ロードムービー原作 「また会えたときに 2」 第6章 (道後のとみちゃん編)
前回の高知の山道では、雨と事故と故障のハプニングを、みなさんの力で乗り越えさせていただきました。
あれから、少し遠回りにはなりましたが、やさしい青空に見守られ、愛媛県まで落ち着いて走り抜けることができました。
マフラーの調子もよく、お腹もいっぱいで、ガソリンも問題なく入れることができ、ダックス号と道後温泉に入ったときには、感謝と感動が道後の湯水に負けないくらい湧き出しました。
八幡様:「さて、温泉にとって重要なことがあります。今回はまずそれを考えていきましょう。」
僕:「湯加減?」
八幡様:「ノンノンノン。」
僕:「源泉掛け流し?」
八幡様:「ノンノンノン。」
僕:「わかったっ! はぁーあ、ビバ!?」
八幡様:「ノンノ・・・やめなさい。アニキに質問です。温泉に浸かって、いつも何を感じますか?」
僕:「温泉で感じること? そうですねえ、子供の頃、家族で小さな温泉に行ったことがあって。そのことかなあ。」
八幡様:「それで、なにを感じるのでしょうか?」
僕:「あ、そのときの家族の思い出です。幸せだったし、ありがたかったなあって。」
八幡様:「ほう、では家族の中で、親が子に思う気持ちで大切なことはなんでしょうか?」
僕:「尊敬だと思います。」
八幡様:「さすがです。では、アニキは道後温泉を尊敬していますか?」
僕:「もちろんしています! だって、びっくりしましたから。あの温泉を、あの場所で、3000年も守り続けてきたなんて、本当にすごいなって。」
八幡様:「何がすごかったのですか?」
僕:「歴史です。」
八幡様:「それです。それが重要なのです。温泉には、歴史があるのです。」
僕:「たしかに。。。」
八幡様:「お湯に浸かって何も考えず、ゆったりと温まるのも大切です。それによって体の免疫が上がっていき、体調も良くなっていくからです。
しかし、その温泉の効能を発見して、その場所を守り続けてきた人たちがいることに思いを馳せるのも大事です。
そうすると、水の中に含まれたミネラルが、輝き出します。」
僕:「ミネラルが?」
八幡様:「嬉しがるのです。水の歴史を感じてくれる人がいることが、水の分子たちは、わかるのです。」
僕:「水の分子の感受能力はすごいですね。弘法大師の霊水のお爺ちゃんもおっしゃっていたことです。」
八幡様:「水こそ、福の種です。温泉の歴史に思いを馳せ、人が歴史を作り守ってきたもの、つまり、人が大切にしてきたものに思いを馳せる瞬間を、アニキは思い出すことです。」
僕:「はい、もう思い出しています。道後は水も美味しいから、ご飯もすごく美味しかったです。」
八幡様:「ほら、ちょうど目の前に、良い雰囲気の居酒屋さんがありますよ。」
僕:「ああっ、ここは温泉街に入ったときにちらっと見えて、チェックしていたんです!
