教養科目の意味を知る
私は今まで、大学は専門性を高めて、世の中を新しく開発していく人材を生み出すためにあるため、高校生までにあまり培うことのできない考える力、そして議論する力をつける以上には教養科目は特に必要ないと思っていた。(わりと軽く考えていた)
しかし、その考える力や議論をする力を培うには思っている以上に教養科目は重要であった。
アジアの文学のテストを受けて、いかに自分が社会的な目線でしか物を語れないか思い知らされた感じがした。(大学の専門で学んでいる分野の影響や、今までの人生で教わってきた考え方や価値観に大きく由来すると思うのだけど)
世の中には、一つの問題(例えば環境破壊、とか)に対しても、生物学的だったり、社会学的だったり、文学的だったり、経済的だったり、法学的だったりと様々な目線で語ることができ、その相違が価値観の違いにつながるのではないかと思った。
つまり、人との話し合いで相手が自分とは全く異なる意見を発することは少なく、見方が違う可能性があるかもしれないということである。
そう言った自分とは異なる価値観や見方を学び、視野を広げ、多角的に世の中の問題にアプローチできるようになるためにも、他学部の授業を受けたり、専門だけでなく、教養の授業を受けることは大切だと知ることができた。そして、広い視野で考えるという作業は、特に文系に求められる力な気がする。
それにしても、文学的な目線って、自分にとって本当に新しすぎるんだなー。
論説を読んで社会問題自体を知ることがあっても、小説を読んで社会問題を知ったり、小説の内容ではなく、小説そのものの持つ力を考えることはないんだよなー。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?