:「あたしね。本当は、死にたくなかった。みんなと会えなくなっちゃうもん。

でもね。身体中が痛くて、辛くて、ご飯も食べられなくて、生きているだけで苦しくて、申し訳なくて、身の回りのお世話をしてくれていることには感謝してるけど、ごめんなさいの量が多くて心苦しいの。

これが続くようなら、早くあの世に行きたいんだけど、なかなか死ねないの。死にたくない気持ちと、早く死にたい気持ちが行ったり来たりして。」

僕:「じゃあ、緩和ケアで入院した時、このままこの病院で死んじゃうのは嫌だ! って、本気で思って戻ってきたの?」

母:「そう。みなさんすごく良くしてくださって、あたしも病棟の人気者になっちゃったけどね(笑)。

ここだと家族に会えずに死んじゃうからやだって思って。コロナ禍で面会もできないから、寂しいし。」

僕:「そうか。そうだよね。で、お家で死にたいって思ったのね。」

母:「そうね。家で死ぬとか、病院で死ぬとか、じゃなくて、最後は誰と一緒にいたいか。。そこかな。」

僕:「なるほどね。でも、自宅の装備は病院の比じゃないから、お母さんの苦しみは激増するし、家族のみんなは、痛がるお母さんを見てさらに苦しむし、お父さんは毎日の介護と、愛する妻が衰弱していくのを自分の目で見続けなくちゃいけない苦しみがある。それって、誰もが辛いことではあって。。。」

母:「ごめんね。でも、あたしは、それでいいと思ったの。

きっとね。あたしがどんな選択をしても、みんなはそれを認めてくれたはず。だって、みんなが今までどんな選択をしても、それを認めて、応援してきたあたしでしょ?

あたしが初めてわがままを言ったことが、家で死ぬってことだったんだから。そりゃ、絶対、うんいいよってなるでしょ?」

僕:「そうだね。誰も反対しなかったね。みんな、お母さんの選択を受け入れた。辛い選択ではあったけどね。」

迷惑のメリット

母:「でも、これであたしは最後までやり切れるって思ったのよ。あなたたちに、全部伝え切ってから死ねるって。

悲しいし、辛いだろうけど、言いたいことを全部言わせてもらって、苦しんでいるところを全部見てもらって、人が衰えて死んでいく様子を観察してもらって、命の尊さを学んでもらおうと思って。

本当はお父さんは、病院にいてほしいって思ってたと思うよ。あたしもその方が迷惑がかからないからいいかなって思ってたこともある。

でも、迷惑ってものを考えてみると、自分が思う『相手への迷惑の大きさ』と、相手が感じる『自分への迷惑の大きさ』って、違うでしょ?

どっちみち迷惑かけるならあたし、もう迷わず惑わず、迷惑かけちゃおうって思ったの。」

僕:「さ、さすがだ・・・」

母:「意味わかった?」

僕:「よくわかるよ。僕はどんな選択をしても、結局人に迷惑をかけちゃう癖があるからね。。。けっしてわざとではないんだけど。。」

母:「でもね、おにいちゃん。迷惑をかければかけるほど、かけた相手がなんだか成長していくのを感じない?」

僕:「成長? ああ、僕の立場で言うとなんだけど、そう言われてみれば、そうなのかな。

たしかに、プンプンしながらも、どんどん仕事の幅が広がっていったり、人助けの徳を積んでいったり、何より、人から頼られていくから仕事も忙しくなっていくのはあるかもね。。

僕はあまり相手の迷惑の大きさなんて考えたことないけど、、、でもお母さんの気持ちもよくわかる気がする。」

母:「そうなの。だから迷惑って、実は、相手を伸ばすための最大の教育だって、あたしは気づいたの。」

僕:「だ、大胆な発想だね! 迷惑が、相手を伸ばす教育?」

母:「そう。相手を伸ばすには、苦言を呈して頑張って傷つきながら説得するより、相手から叱られながら、自分も頑張りながら、お互いに苦しい思いをしながら迷惑をかけ合うことだと思うの。

でもね。そんな経験をたくさんしてると、相手からかけられる迷惑がだんだん大したことではなくなっていくの。逆にありがたくなっていくのね。

そうなれば、迷惑をかけられながらも体験したことが実になって、いずれその人を助けることにはず。」

僕:「ううーん、、、深いなあ。。。」

と、母との会話は続きましたが、本題に戻します。

よかった探し

延命しないという決断は、家族にとって、自ら家族の命を絶ってしまうように思えて、とても辛い気持ちになります。延命治療について、どのように考えると良いのでしょうか。というご質問ですが、八幡様。

八幡様:「はい。延命治療をしてもしなくても、命は燃やせます。どちらも結局、生きることを輝かせているのです。

もちろん、延命治療をしなかったらすぐに亡くなってしまう場合もあります。それでも、その短い時間に燃やし尽くすほどの思いを込めることが、人間にはできるのです。その短い時間の中からでも、喜びを探していくことができるのです。

人は、よかった探しをしに、生まれてきています。」

僕:「はい。母の口癖でした。」

八幡様:「10 歩歩いて、10 の幸せを探せる人であれば、どんな境遇になっても、一瞬で人生を楽しむことができるはずです。

延命していただくことで、その間に遠く離れていた孫が帰ってくることができるかもしれません。

延命をしなかったことで、家族の絆がさらに深まるかもしれません。どちらにしても必ず良いことがあります。

いずれにしても、幸せを探すことができるはずです。ああすればよかった。こうしてあげればよかった。と思い悩むことは、つまりそれくらい、その人のことが好きだったからです。

大切に想っていたからこそ、その言葉が出てきます。正しい選択や、決まりというものはありません。

当事者と、家族が話し合って、納得して、もしくは納得はいかないけれども相手の言葉を尊重して、進めていくのが死への準備です。」

僕:「本当ですね。納得いたしました。ありがとうございました。」

八幡様:「語り尽くせぬものがありますが、今回はこの辺で。ではまたお愛しましょう。」

僕:「うへえっ! 言われちゃった!!」

おわりに

今回は、認知症も死への準備であり、延命治療の是非も死への準備との言葉をいただきました。

苦しい選択は、人をきっと成長させます。母の言うとおり、迷惑をかけること、かけられることも、お互いの成長に不可欠なものかもしれません。

母の死と向き合って、悩んで、切ない思いがどんどん膨れ上がっていきますが、目の前にいる死に向かう存在に対し、これからも尊敬の念と、感謝の念で相対したいと思います。(もちろん僕自身にも)

良いご質問を、ありがとうございました。

ではまた次回、元気でお愛しましょう♡

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