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清澄アキラの一考察【ブルアカ】


注意!!!!!

このnoteにはブルアカイベント「白亜の予告状 虚飾の館と美学の在り処」のネタバレが含まれております。ご注意ください。また、宗教的視点を含んでおりません。そういった考察をお求めで無い方向けです。

前置き

清澄アキラという人物は怪盗である。そこに間違いはない。つまりは窃盗犯である。ここでWikiで窃盗犯について調べてみよう。「倫理的・道徳的に反社会的行為とされ、また、法的にも、不法行為責任および刑事責任が問われるのが通常である。」との記述。つまりはただの犯罪者である。

このnoteでは、そんな犯罪者である怪盗になった経緯を妄想し幻覚をキメるモノである。

シナリオ理解

『ええ、そうですとも。これが美に送る私の一途な愛。我が身を尽くし、慈しむ―故に「慈愛」。』
上文は清澄アキラが、自分自身のことを表現した一節である。美に限定した自己犠牲も伴った究極的な慈しみ。盲目的である。

ただ、慈愛の怪盗が美に対してのみの慈愛を行っているかと聞かれれば、それは違うとなる。
イベント中で落ちたミドリを抱き抱えて助ける描写が確かにあるためだ。
ここからわかるのは慈愛の怪盗は確かに、慈愛の心を持っているのである。
もし、今イベの続編が出て清澄アキラの出るシナリオが出た時、清澄アキラに対して「美術品か他の知り合いの生徒か」という究極的な問を迫られたときにきっと清澄アキラなら生徒を選ぶであろう。(幻覚)

清澄アキラが怪盗となった経緯をイベント中からまともに読み取ると「美術品の価値みんなわからなすぎワロタ。私しか美がわかんないなんて、こんなん美術品がかわいそう。なら私の管理下に置いたほうが美術品が喜ぶじゃんねー?」といったところだろうか。
ただ単純に見るならば清澄アキラが、自己中心的に行動していると捉えることができる。
ただ、その後の文に『価値を理解する人がいなければ、その存在はあっけなく闇に埋もれてしまうもの。いつの日か、日の理解者が現れることを願って―』とある。清澄アキラはただ単に、共感者が欲しかっただけなのではないか。(考察1へと続く)

『呼び名とは、他者に規定されるもの。それは名に留まらず、価値や役割に通ずることです』

(↑なんでこいつ呼び名についてこんなに語っちょるん…?)
ここからわかるのは慈愛の怪盗という呼び名は他者から呼ばれた呼び名であって、自分から呼び始めたというわけではないということだろうか?ということはつまり行為が先であって、理念は後付けということだろうか?
上の文章の続きにこうある

『例えばそう、世間が私を慈愛の怪盗と呼ぶように。もちろん、世の中には端から私を理解する気のないものもおります。「狂った偏愛者」と後ろ指を指されることだって。故に、先生が彼らと同じじ思いを抱いたとしても―』

自分はここまで読んで、どうも怪盗業務に対しての言い訳のように感じた。清澄アキラは根っからの悪党ではなく、善人が悪党を演じているのではないのだろうか。
怪盗行為に対しては誇りを持って行っている。しかし、怪盗ということを行っていることに対しては清澄アキラが善人であることも相まって負い目を持っている。
もしそうだとしたら、この後の先生の返答はどんなに清澄アキラの支えになっただろうか。

『簡単に分かった気になるつもりはないけど、生徒の気持ちに寄り添って、見守るのが私の役目だから。(世間から後ろ指をさされながらも怪盗でああり続ける清澄アキラを)大人として、先生として理解したい』(一部要約)

