横網町公園20200903-2

横網町公園のザクロ。あそこへ行くと歴史が重すぎるように感じられて、リラックスして好奇心のまま動き回る気にならない。いろいろな木が植わっているのに、今日はじめて気がついた。重さは変わらないけれど、何度も行くと慣れてしまうのね。

子どもの頃に舌ったらずな話し方をしていると、父は「十五円五十銭を言えないと殺されるぞ」とからかってきた。いま思うとなんて親だ。このことに限ったことではないけれど。

父は祖父(私から見た曽祖父)から、当時の虐殺の話を聞いていたそうなので、その出来事との距離感が、父と私ではまた違うのかもしれない。

以前に父から何度か聞いていた、曽祖父が目撃した朝鮮人虐殺についての話を、今年の関東大震災の日には改めて聞いてみた。メールで。

震災時に曽祖父は家から少し離れた場所にいた。家族が心配で急いで家に帰る途中で、自警団から逃げるために電柱に登っている朝鮮人を見たそうだ。

そこへサーベルを下げた巡査がやってきて、朝鮮人に対して、守ってやるから降りて来いと話しかけた。朝鮮人は怯えているのでなかなか降りてこない。けれど巡査が何度も、安心して!と声をかけるので、ようやく降りてきた。

その朝鮮人がもうすぐ地面につくかという時に、その巡査は持っていたサーベルで殺したそうだ。父のメールにはもう少し詳細が書かれていたけれど、ひどい殺し方だった。
巡査は朝鮮人を殺した後、逃げていったという。

曽祖父は孫である父に、あの朝鮮人はかわいそうだったと何度も話していたそうだ。
曽祖父は虐殺に直接的には加担していないけれど、自分の生きてる社会で虐殺が発生したら、善良なだけでは止められない。この話を聞くたびにそう思っていた。

虐殺の事実を正しく伝えて、こういうことを私たちはしてきたんだと伝えることが、二度とあんなことを起こさないことにつながると信じている。義務教育で関東大震災について教えるとき、一緒に朝鮮人虐殺のことも教えたらいいのにね。

今日の夕方の横網町公園では、学校帰りの子どもたちが遊んでいた。あそこは地域の人たちの社交の場でもあるらしい。横網町公園は美しくて、地域の人に愛されてる場所だ。

97年前は震災後に避難してきた大勢の人たちがここで焼け死んで、2日前は97年前の震災で亡くなった人のための法要と、震災後の虐殺の被害者への追悼式典と、虐殺を否定して被害者を侮辱する歴史修正主義のヘイト団体によるヘイト街宣があった。今日は子どもたちが遊んで、地域の人たちが憩っている。この複雑さと単純さがわかるようでわからない。ヘイト団体がとにかく邪魔すぎるのだ。

公園のイチョウは少しずつ紅葉がはじまっていた。イチョウの葉は葉の縁あたりから黄色くなるのね。
日中はまだまだ汗が吹き出る暑さだけれど、もう秋だ。

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