清潔感があって、絶対美味しいお店だ。お腹もペッコペコなので、ちょっとお邪魔してきます!」
「また会えたときに 2」 第6章
居酒屋カンジ
道後温泉本館の公衆浴場「神の湯」。
青年はここの熱いお湯に何度も繰り返し入り、角質という角質を全て流しきり、ツルッツルの茹でダコになった状態で、「居酒屋カンジ」に突入した。
もう夜の7時過ぎだが、お酒は飲まない。
早朝の大分行きのフェリーに間に合うように、ここでご飯を食べて、マフラーが静かになった記念に、一気に八幡浜という港まで走ろうと決めていた。
ガラガラと引き戸を開けると、カウンターの向こう正面に大将がいた。
大将:「っしゃいようこそお!」
店員:「っしゃいようこそお!」
「しゃ」に強いアクセントをつける、独特な発音だ。めっちゃ野太い声。歓迎感が前面に出ていて嬉しい。
青年はそのままカウンターに座る。
大将はなんだかアントニオ猪木に風貌が似ているというか、むしろ力強いアゴを前面に押し出しているところなんか、完全に寄せきっている。
と思ったらやっぱり壁に赤い「燃える闘魂タオル」もかかっている。ここは元気をもらえそうだ。
青年:「タコぶつと、鯛めしをお願いします。」
大将:「っしゃー! 鯛めしは2種類どっちもあるよう!」
青年:「2種類?」
普通なら、2種類あると聞けば、その違いを大将に聞くか、メニューをもらうだろう。
しかし青年は猪木と同じ「いけばわかるさ」精神をこよなく愛している。
それをそのまま青年の流儀に置き換えれば、「行きあたりばっ旅」になるのだ。
青年:「お腹へってるし、じゃあ、その2つともください!」
大将:「いいね! 旅は贅沢にいかなくっちゃ! はい鯛めしどっちもーーー!」
店員:「っしゃーーーっ!」
威勢のいい居酒屋は心が弾む。カウンターから調理場も覗き見ながら料理を待っている青年は、高揚感しかない。
白いTシャツからはみ出そうなくらいムキムキマッスルの店員さんが気を利かして持ってきてくれたお水のピッチャーをンゴッンゴッと飲んで、温泉でたっぷり出した汗を急速補給する。
店内を見ると、浴衣を着ているお客さんが多い。みんな、道後温泉に逗留しているんだ。いつか僕もゆっくり訪れたいなあ。
と思っていると、まずは「タコぶつ」がカウンター越しに到着。どれどれと早速一口。
ザク。
青年:「珍しい!」
大将:「何が珍しいので? お客さん!」
青年:「タコがザクってなった! 噛み切れる瞬間が気持ちいいですー!」
大将:「っしゃー! わかってるねえ〜! 手間をかけた甲斐があるってもんだあ! 鯛めしはちょっとお時間いただくんで、これ、ちょっと味見しておくんなさいな。」
そう言って出してきてくれたのは、魚の煮付け。のようなもの。
大将:「これ、とりあえず全部食えるんで。固そうな部分は骨じゃなくて軟骨です。どうぞ。プレゼント。」
青年:「ええーーー! いいんですか?」
青年はどこへ行っても、特別に何かいただけてしまう不思議な特性がある。今回いただいたのは、赤エイの煮付けだ。
大将:「港で取れた赤エイでさあ! 橋の下にようけ泳ぎよる! ほいお兄さん、食べたら元気にエイ、エイ・・・?」
大将 & 青年:「オーッ!」
2人で片手を力強く突き上げて大笑いする。青年は気持ち、アゴも張っていた。元気があればモノマネだってできるのだ。
そこへ、どうもー。と入ってきた客がいる。妙齢の女性だ。
明るい茶色のタモリ型サングラスをかけて、白いブーツを履きこなしたおばちゃんだった。あ、妙齢って書いたのにおばちゃんと言ってしまった。
髪の毛は短くツンツンの金髪。よく見ればブーツ以外は全身、原色。なかなかアグレッシブないでたちだ。
大将:「およ! とみちゃん。最近きとらなんだけん、結婚でもしたんか思うとったぞな〜! ハハハ! いらっしゃい! いつもの焼酎で?」
とみちゃんと呼ばれたお客さんは、青年のすぐ横の席に腰掛けた。かなりの低音ハスキーボイス。いわゆるダミ声で大将に返す。
とみちゃん:「あかんあかん。明日朝が早いけん、飲まれんのよお。
