思慮と実践

今日もまた鬱の感覚が吹き出して苦しくなった。こういう状態になると精神的に弱気になり、手が止まる。脳は働いていて何かを考えているのだが何を考えているのかわからない。ふと我に帰りその時のことを考えても「ボーッとしていた」としか言い表せられないが、しっくりとこない。その時の思考にはもっと重たいテーマがあったような気がするからだ。

プライドなのか何なのか、自分にはその瞬間に吐いた弱音を全うしようしてしまうアホみたいな感情がある。その弱音を全うしても時間の無駄だし意味もない。自分にとって損する事ばかりな上に、周りの人々を疲れさせたり呆れさせたりもする。なのに、一度履いた弱音を、もう気力を取り戻したのにも関わらず「誰かに励まされた」ということがプライドを傷つけられたような気持ちになり、しんどいけど弱音を継続しようとしてしまう。

自分は、周りに気にかけて欲しいだけの、正真正銘の「かまってちゃん」なのである。でも、そんな世の中に定着している言葉では片付けられたくなくて、誰も得をしない形で必死に抗う。馬鹿であり滑稽である。そんな自分が今日は爆発してしまった。本当に反省している。

こういうことを文字にしたのは初めてだから、自分のことを振り返って真剣に考えたうえで、言葉にすることで「嫌な自分」が浮き上がってくる。頭の中で考えてるだけでは誰にも伝わらないし、自分でもすぐにその気持ちを説明できない。

だから自分から目を背けて世の中のトレンドの話や、自分のことは全く知らない有名人たちの話ばかりを口にする。それが世の中のほとんどの人間なんだろう。自分の人生を生きていないように感じる。自分のことを話したい。自分を取り巻く環境のことを話したい。

岡本太郎の著書「自分の中に毒を持て」を読み始めて、今日の1日の内容が自分の脳裏で浮き上がったような感覚をおぼえたので、その感覚に忠実に記した。

忠実の忠は、「まめやか、まごころを尽くす」

読書は自分と対峙させてくれる大切な行為だし、希望を見出せる。救われる行為だと感じた。


20200810

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