出産記録
自分の記録用にインスタにあげていたものの加筆修正版を。
母子手帳に書かれた分娩時間(入院してから)37時間39分。
陣痛開始から自宅で耐えたの含めると73時間、約4日間の長い戦いだった。
臨月に入ってから前駆陣痛祭りで、お産進むように痛くなってきたらスクワットしたり階段登り降りするんだけど、その度に遠のく痛み。私の場合、じっとしてるほうが痛みの波がきてた感じ。
36週で子宮口1cmで、そのあとずっと1cmのままで検診行くたびに早く産みたいなら歩けと言われ、38週目に内診グリグリもされる。そこからおしるしも粘液栓も出て、そのへんから前駆陣痛も結構強めで間隔も5〜15分くらいだから本陣痛か?!って何度も騙されつつ、やっとこの日を迎えた。
6月15日(39週1日)
途中で痛みが遠のく時間もあるけど、ほぼ1日中前駆陣痛続いてるし、身体重すぎて全然身動き取れないし、早く産みたかったから母がイトーヨーカドーに買い物行くっていうので動くためについてってみた。
この時は動いてても珍しく比較的規則的な痛みがあって、6分間隔くらい。たぶんこれは本陣痛だったと思われる。この時点で朝10時。
痛みの程度は波が来ると、立ち止まって「うぅ〜痛い〜」て少し顔顰めるくらいの痛み。
イトーヨーカドーでお弁当買って(チャーハン餃子弁当)実家でお昼を食べる。相変わらず5〜6分間隔で結構痛い。
ガッツリおしるしもあり。
夕方家帰って、トロピ(旦那)も仕事から帰ってきたあたりから間隔はまばらだけど痛みも強くなって腰が砕けそうになる。
夜中に一旦病院に電話して、来てくださいって言われたから言ったものの、病院着いたら痛みが遠のく。NSTと子宮口みてもらうけど2cmで開いてないし、痛みも遠のいたから帰宅する。
しかしなぜか帰ってきた瞬間から痛み再来激痛…。このあたりから痛くて声が出る。
次の日(16日)朝イチで検診あったからとりあえずそれまでは、と耐える。朝までは陣痛の合間に死んだように寝て、痛みで起きての繰り返し。
6月16日(39週2日)
トロピも仕事休んでくれて、わたし的にもう入院する気マンマンで入院セットを持って朝イチ病院へ。
移動中も陣痛来ると痛くて動けなくなる。トロピにしがみつきながら合間に移動してどうにか到着。
痛すぎて待合室でも声出さないでいるのに必死。
陣痛きたから早めに診察してほしいと懇願するも、ガッツリ待合室で待たされる。
他にもたくさん妊婦さんいる中でなるべく静かに痛みに悶絶…これがマジで辛かった…。
やっと内診とかしてもらうも子宮口2cmと変わらず。
看護師さんに「家にいる方がお産進むから一回帰りましょ〜また状況変わったら連絡下さいね〜」と言われる。
すでに間隔で5分で痛みも自分的に強強でこれ以上どう状況変わるのか不明だし、移動が辛すぎるから入院したい私は「もうだいぶ痛いけど、間隔2.3分にならないとダメな感じですか?」と質問。
「そういうわけじゃないけどねぇ。まだ子宮口開いてないし、とりあえず帰ってまた午後とかに連絡してね〜」と強制帰宅宣言。
子宮口開いたどうかなんて自宅でわからねぇよ!と心の中でブチギレながら、再度痛みに悶えつつ帰宅。
家ではもう「あ〜〜痛い〜〜」と近所迷惑にならない程度に叫ぶ。(迷惑になってたかも)
痛みに耐えることしかできないのでトロピがウィダーとかポカリとか定期的に飲ませてくれる。
子宮収縮の痛みというか腰〜肛門がとにかく痛い。胎動カウントもできなくなってるのでトロピがカウント。痛みは強いものの間隔は3〜13分とまばら。
18時頃病院に電話。しかしまだ来るなと言われ、絶望。
このくらいからトイレに行くのがしんどかった…頻尿なんだけど、おしっこしようとすると陣痛がくる。トイレに座った体勢で痛みに耐えるのが辛い&いきみそうになる。
22時頃ついに限界を迎え、再度病院へ電話。
胎動感じますか?と言われるも、「痛すぎてわかりません」と返答←
胎動もわからないならとりあえず来ていいよって言われて、病院へ。
家出る前に急に気持ち悪くなって第1回ゲロする(笑)
病院ついて、入り口で車椅子に乗って看護師さんのお迎え待ってる間もクソ痛い。痛すぎて入院前最後なのにトロピとちゃんとバイバイできなかった…
まずNSTやるんだけどその間も痛い。赤子は特に問題なし。先生きて内診されて、子宮口4〜5cmだから入院していいよと言われる。やっと!入院!!!
