『花束みたいな恋をした』を観て感じたこと。※なるべくネタバレしないようにする!あくまで観て感じたことの発表をする!!
ずっと気になってて、でも就活生が観たら死ぬと脅され観れていなかったけど、ついに観た!『花束みたいな恋をした』まだ観たばっかだけど、考えたことをぼちぼち書きます。映画のレビューというか、自分と映画を重ね合わせた自分語りだと思って読んでくだされ。
一つ目は、この一年彼氏は社会人で私は大学生だけど、上手くいっていたのはとてもありがたいことだったんだなってこと。働いていても、私とは違う世界に身を置いていても、ちゃんと毎週末や時には仕事帰りに会ってくれて、なにより「会いたい」と思って会ってくれているのが伝わってて、それってとても貴重なことなんだなって思えた。そして、これから社会人になるにあたって、新たな世界に身を置いて、夢中になることができても、自分を好きでいてくれる人、支えてくれている人のことを忘れちゃいかんなと思った。
逆に言えば、仕事などこれからはまることができてもよい関係をつなげていくために、相手を大切にすることと自分のはまっていることに集中することのバランスを取る力が必要なんだろうなって思った。バランス、というか相手中心にものごとを決めないこと、2人で一つかもしれないけど、私は私で相手は相手であることを、自分に対しても相手に対しても前置きしておく必要があると思った。自分と相手は、それぞれを好きだってこと以外は違う人間だってことをわかり、やっぱり感謝を忘れないことが大切なんだろうなって思った。(感謝って、、なんかすげぇうぜぇ自分( ^)o(^ )そりゃそうだけど忘れちゃうやつやね)
あと、彼がこの前、「僕の社会に対する最後の抵抗は、音楽と服なんだよね。」っていってて、社会人になって生きていくことに関していろんなことを考える場面が増えているかもしれないのに、ちゃんと染まり切らないで自分の大事な音楽の趣味や服装に関してオリジナルのかっこいいを追求している姿勢がイカすだなって思った。今まで、トランペットは私の趣味の一つでもあるけど、私の最強のライバルでもあるなと思っていたけど(トランペットは私よりも何年も前に彼に出会って愛されて来ているから)、実は最強のライバルで最強の味方なんだなって思った(彼が趣味であるトランペットを大切にする心があるから、社会に出ても自分を忘れないでいられるんだなって、それが私を忘れないことにもつながっているんだなって思った)。
うざすぎますね。そして深そうで浅いですね( ^)o(^ )( ^)o(^ )(酒飲みながら書いているのです。お許しを。)
二つ目は、『恋愛と結婚は違うよ。』や『二番目に好きな人が運命の人。』のような言葉の意味が分かった気がした。『恋愛と結婚は違うよ。』のその大きな違いは、大好きでも、それを一番に優先しては生きていくのが難しいってこと。仕事や家の事情、個人の抱える肉体的や精神的な疾患、新しくできた夢中になること、それをも受け止めともに生きていくには、『二番目に好き』程度の好きじゃないと苦しくなってしまうのかなと思った。期待しないくらいの相手、まぁ一緒に生きていくにはいいかな、くらいの感情の相手が丁度よかったりするのかなって思った。やだけどね、私は。
三つ目は、結婚をして生活を続けているうちの親や世の夫婦の皆様はすごいなってこと。相手が付き合った当初から変わってしまうことや体や心に問題を抱えてしまうこと、いろいろな思ってたのと違うが起こっても、相手に嫌な気持ちを感じるどころか、何も感じなくさえなっても、子供や家があって、それを守り続けてきた親たちってすごいなって思う。すごいなくらいしか出てこんがすごい。また、いつまでも恋人気分でいる親って批判されたりすることもあるけれど、逆に言えばとっても希少なことだし、それで子育てもしっかりやっていれば、ものすごい良いパートナーに巡り合ったんだなってことだよなと思う。
とってもうざい文章になってしまっている気がしますが、読んでくれてありがとうございました!とにかく感じたことを共有したくなるような映画だったので、興味のある方はぜひご覧ください。語り合いましょう。どうでもいいけど、カツセマサヒコに次いで、最近の恋愛映画明大前使いすぎじゃね??王子とか赤羽とか駒込でもいいんだぜ?文京区にいっぱい大学あるよ??あ、あとオーサムシティークラブ良き( ^)o(^ )」あ~明日説明会だよおぉ、、、。
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