4分の3の365分の1


あけましておめでとうございます。

今年度が終われば東京で暮らすのも7年目、
ということは既に人生の約4分の1は東京で暮らしている。
(ちなみに私は誕生日の前日か前々日に上京したため、24歳になるとようやく6年経過、なのだが。)

毎年実家に帰る度、親族の口から発される音にほのかに立ちこめる男尊女卑、家父長制、地縁主義等の臭いを感じては「あと5年は東京に住もう」と思う反面、東京での時間に反比例するように、私の中の「地元」の分子が減ることに寂しさをを覚える自分もいる。

「地元」には母の実家も含まれている。

母の実家は実家よりも田舎で、しかも島。
とはいっても橋でつながっていて車で行ける。
なので島という感覚がない。
(最近知ったが、周りは別県で囲まれているらしい)

訪れる機会も盆と正月くらい。
昔は泊まることもあったが、社会人になった今はほぼ日帰り。1年に1日訪れるような場所だ。
そんな場所でも私の中には「地元」として認識されている。

母の実家に住んでいるのは、母の両親のみで、
私が知ってる限り、運転免許は母の父、私からみて祖父のみが持っている。

日用品や食材を買いに行くためには車は必須で、足の悪い祖母がもし取り残されたら、どうするんだろうということを「地元」の風景を見ながらよく考える。

私にとって「地元」の生命線は祖父にかかっているのだろう。
そして私の地元は、母の「地元」なのである。

家に向かうために通る急勾配の坂道、前より荒れた
家の前の竹林、前より倒れてる
少し歩いたとこにある湧水、いつもと同じく冷たくて美味しい
少し歩くと見える棚田と海

これらが見れらなくなるのはそう遠くないのかもしれない。

それでも、確かにあったことを覚えておきたくて、忘れても思い出せるようにしたくて、ここに残しとく。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?