その後、なんかもうFateSNの桜√『もし、わたしが悪い子になったら先輩は叱ってくれますか?』がそのまま当てはまるような問答をし、名前を告げ去っていく

『それでも、私たちは努力することを諦めないべきだ…と?』<-ゔぁにゔぁに
上のゔぁにゔぁにしてる文章、何に対して努力するのかわからないので以下割愛

考察1

モノの感じ方とは人それぞれである。特に芸術品、美といったものはあおさらである。(こっから幻覚パート)清澄アキラという人物は小さい頃から愛を持って美を見て育ってきたのだろう。成長とともに慈愛の心(この段階では美に対してのみではなく、博愛的な形で持っていたのでは?)と自分の審美眼が成長し、特に審美眼が絶対となっていった清澄アキラは凡百の人間と自分の差を感じて、そこで「美術品は私だけしか美がわからない」という思想と美に対しての絶対の慈愛の心が生まれたのではないのだろうか。こういった経緯で慈愛の怪盗となったという解釈が1つ目だ。
もしここに、清澄アキラの美の共感者がいれば、彼女は慈愛の怪盗という犯罪者にならず、慈愛の心を凡百の人間にかけ、評論家や美術商として審美眼を遺憾なく発揮できたのでは無いだろうか。自分以外に美がわかる人間がいるのだから。
彼女は今でも求めてるのだろう。美の理解者という自分以外の絶対の審美眼の持ち主を。全ては美術品のために。

考察2

考察2を語る前にヘッドカノンとして、清澄アキラはワイルドハント芸術学院(PV2と多少の文章にしか出てこないとかいう謎しかない学園)所属とします。

幼い頃から裕福な家庭で優しい両親に育てられ、同時に多くの美術品と共に育ってきた私は流れでワイルドハント芸術学院に入学した。
別に私は芸術がてんでダメというわけでもなく、入学する前は平穏無事な学院生活が送れるだろうと思いこんでいた。しかし、現実は非常であった。
この学院にはある種の天才しかいなかったのである。
それぞれの生徒がそれぞれの美を表現している。
それぞれの生徒がそれぞれの世界を作っている。
しかし、私には美術品を見ることはできても感じることができなかったのだ。
私には自分の美なんてない。
私には自分の世界なんてない。
そんな環境にいるのが苦しくなった私は自分の美や世界を既存の美術品に求めた。
今ある美術品は良い。何故ならばそこに美があると証明されているから。
私は美術品にのめり込んでいき、その中で美術品をみる他の視線に気づいてしまった。感じるために努力して、愛して見る私の視点とは全く違う、ただ見るだけの視線に。
私は美術品を愛している。
彼らは美術品をただ見ている。
私はそこで気づいた。愛しき美術品がこんな凡百の視線に晒されるぐらいなら私だけが愛せればいいのでは、と。
しかし、私はあまりにも育ちが良すぎた。善良な人間から盗むのは気が引けた。そこで裏市場の話を耳にする。そうだ。裏市場から盗むのならば社会のためにもなろう。義賊にもなれるだろう。
そういった経緯で私は、「慈愛の怪盗」となった。

(こっから更に捏造)
シャーレの先生を知ってしまった。
自分を認めてくれた。
そして、自分の美を知ってしまった。
初めて自分で心を選択した。
逸るこの気持ちの名前を、いつか盗みにいかなくては。

(解説)https://twitter.com/_orikage/status/1653364074451996673?s=20


あとがき

考察2、ただのSSじゃねぇか!こんなはずじゃなかったんです。追加の捏造はもはやなんやねん。いみわからん。

清澄アキラというキャラクターは文章量が少ないくせに言ってることが難解且つ複雑で自分の中での解釈をまとめるのに苦労しました。今でもわかっていません。なんなのこの子…
ただ大好きです。普通に心を奪われました。この子の解釈を深めてくにつれて更に大好きになりました。

P.S.

私が芸術だったり美だったりに興味を持った理由はサクラノ詩及びサクラノ刻のお陰です!!!!!!!!!!!!!
みんなもやろう!!!!!!!!!!!!!草薙直哉の大ファンになろう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ちなみに私は素晴らしき日々をプレイしていません。やれ

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