機動戦艦ナデシコ ―卒業をすすめるアニメ―

 九十年代のアニメには、いまだに根強いファンの多い作品がいくつかありますが、機動戦艦ナデシコほど「続編」のことが話題になるのはめずらしいでしょう。

 だいぶ前のことになりますが、ナデシコを制作したXEBECが、ホームページで「重大な告知をします」と発表したとこがあり、ネットでは「もしやナデシコの続編ができるんじゃないか!」と期待が膨らんだために、ちょっとした騒ぎになったことがありました。

 しかし、実はこの告知は当時ネットではもうだいぶ前に制作情報の出ていた「蒼穹のファフナー」の正式発表であったことから、期待を裏切られたと感じたファンからは失望や批判の声が制作会社に向けられることになってしまいました。

 今ではファフナーも人気作品ですから、そんな騒ぎが起きたのも不思議に思われそうですが、それだけナデシコへの期待が大きかったんですね。

 ファフナーの放送は2004年ですから、1998年の劇場版機動戦艦ナデシコの公開から六年が経過していました。それにも関わらず、いまだに熱心なファンを獲得しているのはかなり驚異的なことでしょう。

 それだけ「続編」への関心が根強い理由は、ボクはやはり劇場版機動戦艦ナデシコのあの終わり方にあるように思うんです。

 放送当時、テレビ版のナデシコはボクはまったく見ていませんでした。

 たぶん、「かわいい女の子キャラクターがわいわい騒いでいるだけのドタバタアニメだろう」と思っていたからです。

 それにも関わらず、なぜ劇場版ナデシコを見ることになったかというと、理由は「歌」だったんです。劇場版ナデシコのエンディング曲だった松澤由美さんの「Dearest」という曲です。

 これが本当にいい歌詞だと思ったんですね。

 そんなときにCATVのアニメ専門チャンネルで機動戦艦ナデシコ劇場版をやるというので、折角だからとちょっと見てみることにしました。

 そのときに受けた衝撃はかなり大きかったです。

 劇場版がはじまるとすぐにテレビ版の主人公テンカワ・アキトとヒロインのミスマル・ユリカがすでに死亡しているという描写があり、そこからたたみかけるように正体不明の敵との戦闘、劇場版のメインヒロインであるホシノ・ルリの登場と衝撃的な展開が続いていきます。

 あれはテレビ版が好きだった人が見れば、本当に置いてきぼりだったと思います。

 結果的にいえば、アキトもユリカも実は死んではいなかったのですが、ルリやかつてのナデシコクルーの前に現れたアキトには、以前の面影はまったくなくなっていました。

 以前はやや気弱で、誰にでもやさしく、戦うことにも度々迷っていたアキトが、ユリカの奪還と、自分の未来を奪い去った「火星の後継者」への復讐のためだけに戦うというストーリーは、かなり切実でまた残酷なものでした。

 この「変身」したともいえるアキトに対するルリの葛藤が、劇場版ナデシコ最大の見せ場となっています。

 しかし、劇場版を通して冷たい印象を受けるのは、復讐鬼となったアキトではなく、むしろかつて一緒に戦っていたナデシコクルーたちの態度かも知れません。

 最終局面で火星の後継者との決戦に赴くルリのもとに、すでに軍を離れていたナデシコのクルーたちも次々に集まってきます。けれど、彼ら(彼女たち)はけしてアキトを止めようとはしません。

 決戦の後ユリカをとり戻したアキトは、彼女を仲間たちに預けて、宇宙のどこかへと行き先も告げずに旅立っていきます。そのときに空を見上げて、見送るルリが最後につぶやいた言葉は

 「帰ってきますよ。帰って来なければ、追いかけるまでです。あの人は……あの人は、大切な人だから」

というものです。それは思い出の中にいつもいたアキトが、すでに別の存在になったのだと、彼女なりに決別したから発せた言葉だったのかも知れません。

 ですが、ルリ以外の大人のクルーたちはみんなすでにその決別をどこかでしていた様子なのです。

 おそらくそれは、最初にアキトとユリカが死んだと聞いたとき、すでにそうだったのかも知れません。他のクルーたちにはみんなそれぞれの生活や人生があり、そこで日常の生活を送っているという描写があります。そこではナデシコのことはすでに思い出の中に消えてしまっているわけです。

