人生を賭けること

プロアスリートでいられる時間は人生の割合から考えると少ないことの方が多いだろう。そのプロアスリートである自分を辞めた時、何が自分に残っているのか。それはプロとしてどのように自分が過ごしてきたのかによって異なると思うが、上手くいかないことの方が多いのではないかと思う。


先日、門田選手の引退に関する記事が流れてきた。

彼のような有能な選手が25歳という若さで選手生活を終えることに驚きを隠せないが、その決断は我々部外者がどう感じ考えようと、本人の意思を尊重すべきだと考えるため、本件に関しては何も言及しない。


この記事の感想というよりも、私の周りにいるジュニア選手だけでなく全国各地にいる「海外でプロ選手を目指したい」という夢見る少年に読んで、こう考えて欲しい。


「本当に自分は海外でプロになれるのであろうか」


海外でプロになることは、きっと私がオーストラリアで競技をしていた15年以上も前からはるかに難易度が高くなっているのではないかと感じる。U23時代から選手を選定するのではなく、今はU19(ジュニア)時代に選手を選定するような市場へと変化している。聞く話によると、それ以前のU17から目星をつけてジュニア1年目から下部組織で選手を育成するプログラムもあるのだとか。


レベルだけでなく、環境の違いも含めた現状を理解しきれていない夢見る少年たちは、どのような意思・思考を元に海外に挑戦しようと考えているのだろう。今では想像がつかないくらいである。


「海外に行くな、お前はプロになれない。」


そう言っているわけではないが、プロになれるイメージ(プロセス)をどのように思い描いて行動しているか、積み重ねることができているか、一つひとつの課題をクリアできているか、などそれに向けて正しい準備ができているだろうか。その評価をどのようにおこなっているだろうか。少なくとも、紹介した記事を参考に、自分なりに考える必要があるのではないだろうか。


競技者としての時間を勉強に回すことで、大学を卒業するような年齢になった時、あるいは30歳前後になった時、金銭的にも余裕が出て自分の趣味を謳歌したり家庭を築くこともできると思う。そうした人生と引き換えに挑む、自転車競技におけるプロサイクリストを目指す価値とは。


私は競技者として挑んだ後、何も残っていなかったが、しばらく無職・引きこもり生活を送った後、ひょんなことから世界で目にしてきた自転車文化とその経験から「自転車を楽しめる社会を作りたい」と思い今に至る。それはいくつもの偶然が重なったからなのだがら、今生活できているのは本当にたまたまである。


ただ、自転車競技を真剣に頑張った際に学んだ学習能力・行動力などが今にの自己実現能力に繋がっていると感じることもあるため、今になって「真剣に競技をやってよかった」と思うこともある。そう心から思うにはまだまだ先だが、人生を賭けるということはそれなりの覚悟が必要だということを、改めて理解をして欲しいと思う。


今一度、問いたい。


「本当に自分は海外でプロになる覚悟があるのか」


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