だから、カンちゃん。オレンジジュースと、タコぶつ。そうね、あとは赤エイの煮付けと、鯛めしのタレ。はようくれんか!」
とみちゃんが話している言葉を聞くと、どうも地元の人ではないらしい。
大将(カンちゃん)は青年に向かって言う。
大将:「とみちゃんて、おもっしょいやろう? いつもこんな調子じゃけん。はいスタッフ〜! 1番さん(青年)とおんなじご注文、こちらー、とみ姉さんにお通ししてー!」
スタッフ:「っしゃーーーっ!!!」
とみちゃん:「あら、あたしと同じ注文したの? お兄さん、旅の人? もしかして外のバイクの?」
青年:「はい! バイクでいろいろ回ってます。同じ注文しましたよ。タコぶつとエイと鯛めしの両方です。」
とみちゃん:「っかーーー! 両方いくんかー! よかねえ〜! わっけいね〜! で、どこまでいっくうん?」
青年:「まだ決めてないんです。とりあえず明日、フェリーで九州に渡ろうかなって思ってます。」
とみちゃん:「明日、何時って?」
青年:「まだ決めてません。」
とみちゃん:「あんた、なーーんも決めちょらんのね? おもしろっ!」
大将:「っしゃ、お待たせ、赤エイね。美味しいよー! あと、これサービス。紫蘇ジュースね。」
大将もますますパワフルに接客をしてくれる。きっと大将は、とみちゃんの笑顔が大好きなんだろうな。とわかる。
とみちゃんは紫蘇ジュースを一口飲んで、目を大きくして、笑顔で「美味い!」と一言。続いてエイを美味しそうにつつき始め、食べながら、さりげなく青年に告げた。
思ってもみない誘い
とみちゃん:「明日な、一緒にいかんか?」
唐突に誘われて、青年は驚くが即答で返す。
青年:「ハイ、いいですよ〜!」
とみちゃん:「おお!」
嬉しそうに握手をしてくる、とみちゃん。
とみちゃん:「バイク、あたいんトラックに乗せていけばよかて。スペースあっしなあ、完全固定できるで安心してー。
ああそだ。寝っ場所はあっとけ? よかったらや、うち泊まっていっけ? 朝は早かで叩き起こすどーーん。ギャハハハハ〜!」
青年は、それは願ってもないことだと、ありがたくその気持ちを受け取った。でも、うちって近くにあるのかしら。
とみちゃんの勢いに押されたのは否めないが、嬉しくてありがたくって、青年は思わずこう言った。
青年:「何から何まで、ありがとうございます! 何か、僕にできることってありますか? なんでもします。」
とみちゃんはそこでサングラスを下げて、青年の三日月のような目を、じいっと見つめた。
大将:「っしゃ、お待ちどお〜っ!」
待ってましたの鯛めしだ。
2人は会話は置いておいて、獣のようにかっくらった。
これがまた絶品だった。
生の鯛の上にタレをかけただけのシンプルな鯛飯バージョンと、しっかりお米から炊いた、釜飯バージョンの2つ。言葉も出ないくらい美味い。
大将:「うちの鯛は天然じゃけんね! ありがタイってみんな言う! はい、味噌汁もついとりますけんね〜!」
セットの味噌汁もまた、白味噌と鯛の旨味の卍固めが効いている。青年は完全に美味しさのノックアウト状態だ。
2人とも一気に食べ終えた。
とみちゃん:「ああ、満腹! カンちゃん、ありがと! さ、帰ろ! 今、乗せてしまうど。バイク。」
青年:「え? もう? 今ですか?」
とみちゃんは席を立つ。青年も慌てて立ち上がり、大将に美味しかったとお礼を言い、握手する。それぞれにお会計を済ませ、外に出た2人。
とみちゃんに促されるまま、お店の横から裏道に入り、住宅の間の細い路地を、バイクを押しながら歩く。もう日は落ちていて暗い。ブロック塀に座る猫に挨拶をしながら、どんどん歩く。
しばらくすると広い駐車場が見えてきて、そこに大きなトラックが停まっていた。
「あれさ。」
と、とみちゃんが指差した先にあったのは、車を乗せた陸送トラックだった。
青年は悟った。
「トラックに乗せていけばいい」ってことは、このトラックにバイクをくくりつけて、そのままフェリーに一緒に乗ればいいということか!