分娩台で診察されてたんだけど、陣痛室入るまで結構放置される。隣の部屋から声が聞こえて、お産中の様子。仕方がないが辛い。
そんな中また気持ち悪くなる。しかし近くに誰もいないし忙しそう…手の届くところにビニール袋を発見したので1枚勝手に拝借し、第二回ゲロ。
ちゃんと周りを汚さないように吐いたわたしは偉い。
そのあと陣痛室へ移動する。
薄暗くて、他にも数名いるようだがみんな静か。
とりあえず夜中わたしも空気を読んで(?)なるべく声出すのを我慢する。
肛門の違和感やばくて横たわれないので、ベッドギャッジアップして左足だけあぐらかくみたいな体勢が1番楽だった。パラマウントベッド最高!
家では再起不能だったけど、病院に移動して緊張からか少し余裕が出てきたので、この頃は1人でちゃんとトイレ行ってたしどうにか飲み物も自分で飲んでた。
17日(39週3日)
夜中は比較的静かに過ごしてたけど、朝方から痛みに耐えられなくなって控えめに叫び出す。ナースコールも押しちゃう←
この頃から肛門が爆発しそうな感じが強くなって、助産師さんに押さえてもらうと楽になるため頻コール。
朝ごはん配膳されるけど、摂取拒否して痛いと騒ぐ。
助産師さんが肛門にテニスボールを当ててくれて少し和らぐ。これから産む妊婦さん、出産にテニスボールは必須ですよ(個人的な感想です)
でも陣痛はすんごい痛くて、部屋も明るくなったので徐々に大声で叫び出す。アンド、ナースコール連打で日勤の担当助産師さんをキープ。部屋を出て行っても陣痛来る度にナースコールする迷惑患者となった。
子宮口は相変わらずなかなか開かず4〜5cmのまま。さりげなく破水してたようで抗生剤の内服も始まる。
担当の助産師さんがわりとそばにいてくれて(ナースコール連打してたからだけど)途中お産進むように歩いたりスクワットしてみませんかと言われて、やると答えると褒められる。嬉しい。
でも動こうとすると陣痛きてベッドから降りるのも一苦労…どうにかデイルームまで歩いて飲み物購入(というミッションをさせられてた)。この間も3回くらい陣痛きて、昼間の病棟の廊下で悶絶。立ってるのがしんどすぎてやばかったけど担当助産師さんの肛門押さえるの上手くて救われる。
病棟内はお迎えにきた旦那さんや業者の方もいるのに、ノーブラでガウンしか着ていなかった上に、胸元もはだけてて少し気になったけれど、陣痛中はそれどころではなかった。
その後もなんとかイス(?)に座ったりするもなかなか子宮口は開かず。この頃になるとトイレにも行かなくなって促されるけど拒否。
トイレまで付き添いしてもらって、トイレの前で待機するからって言ってくれてしぶしぶ行く迷惑患者全開(笑)
でもおしっこ出ないので導尿される。ちょっとビビってたけど導尿全然痛くなかった!
