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仏様と共に歩もう

高野山のお坊さん、我らが堯友(ギョウユウ)さんが出版をされました!

おめでとうございます!

僕もじっくり読ませていただきまして、まず思ったこと。

これはおりられ荘の皆様にもぜひ、この本の中に散りばめられている言霊の数々を楽しんでいただきたい!

作者の文章が、真面目で丁寧な語り口に包まれて、心地よいリズムで頭に入ってくる、とても良い本です。


堯友さんのお人柄

八幡様:「とっても素敵な御本ですね。本の内容はここで詳しくおしゃべりすることができませんので、堯友(ギョウユウ)さんのお人柄について、お話ししていきましょうか」

僕:「そうですねえ。物静かで、すごく愛らしい人なんです。真顔で微笑んでるような、口を開けば優しくて、でもちょっと厳しそうな感じもして。お坊さんというよりも、近所に住んでいる博学お兄さんみたいな、なんだか安心感でいっぱいのお人です」

八幡様:「アニキの100倍物知りで、アニキの100倍分別があり、アニキの100倍言葉を知っている堯友さんですが、おそらくご自分でもわかっている通り、ウィークポイントがあります」

僕:「ウィークポイント? いやいや僕じゃあるまいし、そんなのないでしょう!」

八幡様:「たしかに、そこまで大げさに言うほどのことではないのですが、このポイントが邪魔をして、もう1歩が進みにくい環境を、ご自分で作っているのではないでしょうか」

僕:「ふうーむ。でも、そうだとしても、そのポイントは直さなくちゃいけないものなんでしょうか」

八幡様:「いいえ。それは短所ではないので、どちらでも良いと思います。これはいわば、ボトルネックと言うやつです。いや、アニキ、それは違います」

僕:「冬に首に巻いてあったかーい・・・って、それはトータルネックやないかい!」

八幡様:「ですから、最初に違うと言ったのです」

僕:「・・・あのねえ八幡様、いくら僕の言うことが事前にわかるといっても、会話の順番をバグらさないでください! 僕も読者さんも混乱します!」

八幡様:「あと、それを言うならタートルネックですね」

僕:「・・・もういいです。進めてください」

八幡様:「もしその部分が弱点でなければ、すぐにでもメディアにも喜ばれるキャラクターになり得ます」

僕:「メディアに喜ばれるキャラクター! それ、いいなぁ」

八幡様:「お坊さんという立場で、人々に受け入れられるキャラクターを使い、あるいは表現の技を使い、伝えたいことを伝えている方がたくさんいます。

  • 歌って踊れるお坊さん

  • エレキギターが弾けるお坊さん

  • オペラ歌手のお坊さん

  • マジシャンのお坊さん

  • 書道家のお坊さん

  • 文筆業のお坊さん

  • テレビコメンテーターのお坊さん

などなど、世間の目から見ると、丸坊主の静かに手を合わせてお経を読んでるイメージのお坊さんが、ヘビメタバンドではっちゃけてる姿などには賛否両論ありますが、そのギャップに拍手する人も多いのが日本の良いところです」

僕:「なるほど。確かに、ギャップがあるキャラは話題になりますよね。昔テレビで3人の尼さんが、山でひっそりと自給自足で美味しそうな料理を作って、雑談をしながらご飯を食べる番組がありましたが、それだけで、なぜか心が穏やかになったものです。何かありがたい。平和だ。よし、僕も仲間を大事にしようと、自然に心に落とし込めました」

八幡様:「日本の多くの人は、見えないものに対して真摯に向き合える職業として、神に仕える人と、仏に仕える人を尊敬しています。見えないものに対して、心の底から信じて、懸命に汗をかきながら、言葉を唱えていく作業は、高貴で尊いと考えます」