なるほど。それはありがたい。やっと理解ができた。
そして、「うち」とは、運転席の後ろにある仮眠スペースのことだった。
本来ならここから八幡浜まで走るつもりだったが、トラックに乗せて行ってもらえるぶん、ここで身体もしっかり休ませることができる。
朝まで4時間も眠れるなんて、最高だ。
とみちゃんは手際よくバイクをトラックに乗せて、しっかりとくくりつけてくれた。
トラックに乗り込むと、とみちゃんは助手席側に横になり、青年は仮眠スペースを与えられた。
暗黙の了解というのか、翌日運転をすることを控えている人間は、睡眠を邪魔されるのが一番嫌だ。
お互いに、明日4時起きね。と約束し、すぐに眠った。
八幡浜へ
午前4時。夜は明けかけてきているが、道後温泉はさすがに人が動いている気配はなく、湯けむりだけが静かに立ちのぼっている。
2人はほぼ同時に、パッと目覚める。
おはようの挨拶を交わしてすぐ、とみちゃんは運転席にうつり、サングラスをかけてエンジンを回す。
青年は仮眠スペースから出て、身体をちいさく縮めてゆっくり助手席にうつる。
前席のほとんどは、羽毛のようなピンク色の生地でデコレーションされていた。ハンドルカバーももちろんふっさふさのピンク。
ミッションレバーの先端も、ローズクォーツのような石が光っている。かわいい。
とみちゃんは首と手首を「あ〜〜〜」と言いながらぐるんぐるんゆすってから、運転席の窓を全開にした。
青年も素早く窓を全開にして、同じように手首をぐるぐる回す。あ、これは良い。身体が次第に起きてくる。
とみちゃん:(両肩もぐるんぐるんと回して)「よし! では行っか青年!」
青年:(マネをしてぐるんぐるん)「はい! お願いします!」
今日も晴れてくれそうな朝焼け未満の空の下、全開の窓から新鮮な空気をたっぷり味わいながら、トラックは滑らかに動き出した。
青年は思う。
しかしまさかバイクを運転せず、トラックに乗せてもらって九州に渡ることになるとは。
新しい旅の展開に、早朝からワクワクが止まらない。
まず向かうは愛媛県八幡浜。そこから大分行きフェリーの始発に乗るのだ。
ここから港に着くまでは、約3時間の行程。
途中休憩は、ゲームセンター付きドライブインでのカップラーメン自動販売機。とみちゃんイチオシのカレーヌードルを2人でベンチに座って食べた。デザートとして、リポDを一気飲み。
お腹がほどよく膨れてトラックに乗り込んで、
とみちゃん:「さ、行っか! あと半分!」
とみちゃんはこんな風に毎日、地元の鹿児島から愛媛にフェリーで渡って車を納品し、また車を積んでフェリーで帰るという、陸送の往復仕事をしているのだ。
青年にとっては全てが初めての経験。楽しい。
雑談の中、とみちゃんから、トラック運転手の心得として
「あまり動かん仕事じゃけん、血行にはジューブン注意すべし」
と教えてもらう。だからとみちゃんにとっては、道後温泉は格好の血行活性化ポイントなのだ。
トラック独特の窓は、大画面の迫力がある。心地よく流れていく景色を見ながら青年は考えた。
とみちゃんは素晴らしく元気がいい。自分で気合いを入れるのが上手だ。勢いよく、大きく言葉を発して、自らを鼓舞していくタイプ。
昨夜の居酒屋の大将、カンジさんも、きっとそう。
青年とは真反対だ。
青年は、心の中でつぶやくだけ。声に出すのは感嘆の時が多いが、滅多に自分から元気を出していくことはしない。元気はいただいて、それを噛み締めるタイプ。
そんな2人の会話は、なかなか面白い。
青年:「トラックって、目線が馬なんですね!」
とみちゃん:「馬ってか! ああ、背が高かーでか。前に進むしね。それと、うん。思い通りに運転でくっし。
確かに、馬じゃ! はいよはいよ〜〜!あっはっはっは!」
2人は会話の終わりには、必ず笑う。いや、なぜか笑ってしまうのだ。
とみちゃんの威勢の良さというか、言葉の使い方の気遣いとか(でも標準語は使わない)、人の気持ちを力強く盛り上げる技術というか、それら全てが心地よかった。
しかし、青年は気付いていた。
とみちゃんがふと見せる表情の中に、一抹の寂しさが漂っていることを。
明るい会話の中でも、急に無言の壁に当たる瞬間があり、そこになんとも言えない暗い感情がじわっと滲み出てくるのだ。
それはなぜだろう。
そのことに気が付いてしまうと、青年はなんだか、いたたまれない感情が増え始め、ムズムズしてきた。このままではいられない。
よし、これはもう、直接聞いてみよう。
青年:「とみさん、ごめんね。」
とみちゃん:「とみちゃんでよかよう。」
青年:「じゃ、とみちゃん。」
とみちゃん:「じゃ、はいらんよー!」
青年:「あはは。とみちゃんはさあ、時たま、なんでだろう、目が遠いの、なんで?