トイレに行って起こる陣痛の痛み>>>>>>>>>>>>導尿の痛み。導尿なんかツンって針で突かれる程度の痛みで陣痛に比べればへのかっぱ!
陣痛来るととにかく大絶叫して、ナースコール押すから担当助産師さんはとても大変だったことでしょう…
ついには「どこにも行かないで、そばにいてほしい」と絶対に言ってはいけない迷惑ワードを発するのだった。
だけど、優しい助産師さんそばにいてくれて、お産進むようにおっぱいマッサージしてくれて、その結果人様に乳首を弄られながら陣痛の合間に意識を飛ばすという経験した。
気絶しながらも陣痛の間は大絶叫。
「あーーーーー!!!!いたーーーーーい!!!!痛いーーーーー!!!あーーーーーーー!!!!!!」とジェットコースター乗ってるんかバリに全力で叫んだ。叫びながらこんなに室内で全力で叫ぶことってないよな〜と陣痛の合間に冷静に考えたりもした。
黙ってふぅーふぅーって息吐くのは無理すぎたし、声我慢するといきんじゃうし、自分的には叫ぶのが1番楽だった。
あとトイレに行けって言われてしぶしぶ行くけどおしっこしようとすると陣痛くるし、いきんじゃいそうになるしで最悪。
あとずっとうんこしたい感覚があって、出そうとするといきんじゃうし、うんこも出ないし不快。そんでおしっこ出ないのでまたもや導尿。
それでもなかなかお産は進まず、ついに勤務交代の時間に…。
準夜になったら助産師キープできないのはわかってるので「助産師さんいなかったらどうやって陣痛に耐えればいいかわからない」と駄々をこねる。日勤の超優しい助産師さんはわたしを優し〜く慰めつつ帰って行った。
挨拶に来てくれた準夜の助産師さんに「忙しいのはわかってるけど、ナースコール押しちゃう」と宣言(最低)
助産師さんに「わたしさん、夜は人少ないからナースコール全部は来れないかもしれないです」と普段自分が頻回コール患者に言ってたセリフを言われる側になる(笑)
どうやらこの日はお産ラッシュだったみたいで助産師さんバタバタしている様子。
一応頑張って3回に1回くらいのナースコールにはした←
ギャーギャー騒ぎつつ、夜19時くらいに助産師さんに内診してもらったとき子宮口全開かも!ってなってついに分娩室へ!やったネ!!!
しかし、何部屋かある分娩室が埋まってて、片付け中だからもう少し待ってと言われる。
片付け終了後陣痛と陣痛の合間にお股を助産師さんに押さえられながら気合と根性で走って分娩室まで移動。
移動したものの「初産婦さんは時間かかるから!」と分娩室に一人放置される。
今日中に産めるかな…と思いながらやや陣痛が間延びしてきたのもあって、急に冷静になって分娩台の上でようやく関係者各位へLINEで進捗状況報告。
入院してからずっと携帯放置してたので、めちゃLINE来てた。
また徐々に陣痛戻ってきて痛すぎて絶叫&ナースコール。
めちゃくちゃ忙しいみたいでだいぶシカトされる(笑)
どんなに苦しんでても叫んでても先生も助産師さんもドスルーつらぴだった。
たまーに助産師さん来てくれて「わたしさん、まだいきんじゃダメ!どんなに叫んでもいいから力入れない!」と柵を握る手を剥がされる。胸の上に手を置かれるものの、普通に無理だから剥がされた瞬間柵掴んだ。
2時間くらい経ってやっと先生きて内診。
まさかの「子宮口8cmくらいで全開じゃないよ。陣痛室戻ろうか〜」と言われて絶望やばい。
(たぶん、わたしがうるさすぎるから助産師も早く産んでくれや〜って思って、そのせいで子宮口全開!って思いたかったんだと思うよ。申し訳ねぇ。)
更に「ちょっとこのままだと体力もたないから少しお薬使って寝ましょう。休んでる間にお産進むこともあるからね」言われる。
いや、寝られるなら寝てるし休めるなら休んでるよ。痛いのよ、陣痛ってすげー痛いの。数分おきに強烈な痛みが来るから寝られないの、先生知ってる?薬使って寝られるなら早くやっちまってくれや。と、チベットスナギツネのような顔で思う。
この時22時くらいだった気がするけど、忙しいようでまた放置されつつ、陣痛に耐える。
分娩台の上だと体勢がキツすぎてそれもすごくしんどかった。腰が痛いけど陣痛に耐えるには横向きはなれないし、身動き取れないしで死ぬかと思った。
結局0時くらいに陣痛室に強制送還されて、先生きて何かの薬を筋注。
こwwれwwはwwwもはや夜中に暴れるせん妄患者と同じ対応じゃないですかwwwwwww
わたしも夜勤中に精神科の先生にコールして大暴れする患者さんにやってもらったことありますぅwwwwww
アタなんとかいう名前だった気がするけどアタPではなかった。筋弛緩薬的なものだったのかなぁ?
