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どんな風景を見ているか

青森の短い夏が終わった。
どんなに暑くても、祭が終われば、そしてお盆が過ぎれば夏は終わり。

弘前周辺の人たちは、子どもの頃から残忍な武者絵を見て育つ。

弘前ねぷたは鏡絵が水滸伝や三国志、戦国時代が題材。見送り絵は美人画だけれど、生首を持っているとかの残忍な題材や、半裸のエロティシズムを湛えた題材も多い。
子どもの頃、これを見てどう思っていたのか、覚えていない。なんとも自然に、ギモンを持たず、そういうもの、と思って大人になった。大体題材が水滸伝だのなんだのというのも、最近知った。

それよりも、祭りの踊り、笛、太鼓の練習などのことを思い出す。近所の同級生たちと練習のような、遊びのような。
でも、そこには意地悪な子もいて、今日はその子が居なければいいなぁと思ったり。
そんな事ばかりで、祭りの楽しさとか、伝統がどうとか、そういう事は考えた事なかった。
祭りの体験は、子どもと大人とでは、全然違うかもしれないなと思う。
子どもの頃の参加の体験、観客としての体験、大人になり、子どもが出来親子で参加する体験、それぞれに別々の視点があり、感じることがある。
共通することもあるが、結構違うものだと思う。

当地には岩木山というお山がある。毎日今日の岩木山はどうだとか、だんだん雪が消えてきたとか、紅葉で真っ赤なおべべを着ているだとか、大人はよく岩木山を話題にする。
でも、子どもの頃は車にも乗らないし、小さいから、視界に入りづらいのか、案外岩木山を毎日意識的に見ることはなかった。少し町の中心で住宅が多いと、見えないのだ。だから、岩木山が原風景かと言われるとそうでもない。でも、一般的なイメージでは、やはり津軽の象徴だ。それには異存はない。

同じところに暮らしていても、状況によって見えるものは皆違う。不思議なくらいに。

ただ、今、祭りを楽しんだり、岩木山を美しいと思ったり、そんな日常をそれなりに愛おしく思える。そんな日々が続けばいいなと思う。

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