僕:「確かにそうですね。人間が持っている、俗に言う煩悩を極限まで減らし、神や仏に対し、祈りを持って相対する姿は、情熱的で、深い愛があります」

仏様とともに

八幡様:「ではアニキ、今回のこの御本のタイトルですが、『仏様と共に歩もう』とは誰が誰に対して言っている言葉だと思いますか?」

僕:「そんなのカンタンですよ。それは作者が皆さんに対して、一緒に仏様の心で歩いていきましょうと呼びかけているものだと思いましたが・・・違うんですか? いや、違うんですよねどうせ絶対!」

八幡様:「はい違います。これは作者の、覚悟です」

僕:「覚悟? 何に対しての、覚悟になるんでしょう」

八幡様:「この本を読み進めればわかりますが、仏教を軸にして、ご自分の経験から得た知識を全開にし、あらゆる学びを得ようと行動に移すのが作者の生き方なのです。ですから、私は仏様の学びを中心にして、共に考え、共に動き、共に学び、皆さんと一緒に歩んでいきます。という我が心を込めたタイトルになっています」

僕:「す、すごい・・・そうだったのか。僕はまだまだ浅いなぁ」

八幡様:「浅くはありませんよ。アニキの場合、1度決めたら、とことんまで深く掘り下げることができる才能を持っています。それはアニキの読書法にあらわれています」

僕:「僕の読書法? ちょっと、それはイヤミですよね!」

八幡様:「嫌味ではありません。アニキは、本を読むことが苦手です」

僕:「はい、そうです。苦手です! 読むの、めっちゃ遅いです。なにか問題でもあるのですか?」

八幡様:「まあお聞きなさい。アニキの場合を厳密に言うと、読んでいるうちに脳内で深掘りしていってしまう癖があるため、ただ読むだけではなく、自分の物語として広げていき、どんどん遅くなっていくのです。たとえば800文字の文章があったとします。しかし、アニキの脳内では、それが8000文字になっているのです」

僕:「わ、わかるけど、なんでそうなっちゃうんでしょう・・・」

八幡様:「面白い癖だと思いますよ。文章を噛み締めて、その中にある意図を汲み取って、自分がその立場だったら、いや、自分が相手の立場だったら、そしてここから広がって、もしこんな事件が起きたら、自分だったらどう対処するか、どういう行動になっていくか、しかしなぜ作者はこのような表現をしたのか、この情報は真実なのだろうか、であれば、実際に自分でやってみなくちゃわからないかもしれない、ああでも今の僕にはまだ難しいかもしれないけど、いつかやってみよう。等々、アニキは、無意識のうちに、思考の中で、本の中の作者の思考とコラボレーションしてしまっているのです」

僕:「あ、はい。ちょっと変な読み方なんですよね、きっと」

八幡様:「変ではありませんよ。面白い読み方だと思います。本をさらっと読んでしまう人が多い中、じっくり、味わいながら、自分の立場に置き換えながら、相手の立場に寄り添いながら読むその読書法は、時間はかかりますが、とても有意義なものとなるはずです。くまちゃん読書法として、書籍化してもらいたいくらいです」

僕:「うん、絶対売れないと思います!」

八幡様:「売れますよ。まだ無意識のうちにやっているうちは無理でしょうが、だんだん自分の癖がわかってきて、それが面白い学びになるということがわかったら、ぜひ書籍化してください。国語力と、論理を深める力と、広く考える力が養われ、自分の才能を開花していくきっかけになり、何よりも人の心を大切にする、優しい人に育つ読書法になります。速読法の反対側をいく『遅読のススメ』を、いずれ書いてください」