その後2〜3時間記憶なし。起きた時お股がすごいジンジンして痛くて、また陣痛も始まって痛いけど頭がぼーっとしてる感じ。
起きてすぐナースコールして(おい)助産師さんに「よく寝ました。お股がジンジンしたけどテニスボールが入ってて〜○△×%¥◎」ってよくわからんこと言った記憶がある(The☆迷惑)
「あら〜もう起きちゃったのねぇ」と言われたような。
覚醒してからまた徐々に痛みを強く感じるようになってきて深夜にも関わらずそこからまた絶叫タイム開始。
もう周りのことは全く考えられなかった。
せん妄起こした患者さんも筋注後、2〜3時間で起きて叫び出してたし、起きた瞬間からナースコール連打してたけど、これはやるわ。って思った。
せん妄状態を体験できた瞬間だった。
6月18日(39週4日)
どうにか朝を迎え、昨日破水してたので朝イチで採血実施。
そしたらまさかのCRP13点台にブチ上がってて、抗生剤は内服から点滴に変更。熱は37.0℃くらいで特に自覚症状なし。
15日の昼にチャーハン餃子弁当を食べて以降ウィダーインゼリーと水分しか飲めてない&寝不足&長時間の陣痛で瀕死状態で食事が配膳される度に助産師さんからは吐いてもいいからご飯食べようと言われたけど、とてもじゃないけど食えない。介助されて水分飲むのが精一杯。
9時くらいに先生3人くらい来て、順番に内診される。陣痛痛すぎて内診グリグリされてもなんとも思わない。赤子の頭の位置がまだ横?向いてるね〜と話してるのをお股おっぴろげて聞く(笑)
研修医と思われる男の先生が不慣れな感じでそっとおっぴろげたわたしの足に、そっと手を添えて内診されて急に芽生える羞恥心。
結局そのあと、陣痛微弱という診断で促進剤使いましょうと説明されて同意書にサイン。
促進剤でも腹切ってもいいし、何でもいいからとりあえず早く出したいという気持ちのみ。あともう2度と出産したくないと強く思った。
だけど、痛いと大絶叫するし、ナースコール連打するけど、もうやめたいとかもう腹切ってくれ(今すぐ切ってもいいとは思ってた)とかどうにかしてくれとか、そういうことは言わなかったのは褒めてほしい(笑)
気付けば陣痛室にはわたし一人。日勤さんが来たので本日も担当助産師さんキープ←
「今日中には赤子出したい…」というわたしにテンション高めに「いや、午前中のうちに産みましょ!」と言ってくれた助産師さんに感動。私のやる気もアップ(単純)
早速促進剤開始して、何分おきかに流速アッと血圧測定。助産師さんやる気すごくてガツガツ流速上げていく。すごい。
促進剤始めて痛みが強くなった感覚はないけど、陣痛間隔がちゃんと短くなった気がする。あと肛門が爆発しそうな感じがMAXすぎて全く身動きが取れない。今日も助産師さんの肛門押さえ術は素晴らしい。
内診された時に破水はしてるけど高い位置でしてるから、残った羊水が水風船みたいに子宮口のあたりでパンパンになってるから肛門の違和感が強いんだと思うと教えてもらった。なるほどですね。
陣痛中も内診したいからと手を突っ込まれたまま陣痛を迎える。これがまたしんどい。
あとおしっこも出ないのでまた導尿。トイレ行くより導尿のほうが楽だし、もう導尿して下さいって言った。
促進剤始めてわりとすぐに子宮口は全開になったものの、赤子の頭がなかなか回転しないから四つん這いになりましょうと助産師さんに促されて、ギャッジアップしたベッドにもたれかかり、四つん這いの姿勢になる。体勢変えるのがめちゃくちゃ大変だった。
病棟は9階で高さがあるので、すごい景色がいい。ベッドの頭側が大きな窓で、頭側を向いて四つん這いになってたから窓から街の景色がよく見えた。
すごい良い天気で、青空が広がってて太陽が眩しかった。必死にいきみながら忙しすぎる夜勤明けの時と同じ気分になった。自分のテンションに対して青空が爽やかすぎて辛い。
