トータルに生きること

幼児期、母親との関わりの中で健全な親密性を獲られず、愛着(障害)に苦しまなければならなかった人は一定数いると思う。

私もそのひとりで、40歳過ぎてもそれを引きずっていて、きれいサッパリしたのはつい一年前のことである。

本来の主導権が自分に戻り、
(余分なエネルギーロスが減った分)
ようやく自分の人生に本腰を入れられるようになった、というのは、なかり大きい。

なぜそうなれたのか?
決定的だったのは瞑想グループへの参加で、自分自身の生命の喜びと繋がる体験。

あとは
幼児期〜児童期〜青年期〜成人まで
獲得できなかった事、というのを体験し直すという取り組みも、有意義なことだったかもしれない。





そんなこんなで
ようやく母親から卒業でき、次は
父親との関わりが浮上。

男性に対しての怒りや
自分自身の男性性への否定が強く
存在自体を認められなかった。

でも、今は、
自分の男性性も女性性もなんて素敵なんでしょう!
と恋に落ちるくらいな勢い(笑)


と同時に、異性も同性も関係性がいい感じに紡がれて、楽しい!
(はじめの頃は否定したり、眼中になかった)


あとは青年期に得られなかった
同志との協働体験とか、
基本的な社会性、相互理解・共感なども
仕事で絶賛、育まれ中。

欠乏欲求が着々と埋まりつつある。

なぜ、そうなれたか?

自分の男性性・女性性のキャラクターを知ることと、対話する体験。
実際に異性や同性と親密性を育む体験。
それが大きかった。

しかしながら、
それは本来ならば成人までに獲得しておきたいことを置き去りにしてきたパズルが埋まってきて

天命を生きるスタートラインが見えはじめたににすぎない。

ということで、成長のゆるやかな私は
欠乏欲求を満たし、人として必要な要素を獲得することと
自己実現・世界貢献を同時にやっていく必要がある。




自分の人生そのものにくつろぐ
そんな時期がくるなんて。

いつも心のどこかで
過去を悔いて、投げやりになって、
記憶をデリートせずにいられなかった。

リアルではなく幻想に逃げざるを得なかった。

でもそうではない選択ができるようになってきた。

今の生をやり切ること、
悔いてきたことを体験し直すこと、
喜びから未来をクリエイトすること。

過去ー現在ー未来
陰ー陽
トータルに生きる。


そんな生命の体験を紡いでいけたら最幸だ。

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