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呟き

統計的に明らかにならない/なりずらい傾向性というのも確かにあるだろう。そういったものは一切ないという直感もまあありうるがね。
しかしそういったものはあるだろうという直感はかなり自然なものではないだろうか。諸科学がもう全ての傾向性を説明している/説明できるという直感は楽観的すぎないか。なのでここではそのような傾向性があるという立場を取らせていただく。(例えば人間の内的な情動の説明などは経験則からこういう行動をする人間はこういうことを考えているからだろうなどと推測することはできてもやはり明確に明らかにはならないだろう)
そのような明証不能な傾向性に対して定性的に語るのが哲学の一領域でもあると考える。確かにその主張が正しいかどうかの明確な確認ができないという点でその他諸科学に劣るが、それが単に対象化されていないというだけならその発見をもとに科学としてその傾向を扱っていけば良いし、原理的に正しさが確認できないような傾向性だとしても、やはりそのようなものはまず存在するだろうし、そのような傾向性に対する語りの真実性が明証不可能であっても、それはそのようなことに対する語り、考察の有用性を一概に否定できるものではないだろう。

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