陣痛が来ては「もういきみたいのが我慢できない、痛い、肛門爆発する、痛い痛い痛い〜〜!!!」と大絶叫。
そしてまた突然気持ち悪くなってゲロタイム。吐く時はちゃんと「あ、ちょっと吐きそう」と宣言して袋に吐いてるのまじ偉い(普通のことでした、すみません)
「もう我慢できない時はいきんでもいいですよ」って突然助産師さんから許可が降りて、早速いきむ。
3回目くらいでボンッ!!って音と共に破水。
言わなくてもわかるけど「あ!破水したァ!!!」って大きな声で叫んだ。
水風船が割れた時みたいに勢いよく股から水がジョバーって出てベッドとガウンがビッショビショになる。羊水まじ臭い。すごい臭い。精液の匂いする。まじで。
いきみまくってるうちに分娩室の準備ができたようで、陣痛の合間に走って移動(2回目)
もう今度こそ!!とやる気満々だから分娩台にも積極的に登る。迅速に行動した。
この時たぶん11時くらいだったはず。
バタバタして部屋に誰もいなくなったりすることあって一人で何回か勝手にいきむ。途中不安になって「看護師さーーーん!!!」と叫ぶ。
担当じゃない上級医の先生がたまたまいたらしく様子を見に来てくれてその先生がお股押さえててくれる。
いよいよ準備整ってきて先生も集まった時に助産師さんになるべく会陰切開したくない、するなら黙って気付かないようにやってほしいと告げる(こんな時でもワガママ放題)
突然だけど、なぜわたしが会陰切開を嫌なのか、説明させてほしい。わたしがまだ看護学生だった時、母性実習でお産に立ち会ったことがあった。その時の産婦さんも会陰切開をしたんだけど、看護師になりたいなら会陰切開くらい見れなくてどうする!!見ろ!わたし!逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ!!!と思って会陰切開部を凝視したことがあった。会陰切開部はまるで漬けマグロのようで結構グロくてクラッときたわたしにとってトラウマになってしまったのだった(倒れるのは耐えたよ)
そして話は戻るが、会陰切開しないためにはゆっくり会陰を広げる必要があるからまだあんまりいきまないほうがいいって言われて、それはそれで無理。もういきむよ、わたしは。って思った(最低)
何やかんやいきんでるうちに「頭見えてきてますよ〜」とか言われて、わたし出産してるんだ…よくテレビで見る場面やってる…と急に思う。
意外と周りからの声かけはちゃんと聞こえてて、状況把握はできてた気がする。ただ、陣痛中は完全に正気を失う。
教えてもらった通り、声出さないで目を開けてお腹見るように一生懸命いきむ。1回の陣痛で2〜3回いきむのが限界。
だいぶ赤子が降りてきたあたりで脇に立ってたお股押さえてくれた先生から「あー、これ切らなきゃダメだなぁ。会陰切開しますね!」って全力の笑顔で言われる。
「……はい。」少し悩んで覚悟を決める。会陰切開嫌という感情よりも早く出したい気持ちが勝った瞬間だった。
お股に麻酔された直後に陣痛きて、我慢できずにいきむ。お股がパッツンパツンに張ってる?広がってるのはわかるけど思ってたより痛いという感じはなかった(決して痛くないわけではない)
必死でいきんでたら突然周りにいた4人くらいから「もういきまないで!!!!!!!!」ってすごい止められて慌てていきむのをやめた。
そしたらドゥルンってお股から出てくるあったかい感触あって、赤子が見えた。赤子なだけあって赤い!(本気で思ったよ)
思ったよりも小さい産声が聞こえて、ホッとしたと同時に「終わった〜」って思った。
2021年6月18日午前11時34分2844gの女の子を出産したのだった。
出産前にYouTubeでお産の動画とか見て毎回感動して泣いてたけど、自分の時は感動とかもあんまりなくて。全然涙とか出ないし、やっと終わった〜って達成感のが強かった。おめでとう、わたし!!!