ふっと、ここにいるようで、いない感じがするんだな。。
会話しているとめっちゃ楽しいんだけど、会話がなくなると誰もいなくなるみたいな感じなんだよね(独り言っぽく)。
あ、ごめんなさい。何にもわからないのに、僕の感覚だけで言っちゃった。」
とみちゃんは、うん、と小さく一言口に出したまま、返事を考えているようだった。
それを待つ青年。
長い間、沈黙が流れた。
しかしそれから結局返事は返ってくることなく、とみちゃんはまったく喋らなくなった。
青年は、ああやっちまったーと深く反省しつつ、さっきまで仲良く喋っていたのに、これでダメになったのかもしれないと、ほぞを噛んだ。
しかし、時間は戻ってこない。言葉を撤回することもできない。何かしらのアクションを打たなければ先に進まない。それは分かっているが、有効な打開策が見えない青年。
気まずい雰囲気のまま、フェリー乗り場が近づいてきた。
とみちゃんは手慣れたもので、ちゃちゃっと手続きを終えた。乗船待ちの駐車場にトラックを停め、車中で待つ2人。
長い沈黙を破ったのは、とみちゃんの方だった。
とみちゃん:「ちょっとさ。長ごうなっど、あたいの歴史、聞いてくるっかい?」
青年:「はい大丈夫です。時間はたっぷりあります。」
そしてとみちゃんはハンドルから手を離し、前方に広がる海を凝視しながら語り始めた。
とみちゃんの過去
要約する。
とみちゃんはいま鹿児島に住んでいるが、故郷は奄美大島だ。
そこで育ち、学校も島で卒業した。仕事もあった。結婚もした。ずっとそこにいるはずだった。あることが起きるまでは。
幸せな結婚を結局2回して、悲しい別れを2回経験した。
子どもは、それぞれの元旦那さんとの間に1人ずつ。今は2人とも成人して、島で働いてる。そこは問題ない。
とみちゃんは今、54歳。15年前に鹿児島に引っ越してきた。
そこでご縁が繋がって、今は陸走専門の運び屋で生計を立てている。一人暮らしで恋人はいない。金輪際作るつもりもない。1人でいい。そっちの方が、人を傷つけなくて済む。
自分は、口が悪い。頭が悪い。卑怯者で、頑固者。どうしようもないクズなんだ。
そう言うと、とみちゃんは急に姿勢を起こしてハンドルを左に回し始めた。乗船が始まったのだ。
静かにトラックは船に乗った。船員さんたちが車止めを手際よくはめて行く。船が揺れて傾いても、車が動かないようにするためだ。
とみちゃんと青年はトラックを降りて、階段を上がり、人の少ない食堂兼休憩室に入った。椅子は硬いが、誰もいないので込み入った話もできる。
とみちゃん:「でな。あんたに一緒に来てもろうたんな、実は相談があってな。」
青年:「相談?」
とみちゃん:「相談いうか、うーーーん、頼み事、かもしれん。」
とみちゃんが居酒屋からずっと青年とのコミュニケーションをしてきたのは、三日月の目の奥を見たときに、この人になら頼めるかもしれない、という直感を得たからだ。それが本物なのかどうか、ずっと計っていた。
とみちゃん:「昨日のカンちゃんのところでさ、あんたと話しててひとつわかったことがあって。あんたなら、あたい全部言えるかもって思った。
この話は、家族にも、誰にも、仲のいい人にも言ってなかった。今まで、どうしても言えんかった。でも、言える。なんか、あんたになら言える。」
青年:「僕でよければ、なんでも言ってください。何か、僕にできることってありますか? なんでもしますよ。」
とみちゃん:「やっぱいねえ、あんた。出会ったときとおんなじことゆうてくるんやなあ。ありがとさん。
そしたらや、話すわ。・・・あたいはな、、、人を裏切った。
もう15年も前じゃけど、きっと相手にとったら昨日んこっやろうち思う。きっとまだツラかーち思う。」