 そんな中で、ナデシコという同じ名の船に乗り続けたルリだけが、かつてのナデシコやアキトを思い続けていた。それを最後にルリが新たな決意をして断ち切ることで、ナデシコは終わったという見方もできるのではないでしょうか。

 劇場版ナデシコを見て、すっかりはまってしまったボクは、テレビ版のナデシコをVHSで買い、一気にすべて見ました。

 そうして見比べてみると、テレビ版のナデシコは「ナデシコ」という船を舞台にした一種の学園ドラマのように思えるんです。

 では劇場版はどうかといいますと、おそらく「同窓会」ではないかと思います。

 一緒に青春時代を過ごした仲間がある事件を契機に久々に集まり、そしてまたもとの生活へと戻っていく。

 これもほんのわずかな時間の出来事です。
 あの、ナデシコクルーの冷たいとも見えるアキトへの態度もそこにあったのではないでしょうか。

 一緒に過ごした仲間も時間が過ぎていけば、やがては他人になっていく。みんなそれぞれに分かれた道の先で、自分の生活に追われていくというのは、これはアニメではなくリアルの感覚に近いと思います。

 ちょうど近い時期に放送されていた人気アニメ「スレイヤーズ」の原作小説が主人公のリナ・インバースやガウリィが、おそらくはこれからもずっと旅を続けていくのだろう、という前向きな描写で終わっていることに比べると、きちんとキャラクターたちのその後を描く終わり方には制作者の愛も感じられますが、一方で大人になった主人公のところへ、オバケのQ太郎が遊びに来る「劇画オバQ」や、「るろうに剣心 星霜編」のように、自分が楽しんだ作品の本当の終わりを見てしまったときの寂しさを感じさせる節もあります。

 それだけに、この結末を突きつけられたテレビ版ナデシコのファンからは「幸せだったアキトとユリカをこんな結末にする必要があったのか」、「これで終わりにしないで、きちんと最後まで描いて欲しい」と続編を望む声があったのはけしておかしくはないでしょう。

 ですが、すでにナデシコ自体がかつての物語になっている今、同じクルーメンバーを集めて、ナデシコの続編を作るのは、劇場版のラストの後では難しいと思います。

 実際、劇場版の続編を舞台として発売されたドリームキャスト用ソフトの「起動戦艦ナデシコ ――NADESICO THE MISSION――」は、ナデシコのキャラたちの活劇を楽しむ構成で作られており、その後のストーリーの核心には何一つ触れられていませんでした。

 それよりは、テレビ版と劇場版とを繋ぐ位置にあるセガサターン用ソフト「機動戦艦ナデシコ the blank of 3years」の方が個々のキャラクターに焦点を当ててた、はるかにファン向けの内容になっていました。これはナデシコが好きな人はおすすめです。

 最近相次いで過去の名作アニメや過去の名作漫画の続編が数年ぶりに続刊、あるいは続編という形で再開されることが多いようです。

 ナデシコにしても、エヴァにしても「卒業する」ということはなかなかファンにはできないんですよね。
 だからこそ、あの作品ならきちんとした完結編(続編)を用意してくれるだろうという望みと、一方で好評価を受けないと前作のファンすら失いかねない続編の評価という、そんなとても微妙なラインの間でこういった作品は作られているのかも知れないと、最近のアニメを見ていて思いました。

 こうした葛藤を補完してくれるのは、おそらくファンが作成する二次創作の小説や漫画、あるいは「スーパーロボット大戦シリーズ」のようなクロスオーバー作品かもしれません。
  実際スーパーロボット大戦シリーズでは、その後無事にユリカのもとに戻ってきたアキトの姿を見ることができるものもあります。

 ――物語の結末を決めるのは何か。それは結局、ファンである一人一人がどこかで「もうこれでいい」と思う何かとめぐりあえるかどうか。そこにかかっているのかも知れません。 
 

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