そのあとは同じ室内の遠くのほうで赤子が色々診てもらってオギャーって泣いてるのを聞きながら脱力。
うんことおしっこしたの〜って声が聞こえたのを覚えている。
わたしのほうは上手く子宮が収縮しなかったみたいで、胎盤もなかなか剥がれないと。点滴全開投与されて先生に「ちょっと手入れるから痛いよ」って言われてもう勘弁してくれ〜って思いながら、「はい」って返事した。
お腹ゴリゴリされながら胎盤出されて、気持ち悪い&痛い。こんなに大変だったのにまだやるのかい!って本気で思ったし、もう赤子出しちゃったから頑張ろうって気持ちもなくただしんどい。
やっと胎盤出して、そのあと子宮収縮確認されてお股縫われる。
会陰切開は結局麻酔はしたもののわたしが我慢できずにいきんだから切開間に合わず。
でも切ろうとしてた位置に切ろうと思ってた感じに裂けたらしく、実質会陰切開したみたいになった。縫う時は先生にめっちゃ麻酔して下さい!って言ってちゃんとキシロ使ってもらったから全く痛くなくて済んだ。
その後もほとんどお股は痛くなかったから円座も特に必要なし。
会陰切開されなかったから会陰切開のトラウマは乗り越えられず終わった。
しばらくして赤子がわたしのとこ戻ってきてカンガルーケア。
胸の上に乗せられた赤子はあったかくてお肌スベスベで思ったよりも重くて可愛かった。そんで早く自慢したいので分娩台で2時間休む間に家族とかにテレビ電話しまくる。
入院してから充電してなかったから充電切れそうだった。
まず1番にトロピに連絡したんだけど、そこで初めてトロピ熱発したことを知る。そのせいで電話してわたしの第一声が「え?熱出たの?大丈夫?」だった。
でもテレビ電話して無事に産まれたこと報告して赤子見せて、安心したって泣いてくれたのを見てすごい心配かけたんだなぁと。コロナで立ち会いができないのに連絡もろくにできず、不安の中トロピも待っててくれたんだろうな。仕事終わって家にいてもいつ連絡が来るかわからないからってちゃんと寝られてなかったようだし。体調を崩すほど疲労困憊だったのね。早く会いたくなった。
2時間経って部屋移動する時「歩けますか?」って言われて元気よく「はい!」って言ったのに起きたらめちゃくちゃクラクラして歩けず車椅子で移送されることに。出血量は結構多かったみたいで翌日の採血でHb10点台からまさかのHb7.4まで下がっていた。先生曰くカウントできなかった分を含めると1リットルくらいは出たと思われると。貧血はしんどかった。
部屋に戻ってすぐ食事出されたけど、4日ぶりの食事は伸びきってブヨブヨになったうどんだった。
それでも美味しかった。お出汁が身体に沁みる。
食事と共に赤子も連れて来られて、そのまま母子同室が早速始まる。おっぱいあげたりオムツ変えたり好きなやつにやってね!と言い残し、去ろうとする助産師さん。わたしの中のキムタクが「ちょ、待てよ!」と言いそうになった。おっぱいのあげ方わからないし、新生児の赤ちゃんのオムツなんて替えられないヨォ〜と嘆くも、スパルタ助産師さんは「わからなかったらそのとき呼んでね!じゃあ!」とカーテンの向こう側に消えていったのだった。
赤ちゃん、わたしの赤ちゃん。やっと会えたね。無事に生まれてきてくれて嬉しいよ。ありがとう。恐る恐る抱っこしたときの、あのあったかさと柔らかさと幸せな気持ちは一生忘れられない。
