自分の誕生日が苦手だった。
タイトルの通りですが、
ある一定の時期から自分の誕生日が苦手でした。
小学生の時、
まあ今と変わらずお調子者だった僕は、
誕生日が近くなってくると「俺今度誕生日やで!」と
仲の良い友達に言いふらして祝ってくれアピールをしてました。
けど高学年くらいになってくると気づくんです。
「あれみんな自分の誕生日そんなに言いふらしてない??」
「もしかして誕生日祝ってくれアピールダサい??」と。
これ感じたの小学校の校門前くらいやったんすけど、
14年前の出来事の感じた瞬間と場所を覚えてるくらい衝撃でしたね。
そこからですね。
自分の誕生日が苦手になったのは。
別に誕生日が嫌いなわけじゃないんですけど、
自分の誕生日を祝われることに慣れない感覚がずっとありました。
お祝いされることが何かこっぱずかいって言い方が近いかも。
そんな感覚をずっと持ちながら生きてきました。
(繰り返しますが誕生日が嫌いなわけではない)
そして僕は先日27歳の誕生日をむかえました。
「もう27かー」と思うわけですよ。1年経つの早いなーって。
そしてありがたいことに僕の誕生日を祝ってくれる人たちもいるわけです。
いや、これはほんとにありがたい。
ありがたいんですけど、いつも素直に喜べていない自分がいる。
そんな時にふと頭に浮かんだ言葉。
「あれ、自分の誕生日って俺別に何もしてなくない?」
そう、ほんとこれ。
僕はただ生まれてきたただけなんです。
これは僕の中で腑に落ちたのですが、
誕生日は僕の両親にありがとうを伝える日だと思いました。
いや、めっちゃ当たり前やんってなるかもしれませんけど、
ほんとこの当たり前を拾えてなかったなと痛感しています。
頑張ったのは僕の両親。
僕が生まれるまで二人で体調のケアをしながら、
僕が生まれるのをずっと待っていてくれた。
僕の誕生日となる1996年4月24日もそう。
この日も頑張ったのは僕の母と無事に生まれることを祈っていた父。
まじで両親に感謝。
そう思ったらちょっと自分の誕生日が好きになりました。