青年:「裏切った? って、とみちゃんが思ってるということは、相手を騙したとか、嘘をついたとか?」
とみちゃん:「あたいは最低のことをして、鹿児島に逃げてきたんよ。」
青年:「いったい何を・・・しちゃったんですか?」
裏切りの代償
フェリーの休憩室で背中を丸め、肩を落として座る、とみちゃん。昨日からの元気は微塵もない。
そうか、こういう暗い思いがあるからこそ、奇抜なファッションで気分を盛り上げていたのかも、と青年は思う。
かすれ声だけに、声を張らない分聞こえにくく、間断なく鳴っている船のエンジン音と、テレビの音にかき消されそうなくらいだ。
青年は一言も聞き逃すまいと、とみちゃんに椅子を寄せた。
とみちゃん:「あたいはさ。結構これでも尽くすタイプでさ。でも尽くしすぎちゃって嫌われるんよね。
2回とも、あたいがやりすぎたってこと。
2回目、別れる時もね、納得いかないワケさ。だって、あたいは悪くないと思ってるからね。愛して尽くして何が悪いのよ。って。
大切だから、とことん大切にしただけのこと。それなのに、重かったんだねえ。喧嘩して、勢いで離婚しちゃったの。」
青年:「尽くして尽くし抜いて、旦那さんからは何かお礼はしてもらいましたか?」
とみちゃん:「お礼か〜。」
とみちゃんは少し考え込む。
とみちゃん:「あ、あるね。子どもが授かったね。それはあたしの唯一の宝だわ。2人とも男の子でさ。あの子たちがあたいを認めてくれてた。でも、今は軽蔑してるかもしれん。」
青年:「そういうことだったんですね。。。それはつらかった。どっちもつらかったですね。」
青年は、とみちゃんが誰を裏切ってしまったのか、その経緯と、今の気持ちについて聞いた。
まとめるとこうだ。
誰を裏切ったのか。
中学校からの友達で、順子さんという女性。同級生なので、54歳。奄美大島に住んでいる。
同じ校区だし、すぐ近所。とみちゃんが35歳のとき、2回目の離婚をしそうになり、相談したのが順子さん。
順子さんは、とみちゃんに、「別れたらあかん!」としきりに言ってくれたが、とみちゃんはそう言われれば言われるほど、気持ちが冷めていったのだという。
よし、別れようと決めた時、順子さんが指輪をしていることに気づいた。
今までしたことない人だったのにどうしたんだと聞くと、婚約したんだという。とみちゃんは、なんだか無性に悔しくなって、カッとしてしまった。
自分は今、どん底を味わっているのに、てめえは幸せいっぱいかよ。となってしまった。
でも落ち着いたふりをして相手がどんな人かを聞き出した。名前は知っている。狭い島だ。スナックなんかで話題にのぼったこともある、いい男だ。
とみちゃんは、その男になんの恨みもなかったが、本当にその人でいいのか? と順子さんに語り始めた。
そのときの2人の会話を詳しく見てみよう。
奄美の港の、紺碧の海が広々と見える駐車場で。とみちゃんの軽自動車に2人が乗っている。
とみちゃん:「順子、そんしん悪か噂、しらんの?」
順子:「え? なんか悪か噂あっとな?」
とみちゃん:(乗ってきたw)「さあ、知らんなあ。」
順子:「なんなー。教えやんせ。なんかあっと? あたし、そげんのはっきりせんと気持ち悪か!」
とみちゃん:「ねえね。大丈夫や。幸せになって 」
順子:「えええ? ちょっとなんか気になっわ。あーん、やったら教えて!」
とみちゃん:「あかんあかん。そげん疑り深かんやったや、先見えちょっじゃ。信じてあげな」
順子:「だって、あんしよか人じゃっで、もしかして騙されちょっかもしれんし。」
とみちゃん:(だんだん腹が立ってきて)「よか人とは、絶対言い切れんじゃ。」