僕:「ううーん、そんなニーズがあるなしは別として、読むのが遅いことが僕の中で少し劣等感だったんですが、救われました。ありがとうございます」

八幡様:「それでは本題に入っていきましょうか。堯友さんのお人柄について。あえて、ウィークポイントも含めてお伝えしておきましょう」

僕:「そうでしたね。そのポイントを克服すれば、メディアに引っ張りだこのキャラクターになり得るというお話でした」

遠慮なくどうぞ

八幡様:「はい。では、申し上げましょう。神の領域に、遠慮なく入ってください。遠慮なく、表現活動してください。遠慮なく、その名前を広げてください」

僕:「ほほう! 遠慮なく! この言葉がキーワードですね」

八幡様:「そうです。遠慮しているから、神のゾーンに入れそうで入れないのです。自分がその立場ではない。と勝手に決めつけているのかもしれませんが、ゾーンに入るか入らないかを決めるのは、あなた自身です。神でも仏でもありません。仏に使える身だから、と何を遠慮しているのでしょうか。遠慮せず、堂々と、伝えたいことを伝えてください。あなたが伝えれば、人々は納得します。納得した上で、行動に移すでしょう。そうすると結果がついてきます。その結果に対して、きっかけを作ったのは、あなたが遠慮せずにその言霊を、人々に与えることができたからに他なりません。どうぞ遠慮なく、人々の心に、気高くも温かい、友の心を差し上げてください」

僕:「いいですね! 堯友さん。遠慮なくゾーンにどうぞ!」

八幡様:「気を遣って、1歩引いて遠慮して、本当の心を使わないとなると、既にあなたを待っている人たちが、拍子抜けしてしまうかもしれません」

僕:「あ。なんだか、それ、僕にも言ってます、よね?」

八幡様:「表現をする人、すべてにお伝えしています」

僕:「ということは、これから何かしら表現をしようとしている皆さんは、遠慮する必要はないということでよろしいんでしょうか?」

八幡様:「もちろん、遠慮なくどうぞ。ただ、これは言うまでもありませんが、人の生き方を否定したり、差別したり、蔑んだり、全く敬う気持ちのない表現はしてはいけません。生きとし生けるものに、尊敬の念を持って、今生かされていることに感謝する心を保ちながら表現してください」

僕:「そして、八幡様がいつもおっしゃっている、謙虚に、強く、愛らしく」

八幡様:「そしていつも心は、清く、正しく、美しくありましょう」

僕:「はい。肝に銘じます」

おわりに

僕は堯友(ギョウユウ)さんと会話していると、自然に心が落ち着いてきます。それはなぜなのか。

それはきっと、信じることで、迷いが完全になくなっている方だからだと思うのです。これは、宗教だから、お坊さんだから、祈りのプロだから、というところではない、魂の深いところでご自分がわかっているのだと思うのです。

つまり、既に悟りを開いていらっしゃるのだと思います。

悟った方に、迷いはありません。

表現することを決め、使命感を帯びて紡ぎ出される言葉は心地よく、そしてどこまでも温かく、命に染み渡ってくるのです。

あらゆる話題を、読みやすい形に変え、それを読む人が自分で考え行動していけるように、押し付けがましさのないものになっているところは、本当に見事だと思います。

仏様とは、人が日々を感謝できるように奉られた、とても尊い存在です。その存在があるからこそ、人は明日を信じることができ、孤独に陥ることなく、人生というものに立ち向かっていけるのです。

生きていられることに感謝し、周りの人と喜びを共有し『ありがとう』という言葉を言い続けることができるのは、自分を大切に思う気持ちを率先してやっていた仏様がいらっしゃったからこそだと思うのです。

皆様、この本をぜひ読んでください。

ふと心が疲れたとき、涙が出そうになる時、自分の大丈夫の基準が壊れた時、ページを開いてみてください。

そこで飛び込んできた文字を、よく噛み締めてみてください。

きっと、必要な言葉が、目の中に飛び込んでくることと思います。

それほど、愛の言葉が、溢れている本だということです。

そして、みなさんも堯友さんに続いて、ご自分の中にある言葉を、紡ぎ出してみましょう。そして、それができたら僕に最初に読ませてください。時間はかかりますが、しっかり読み込んで、ここでまた感想を述べさせていただきます。

堯友さん。このたびは、素敵なチャンスをいただき、本当にありがとうございました。

次回作、楽しみにしております!


<お知らせ>

2/23に浅草東洋館で人形劇をさせていただきます!

ロードムービー的私小説、「三日月の輪舞曲(ロンド)」発売中です☆

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