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書跡

意外にも教経の書跡が遺っている。
猛将の筆跡。果たしてどのような様なのであろうか。


御服用途の事

1978年発行 日本書蹟大鑑(講談社) 2巻にて教経の書状が掲載されている。
解説によると、おそらく1180年の大嘗会の衣装調達の際に下級役人に急いで準備をさせるよう命令を下した手紙である。

日本書蹟大鑑は比較的どの図書館にも所蔵されているようなので、ぜひ1度手に取って眺めてほしい。(そして感想を聞かせてほしい)
そのほか、清盛・頼盛・重盛・宗盛の筆跡も掲載されている。

馬の事

八条院関係の書状の中に、教経の書状がある、とのこと。翻刻は以下の論文内で確認できる。筆跡の画像はただいま鋭意調査中…
八条院関係紙背文書群 著 五味文彦先生

教経抜きにしても、この論文自体がとても興味深かったので、ぜひ論文全体も読んでほしい。余談だが、やはり八条院はあの時代欠かすことのできない強力なパワーを持っていたのだと痛感する。

どちらの書状にも言えることだが、〇〇の事、と切り出し、まず要件だけを伝えようとしている点がいかにも教経らしい。
特に日本書蹟大鑑の 『御服用途の事』 を見ていただければわかるように、縦に力強く伸びた直線の最後がピっと跳ねたり(「御」「事」)、「服」の右下、現代でもやるような縦線を下までおろし、そのまま右上に上がり、左へ進み、そのまま一筆で右斜めにし、止める様に、かわいらしいという感情すら覚える。

筆に墨を含ませ直した箇所さえ分かることが、古文書の醍醐味であろう。
平家物語以外で「生きていて、普通に仕事をしていた平教経」という一人の人間を見せてくれる。

書全体はそこまでくずし字ではなく、割と楷書寄りの読みやすい印象である。というか、シンプルに字が綺麗である。
堂々と、勢いがあり、言いたいことをパッパと書いていく様である。
平家物語作中の教経からイメージする筆跡そのものである。

が、しかし。
本文末尾、「恐惶謹言」のみえらく崩しつつ、墨もかすれてカッスカスの状態である。
要件だけ書けば締めの定型句は適当に・・・といったところだったのだろうか?
このあたりが教経らしい、と思わず微笑んでしまう。
教経に会ったこともないのに。
平家物語での姿しか知らないのに、なぜか「わかる」と思ってしまうのである。このあまりの、あまりの最後の適当さに。

また、興味深いことはこの2つの書状がともに 五月八日 に書かれたという点である。
年号を書いてくれないところが非常に残念だが、異なる年の同日の書状が残ることに違和感を感じる。

おそらくは同年の五月八日に大嘗会の衣装と馬の手配について記した手紙ではないだろうか。
残念ながら1180年11月末に福原遷都はかなわず終いとなったが…。

おそらく、教経21歳頃の書。
のちに猛将と描かれる青年が、初夏の陽気に日常の仕事に奔走される様子をただただ瞼に思い浮かべる。

参考文献(順不同)

・日本書蹟大鑑 2巻 1978年発行 講談社
八条院関係紙背文書群 著 五味文彦先生

補足として1180年の大嘗会・福原遷都については以下資料が詳しい。
福原遷都 著 高橋昌明先生