順子:「なんでそげんと? とみちゃん、あんたが別るっごつなったんも、そげんところじゃなか?」
順子さんはとうとう、売り言葉に買い言葉的に、とみちゃんに対して責めるように冷たく言い放ってしまった。
その時、とみちゃんは、恐ろしいことに、順子さんとその婚約者との関係がボロボロになってしまえばいいと、そう思ってしまった。
そして、それから順子さんの相手の悪口を、いろんな場所で吹聴して回ってしまった。
それがたたって、順子さんと婚約者の関係は破談。
狭い島の中でのタブーを犯してしまったとみちゃんは、吹聴していたことが順子さんにも伝わり、2人の仲も決裂。
島の仲間たちからも白い目で見られ、順子さんの誕生日を待たずして、とみちゃんは島を出てしまった。
渡したかったもの
とみちゃんは説明をし終えると、サングラスを外し、腰に巻いているポシェットからティッシュを取り出し、横を向いて鼻を噛んだ。
そして大きなため息をつく。
とみちゃん:「その時に渡したかったのが、これさ。」
鼻声でそう言って、カバンから出してきたのは、もともとは白かったと思われるが、手垢で黄色くなっている、薄くて軽い四角い箱だった。
その箱をゆっくり開けると、髪飾りのようなものが出てきた。
青年:「これは? なんですか?」
とみちゃん:「ああ、男んはわからんか。これ、カチューシャってゆっせぇ、頭をはさんごつして髪ん毛をまとむ飾りじゃ。
こいを、順子に渡すことができらんで、ここまで持ってきてしもて。
捨てられんし、捨ててしもたら島も捨ててしまうことになる気がしっせぇ、家にも置いちょけんし、どうしようかち思うちょっうちに、トラックん中に入れっぱなしで。
結局古ぼけて色も変わってしもたじゃっど、これ、順子に渡しとうて。あと、ちゃんと謝りとうて。手紙も書いてある。」
箱の底に、10枚ほど束になって手紙がある。そこには順子さんの住所も書いてあるようだ。
青年:「えっと、この住所に送ってしまってはいけないんですか?」
とみちゃん:「そいがでけたら。。。こげん悩まんて。送ったとしてん、ゴミ箱や。あげんひでことをしたあたいを許すはずがなか。
でもやっぱりあたいの気持ちもわかってほしかあ。
心から悪かことをしたち思うちょい。絶対に手渡しっせぇ、読んでほしか。でも、あたいには訪ねる勇気がなか。。。」
青年は三日月の目で即答する。
青年:「わかりました。じゃあ僕、奄美大島に行ってきます。順子さんに会ってきます。まかせてください。」
とみちゃん:「え? あ・・・本当に? 順子に、渡してくるる?」
青年:「本当は、とみちゃんが直接言って、ストレートに言うのが一番だけど、これは何かの縁だと思う。。。
いや、きっと僕は、奄美に行かないといけない流れだったんだと思う。
この住所で間違いないね? じゃあ、もし、ちゃんと渡せて、話ができて、とみちゃんに連絡したいよ! となった時はどうすればいい?」
とみちゃん:「多分、連絡をとりたいとは思わんやろうから、それはいい。一応、実家の住所は手紙に書いたから、そっちに手紙は送れるとは思うけど、それも絶対ないやろうね。。。」
青年は、とみちゃんが抱える乙女心を理解しつつも、自分が仲介役として奄美大島に行く流れになっていることを理解しつつも、どこかが微妙に間違っているような気がしてならなかった。
しかし、こうなったからには、とにかく行ってみようと決心した。
そして、ちゃんとカチューシャを渡して、この2人の心のわだかまりを解けたらいいなと、思ったのだ。
うん、きっとこれは僕自身のミッションなんだ。完遂するぞ。
青年は心にそう誓うと、力が湧いてきた。そうだ、元気があれば、なんでもできる!
