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バイタルダンスを体験したときの話

2021年6/25 バイタルダンスを初体験

この日、この時、この場所で、このメンバーと出逢えたこと
そのことがただただ嬉しい
そんな余韻がハートのやわらかいぶぶんを包んでいる


バイタルダンスはわたし的な感覚を言葉にすると
瞑想的なコンシャスダンス
自分とつながり自然とからだが動く
つながった自分と新しく世界と出逢う
自由で生命力あふれるワーク、という印象

ファシリテーターが幾とおりものワークをガイドしてくださり
それに沿って自らのうちにある真実や感覚に忠実に表現していく

自分自身をただただ感じてみる、という時間に
自分の中の深い層に出逢った

魂の傷と癒し、ということをこの一年半の酷かった時期をとおして学び、それを抑え込むでもポジティブに転換するでもスルーするでもなく、ただただ智慧にしたいと心の隅で願っていた

そのことの一歩が、この時に叶った
フリーズしていた痛みが涙とともに溢れた

痛みといっても言語化して人に伝えたら
なんてことない事だと人蹴りされ、すぐつぎの話題にいくだろう

でも人によって魂の傷はちがう
他にとってはどうってことないことが、
本人にとってはレスキュー状態になることがある

小さな傷、日々積み重なった傷たちが
ダンスをとおして存在と存在の光の出逢いによって
一気に癒されていった
受け入れられず排除され無視に近い形で存在をスルーされたこと
軽んじられ蔑視され冷遇されたこと
自分の感覚をシャットアウトし、無機質なデータ的なやりとりしかできなくなった時期が長く続いたこと
強烈なコントロールやジャッジ、押し付けの渦に巻き込まれていたこと

今ここを五感で味わう〜エンドレスハピネス
という今回のテーマのエネルギーは
本来の彩り豊かな感性を取り戻してくれた

傷を傷のまま、誰かを傷つけてしまうのは絶対に嫌だし
なかったことにして、平気に振る舞うのももう嫌だった
傷の体験が報われるにはどうしたらよいか
自己憐憫に浸る気もないし、被害者意識で立ち止まる気もない、
傷を智慧にしたかった

ファシリテーターがご自分の傷ついた体験と乗り越えた体験をシェアしてくれた
むしろそれは人生をより豊かにしたというエピソード
そのエッセンスが私の中に浸透していった

私もセラピストとして否ヒーラーとしてこれからソウルワークをしていくにあたって、
必要な人のために実体験からのエッセンスが循環していったらいいな、と感じた


それがいちばん強烈な体験
だけど他にもいろいろ貴重なこと感じたなぁ

パートナーと心臓の音を聴きあって抱きしめ合うとき
抱きしめられてよけい温かくて泣けてくるし
抱きしめる側も嬉しい、子ども授かったらこんな風にやわらかいきもちになるのかなぁ、とか想像したりした

あとは
はじめてみるかのように出逢い直すというダンスをとおしての表現も
あぁ、アクティングしたいな、そうしてる自分が自然なのにな、
こうして安心安全な場所で自由にのびのびしてると歌いたくなるな、とか
本来の自然体の自分って表現者だな、やっぱり、って
でも日常はなんか、むしろ命の逆生きちゃってるわ、
って愕然ともした

存在と存在との出逢いはこんなに嬉しく豊かで幸せなのに、社会生活ではOFFにして表面的に繕っている
生きた心地しないわけだわ、、、

常にこんなふうに
今ここを生きられたら
こんなに幸せなんだなぁ

夢じゃなく現実の体験なのだけど
覚めたくない、って感じの夜


出逢ってくれてありがとう



追記:

いつもなら、またいつもの世界に戻ってしまうことにまかせてしまっていたけど、
今回はあらがってみる。

わたし的な現状の認識では
安心安全の場で共通の求めるものがあるコミュニティ、
愛が引き出し合える関係性が成り立つときこれが起こる。
(そうでない時と場でもこう生きれたらいいが、よっぽどの体験の後の気づきとか、自分自身のマンダラがコンプリートした人であったりとか、相当アドバンスだと思う)

だから今自分にできることとしては、
このミラクルをやや方程式を紐解くような原理で、
日常をそのように意識的にクリエイトしていく必要がある

「自らとつながり、人・世界と新しく出逢いなおす」

というガイドをヒントにして

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