関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典について。私が当日そよ風にカウンターすべきじゃないと考える理由。

#静かな関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典を守ろう

歴史修正主義や差別排外主義は、私にとって我慢のならないものです。
そこは、そよ風へのカウンターを考えていた、あるいは考えている人も同じだと思ってます。

関東大震災時に、多くの朝鮮人への虐殺が起きたことは、議論の余地の無い事実です。中国人も虐殺の被害にあいました。被害者の中には、ろうあ者などの日本人もいました。

私が追悼式典の存続がいまは一番大事と考えるのは、日本政府がいまだに公式な謝罪も、虐殺への責任も認めない態度を取り続けるからです。

いまだに謝罪が行われていないのが悲しいです。ですが、虐殺があった事実と、謝罪が行われていないことへ問題意識を持つ市民の手によって、追悼式典が毎年執り行われることで、私たちは繰り返し事実を思い返し、若い人たちに伝え続けることができます。

私の祖父は虐殺の目撃者だと聞いています。逃げまどい虐殺される朝鮮人の姿を、なす術無く見ているしかなかったそうです。
同じ経験をするのは絶対に嫌です。繰り返さないためには、事実を引き受け、責任を負う必要があります。

けれど私たちの未熟な社会は、いまだに真実に耐える力を持っていません。それは、理不尽な暴力が正当化された時代から、進歩できていないということです。いつでもまた、同じような暴力が正当化されてしまう可能性があるということです。

そよ風を含む、一部の差別主義者だけの問題ではなく、私たちの社会全体が抱える根深い問題です。そよ風を実力で排除したところで、そよ風のような歴史修正主義者が堂々と活動できてしまう社会はビクともしないでしょう。変化には時間がかかります。
そのうえ追悼式典の存続が危ぶまれる可能性があるなら、もどかしくても追悼式典を未来へ繋ぎ続けることを最優先にすべきです。

良心を手放した人たちにとっては、歴史を書き換えることなど些細なことです。それに対抗して、事実を確認し語り継ぐのは根気が必要です。
権力者が虐殺の被害者を「震災での死者」と書き換えようとしても、良心を持つ市民による虐殺被害者のための追悼式典が続けられれば、私たちの社会が真実と向き合うチャンスが増えます。歴史修正主義者に力を与えてしまっている現状を見るにつけても、いま最も優先すべきなのは追悼式典の存続です。

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