シン・ウルトラマンとシン・ゴジラとの共通点 乗り越えるべき試練を与えるもの
さて、今回からはシン・ウルトラマンのネタバレになるのでご注意ください。
まずシン・ゴジラと今作とを合わせて見ますと、実はそのラストの部分では共通している要素があることがわかります。
それはどちらも人類がより先へと進むために、自分たちの力で乗り越えるべき試練を乗り越えていく、という部分です。
シン・ゴジラでは「ゴジラは人類にとって脅威であると同時に、大いなる福音をもたらすかもしれない存在」でしたが、最終的には日本の国力を総動員したことで、なんとか封じ込めることに成功し、ゴジラから得られたデータも世界中に共有される形となりました。
つまりここではゴジラへの対処を人類がどうするか、というのが「試練」だったわけです。
では、今回のシン・ウルトラマンでは誰がその「試練」の役割を担っていたかといいますと、テレビ版の最後に登場した最強の怪獣であるゼットンをベースにした恒星破壊兵器であるゼットンと、ウルトラマンと同じく光の国からやってきた存在であるゾフィーでした。
ゾフィーはウルトラマンが地球に降り立ってからの出来事を観測し、その結論として「人類という存在は地球と太陽系ごと滅ぼしてしまうのが宇宙にとって最良の選択だ」という光の国の決定に基づいて地球にやってきます。
少々乱暴に思われるかも知れませんが、そもそもゾフィーだけでなく、今作シン・ウルトラマンに登場する宇宙人たちにとっての地球人は、まだまだ未熟な文明を有しているだけの原始人のようなものです。
しかもウルトラマンなどがほぼ個人として完ぺきな生命体となっているのに対して、人間は社会という群れを形成しながら生きている一方で、同種族同士で常に争い、しかも極めて高い闘争心を持っています。
ですからそんな彼らが今後宇宙に出ていけば、いずれは他の星々にとっては迷惑な存在ともなるわけで、できるだけ早く彼らを支配するか、または滅ぼしてしまう方が良いと考えるのは実は光の国だけでなく、メフィラスやザラブにもある程度共通した思考だったといえるでしょう。
ウルトラマンやゾフィーの出身地である光の国はテレビ版のウルトラシリーズでは人類との交流を通じて、徐々に地球に対して特別な感情を抱くようになっていくのですが、今作では「地球人という種は危険な野蛮人」だとみなしてきたわけです。
そうなったときのウルトラマンの一族は、案外強硬な手段を簡単に使おうとします。
ウルトラマンタイガで敵役として登場したウルトラマントレギアがタロウや他のウルトラ兄弟を「光の使者を気取っている」と揶揄していましたが、確かに他の異星人から見れば、ウルトラマンの種族は強力な力を持ち、宇宙の正義のためといって戦っているが、それは彼らの一方的な正義に基づいているので面白くないと思っているものも多いのでしょう。
そう思うと、今回登場した宇宙人の中でもっとも人類に好意的だったのは光の国よりはむしろメフィラスだったのかも知れません。
メフィラスは人間の持つ闘争心や感情が、他の異星人にとっても魅力的な「商売道具」になることを早くから気づいていました。
ですからできるだけ早く人類の文明が成長できるように手助けする一方で、その対価として自分を上位存在として崇めることを日本政府に求めます。
その前に登場したザラブが「ウルトラマンの抹殺」を名目にして、人類に強力な武器を与え、同族同士で争わせた末に滅ぼそうとしたことに比べれば、はるかに人類の立場を尊重した態度といえるでしょう。
ところでこのメフィラスのやり方、別の作品に出てきた何かに似ていると思いませんか?
