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おりおりいっぴつ #022

いにしへの想いを受けて

とこしへの決意にたちかえる


奈良は僕が7年住んだ場所です。

大好きすぎて、愛しすぎて、まるで小さい頃からここで育ったような顔をして生きていました。どこに行っても古墳だらけで、どこに行っても遺跡だらけ。

奈良全域を担当する営業職だったので、奈良観光ツアーならお手のもんになりました。

ありがたいことに今でも、当時奈良でお世話になった幼稚園の先生や、保育園の先生とは仲良くさせてもらっています。それもあって、奈良は日本で大好きな場所の一つなのです。

当時、僕が営業を頑張り続けられたのは、都祁(つげ)村・並松保育所の園長先生のおかげです。

大学を卒業したての22歳の僕は、奈良店に就職し、まずは6年ほど放っておかれた地域(お店から遠すぎて手が回らなかったらしい)をテリトリーとして任されました。

どこへ行っても、

「あら、J社(僕が勤めていた会社名)さん! まだ頑張ってたのね〜」

「うちはもう取り引きないから、営業来なくても大丈夫よ〜」

「こんなひさしぶりに来て・・・6年も無視された気持ちにもなって下さい」

とけんもほろろでした。

前任者がどんな営業をされていたのかはわかりませんでしたが、担当する200ほどの園を全て回って、一通り挨拶してから、僕は一切、販売することをやめました。つまり、全ての営業を諦めたのです。

何も持たず、ただそこに行って、世間話です。大学時代のバイク旅の話、僕が出会ってきた先生方の素晴らしさや、母の偉大さや、自分のおバカな失敗談や、人形劇の話など、先生方と大笑いしながら、毎日を過ごしました。

ある日、並松保育所の園長先生が、

「鈴木さんは、いつもここに何をしにきてるんよ?」

と素朴な疑問を投げかけてきました。そりゃそうです。パンフレットも、カバンも、商品も持たずに、手ぶらでくっちゃべりにきてるだけなのですから。なんならお昼の給食まで一緒に食べて帰ったりして。

「あ、そうですね。何しにきてるんだろ」

そう言ってあははと笑ったら、園長先生が話し始めました。

「ちょっと一緒に見てもらえる? あそこの遊動木(子どもが数人座って乗る長いブランコのような遊具)。あれね。底がもう錆びついちゃって、危なくて。もし園児が遊動木の下に足を入れてしまったら大怪我するかもしれないのよ。見てもらえる?」

偶然にも僕は、その数日前に、古くなった公園の遊具の点検方法を店長から習ったばかりでした。

僕は園庭に出て、全ての遊具を点検し、全部を絵に書き起こし、どこがどう危険で、交換が必要か必要でないかを書いて先生に渡しました。

すると、園長先生は、血相を変えて、

「まあ・・・ひどい状態。。。どうしましょう。これ、全部交換しないと」

僕は言いました。

「先生。交換するには、子どもたちに使えなくなることを早く伝えないといけませんね。僕、言いましょうか?」

園長先生は笑って、

「いいえ。それは私の仕事です。あなたの仕事は、その交換シートを持って、助役さんのところに行くことでしょう? これを早く修理しないと、子どもたちが怪我しますからって言ってきて下さい」

助役といえば、村の役場の偉い人、としか知らない僕は、わかりました! と役場に向かいました。

助役さんは、温厚なおじいさんでした。僕の話を笑顔でうんうんと聞いてくれて、

「よくわかりました。それでは鈴木さん。都祁村の残りの5園の遊具の点検もお願いします。並松は、そのあとですぐに直します。今日中に点検できますか?」

「はい、できます。急いでやります。」

そういう流れで、結局6園の遊具を点検し、助役さんに報告したら、三日後には予算が付き、ほぼ全部取り替えられることになったのです。

そうなると、その話が宇陀(うだ)郡の保育所に飛び、そこから桜井市の保育所に飛び、そこから田原本(たわらもと)、天理に飛び、それら全部を交換するということで、信じられないくらいの大きな予算が市町村から一気に出てきたのです。

さらに、噂がぐるぐる回って、テリトリー以外の園からも依頼が殺到し、奈良だけではなく、近畿圏全域にその動きが加速しました。

古い遊具で怪我をする子どもが出てしまっては遅いので、僕はその動きにほっと胸を撫で下ろしました。

そして、新しい遊具が行き渡った9月の末ごろ、基礎工事から参加させてもらい、ドカタ仕事もやっと慣れてきた僕は、並松保育園の園長先生とお茶を飲みながらまたまた世間話をしておりました。

「鈴木さん、J社さんはもう、私らのお得意さんやからね。いいのよ」

「はい。え? 何がいいんですか?」

「積み木とか、砂場セットとか、ゲームボックスとか、マットとか。今度から持ってきなさい。あなたは営業がお仕事でしょう? もうみんな買ってくれると思うよ」

このシーンは今でも鳥肌とともに思い出します。

僕は、鈍感人間でした。そこでやっと気がついたのです。遊具の点検を示唆してくれたのは、この人だったということを。そして、この園長先生から火がついて、奈良の園庭遊具が軒並み買い替えになっていったのです。

園長先生は、僕があまりにも世間話ばっかりで営業の仕事をしないので、ヤキモキしつつ、業をにやして、助役とつるんで企んだとのことでした。それに他の5園も協力してくださって、みんなが嬉しい新しい遊具が入ったのです。

32年前にいただいた園長先生の教えは、今でも営業の役に立っています。

問題があったら、それを明らかにし、それを速やかに解決していく。

解決するために、何を使うかを考えて推し進める。

そしてその前に大切なことは、「誰のためにそれをやるのか」。

子どもたちが怪我をしないように。

人々が路頭に迷うことのないように。

今も変わらず、僕はとこしへに営業をし続けるのですね。

今日は改めて、決意を新たにいたしました。

あなたに、今日も幸あれ。


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