奄美大島までは、鹿児島からフェリーが出ているという。大分に着いたらそのままこのトラックで、鹿児島の港まで走ることになった。
とみちゃんの打ち明け話を聞いたあと、2人でぼーっと海を見ていると、あっという間に大分県の臼杵港に到着した。
そこから鹿児島までの長い距離を2人は、話が止まることなく、とみちゃんの安全運転で、順調にたどり着いた。
鹿児島に着いたのは、午後4時過ぎ。まだ暑い盛りだ。
港でバイクを下ろし、順子さんに会えたら伝えることを復習し、内容もちゃんとまとめ、とみちゃんも案外心配性でしつこいので正直辟易したが、順子さんへの贖罪の思いが大きい故のものと思い、青年はそれを丸ごと受け取った。
2人でフェリーの窓口に行き、奄美大島への往復切符を買った。切符はとみちゃんからのプレゼントだ。
もし順子さんに運良く会えて、カチューシャを渡し終えたあとは、どうなるのか。それはわからない。でも、青年は自分ができる精一杯のことをするつもりで、奄美大島行きのフェリーに勇んで乗り込んだ。
到着は翌日の朝だ。初の奄美大島になる。
フェリーは10時間以上の航行だが、起きていても不安が湧き上がってくるような気がして、ここは明日のためにも何も考えず、眠ることに決めた。
毛布を借りて、枕も借りて、青年は貪るように眠った。
明日の邂逅を夢見て。
〜つづく〜
人に歴史あり
八幡様:「今日もご苦労さまでした。
人に、歴史あり。とみちゃんは、自分が犯してしまった罪を許せませんでした。大好きだった仲良しの順子さんに申し訳なくて、そのカチューシャを捨てることができなかったのです。」
僕:「その気持ち、よくわかります。僕にも、いまだに自分を許せない、深い深い罪を持ち続けています。
今できる、自分にとって精一杯の罪滅ぼしが、僕の生き方にも比例していると思うのです。」
八幡様:「人間は、いろんなことを考えます。
例えばもし、相手が許していなかったら?
それとももし、相手がもう何とも思っていなかったら?
もし逆に、相手が謝りたいと思っていたら?
もし、コンタクトをとってきた瞬間に罵声を浴びせかけられたら?
実際、どんなパターンでもありうるのです。
人は、小さな感情で心が大きく揺れ動きます。しかも、そう簡単に、心を柔らかくとらえ、すぐ許すことのできる動物ではありません。
複雑で、可愛くて、難しくて、単純なのです。
矛盾だらけの人間の心は、当事者同士でしか、本来解決はしていけません。
介入したり、されたりすると、とんでもなく大きなことになっていきます。
介入自体、それが職業になるくらい、人間同士の問題解決は難しいのです。」
僕:「おっしゃるとおりだと思います。
とみちゃんから依頼された後、本当にこれで良かったのだろうかと、何度も自問自答しました。
しかし、僕が見たところ、とみちゃんの心の中が、とっても小さくなっていて、どうしようもない諦めと、自分自身への攻撃がキツすぎるのを感じ、僕が動くことで何かひとつのきっかけになるならと。無理かもしれないけれど、やってみようと、依頼を受けたのです。
ただ、僕がそれをしたとして、再び順子さんと仲良くなれるかどうかと言えば、それは正直難しいんじゃないかと思っていました。」
八幡様:「さて、どうなるのでしょう。続きが楽しみですね。」
僕:「そうですね。ではまた明日、お愛しましょう!」
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「僕のアニキは神様とお話ができます」「サイン」の著者、アニキ(くまちゃん)が執筆。天性のおりられ体質を活用し、神様からのメッセージを届けま…
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