それは魔法少女まどか☆マギカに出てきたキュゥべえこと「インキュベーター」です。
シン・ウルトラマンのある場面でも実はちょっとだけキュゥべえのデザインをしたものが出てくるのですが、これはおそらく意図的な演出だろうと思います。
実は今作に出てくる宇宙人の思考は、インキュベーターのそれと方向性を違えど、ベースにあるのは大体同じなのです。
それぞれを比較してみますと
・インキュベーター
人類を野蛮な種族だと見ているが、一応知的生命体としては扱う。人間のエネルギーを宇宙のために活用するのが目的
・光の国
地球を観測していたが、人類を野蛮な種族だと見て、地球のみならず太陽系そのものを滅ぼす方が宇宙の秩序から見たときに正しいと判断
・メフィラス
人類を野蛮な種族だと見ているが、同時に面白いとも感じており、将来宇宙にとって利用すべき資源にできると考えている
・ザラブ
人類を野蛮な種族だと見ており、地球は欲しいが人類だけは不必要だと考えており自滅させようとしている
こう比較してみますと、意外なことに光の国とザラブは考えが近いことがわかり、メフィラスとインキュベーターは人類には有効的な利用法があると考えた点では共通していることがわかると思います。
つまり宇宙人にとって地球人と種族は「まだ未熟」という認識は共通していても、ここからどうするのか、という扱いでは立場が異なるのです。
早急に滅ぼしてしまうべきなのか、それとも宇宙全体のために資源として活用すべきなのか。
ここで人間と同化して、その感情を理解しようとしていたウルトラマンはまったく別の結論を出します。
「それは人類自身の発展にゆだねるべきだ。他の宇宙人が干渉すべきではない」
いうなれば「保護観察にしよう」というところです。
ここであのキャッチフレーズ
「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」
が生きてくるわけですが、光の国を含めた異星人たちにとってウルトラマンのこの意見は
「下等生物である人類に感情移入している」
「光の国の判断を否定している」
「わけがわからないよ」
という感じで、いずれも拒否されるのは明白でしょう。
光の国やインキュベーターからすれば一つの星ではなくもっと宇宙全体の秩序を優先すべきだとなり、メフィラスからすれば高位存在である自分たちと人類を同じに見るウルトラマンとは相容れないわけです。
しかし、さらにウルトラマンは
「地球は宇宙から見ればただ一つの星かも知れないが、人類にとってはたったひとつだ」
といい張るわけです。
宇宙人であり、また同時に人間と同化した存在でもあるウルトラマンのこうした態度に同じ光の国からやってきたゾフィーは困惑します。
ここからゾフィーが持ってきた恒星破壊兵器ゼットンとウルトラマン、そして人類との最後の戦いがはじまるわけですが、ここからの展開はどう解釈するかで若干答えが変わってくる部分でしょう。
ひとつは「そもそもウルトラマンはゼットンを倒す方法自体は知っていたが、自分が単独で倒しても光の国は納得しないだろうと考えていた」という可能性。
もうひとつは「人類とウルトラマンが協力することで、はじめてゼットンを倒すことができた」という本筋通りの解釈です。
テレビ版ではウルトラマンを倒したゼットンを倒すのは科学特捜隊が開発した「ペンシル爆弾」という超兵器で、それを使用してゼットンを倒したことで、人類が自分たちの力で宇宙怪獣を退ける力を獲たことを示したわけですが、シン・ウルトラマンの地球にはさすがにまだそんな技術はありません。
そこでウルトラマンは「人類自身がゼットンを倒す方法を見つけること」を期待して、自身が知るウルトラマンの秘密(今作ではベータシステム)を人類に託すことになるのですが、これはいうならテストでカンニングをさせているようなもので、本来であればそんな高度な技術をいきなり地球人に教えることをウルトラマンも望まなかったろうと思います。
幸いにも人類はこのウルトラマンの期待に応え、ゼットンにどのタイミングでどんな攻撃をすれば倒すことができるか、という回答を導き出すにいたります。
これを見てさすがにゾフィー、そして光の国も人類に可能性があることを認め、敬意を表するべきという結論にいたりました。
かくして人類は光の国からの「保護観察」という待遇を獲得することに成功したわけですが、このラストはある意味でシン・ゴジラからさらに一歩踏み込んだものでしょう。
人類はゴジラから得た技術をどう使うか、というのはあくまで人類の進化という観点からの話ですが、シン・ウルトラマンでは遠い将来に人類も広大な宇宙文明の仲間入りができる可能性がほんのわずかながら残される結果となったわけですから、人類にとっては考えられる最良の結末になったといえるでしょう。
こう見ますと、主題歌の「M八七」にある「痛みを知るただひとりであれ」とは、人間の持つ生への執着という感情を理解した唯一の宇宙人、ウルトラマンに実にふさわしいものだろうと思います。
内容の評価については話題作であれば当然賛否両論、とくに最初から特撮のノリそのものが合わない人にはどこがどう面白かったのかわからない、という人もいる作品かとは思いますが、ウルトラマンの主題の解釈としてはほぼ最上の作品でした。
……そういいますと
「じゃあ、なんであの怪獣とあの宇宙人が出てこないんだ!」
という人もいるかとは思うのですが、そこはまたちょっと別で書いてみたいと思います。
とくにあのバルタン星人については「この設定だとそもそも出せない」と思うんですね。
――なお、余談ですが「ゾフィーがゼットン操る」というのはその昔とある雑誌で「宇宙人ゾーフィ」という謎のキャラが紹介されたという特撮のネタ話を利用したものにも思うのですが、果たして真相はどうなのでしょうかね。それではまた
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