赤子と対面してさらにハイになったわたしは更にそこから2日間くらいほぼ寝られず。一生起きて授乳してるわたしにベテラン助産師さんが気付いて赤子預かるね!って連れていってくれるまで休もうと思わなかったの怖いよね。
貧血でも寝てなくても結構元気だったから人間ってすごい。
あと、出血が多かったせいか、そのあとしばらく頻脈で脈が130回/分くらいだった。たぶんDrコール値にかかるから助産師さんたち毎回深呼吸してくださいねぇって言いながら何回も測り直したりするんだけど、物理的に血液失ってるから深呼吸しただけじゃ数値戻らんのよね、ごめんなさいって思ってた。
あと体重。赤子だけで約3kg出してるのになぜ2kgしか減っていないのか。いい加減にしてくれたまえ。噂には聞いていたけど辻褄合わなすぎてビックリだったよ。
そして、出産で後悔があるとするならば大学病院で飯マズだったのと選択権なくて大部屋だったのは残念だった。もし次があるとしたら飯うまと個室がいいなぁ。絶対無痛にする!とも思ってたけど、今は出産の痛みを具体的に覚えてないので、無痛じゃなくてもいいかもなーと思ったりする。
お産終わった直後はもう2度と出産したくない!と思ったけど、痛かった、辛かったのは覚えてるけどどんなふうに痛かったとかたった数ヶ月で忘れちゃうから不思議。周りの人も忘れちゃうのよ!って言ってて、こんな辛いの忘れるわけねーだろアホか!!!!って思ってたけど本当でした。忘れたくないことも忘れるのは困るけど。あとは、陣痛中叫び倒して悶絶してるところとか、赤ちゃん生まれる瞬間とか撮っておけばよかったなぁ。
身にしみて思ったのは出産は命懸けであること。今回の分娩時特に大きな問題はなかった。だけど、子宮口全開になったとか、いきんでいいタイミングとかも、自分1人ではわからない。結局促進剤を使わなかったら産まれるまでどれくらいかかっていた?もしかしたら長時間の陣痛中赤ちゃんの心拍が落ちてしまっていたかもしれない。分娩直後、なかなか胎盤が出なかったし、子宮収縮がイマイチで投薬で収縮を促したことを考えると、そういったことができなかったり、なかった場合わたしは出血死をしていた可能性もあるわけで。現代は薬があったり、医療の進歩のおかげでそういったことも特別なことではなく当たり前に対応してもらえるし、おかげで問題なし、ということになる。
たくさんの犠牲のもとに今の医療があると思うと、本当に有難いし、その時代の人にとっては辛くて悲しいことだけど、おかげでわたしは無事に出産することができました。赤子もとても元気に産まれることができた。ありがとうございます。
そして今日赤子が産まれて1年経って、すごく成長してくれた。身体も大きくなったし、できることもたくさん増えた。自分で立ち上がって、1.2歩歩くし、言葉を理解し始めて、少しづつ喋るようにもなった。
これからもどうか健やかに成長して、その姿をそばで見守らせて下さい。
あと、11月にお姉ちゃんになるのも楽しみだなぁ。
とんでもない長文失礼しました。
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