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何をしていても、私は私。あなたはあなた。

4月1日、快晴。満を辞して向かう。

社会人になって1年が経過した。ちゃんと1年働くことができた。立派な新人ではなかったと思うけど、とりあえず辞めなかった。えらい。みんなもね、えらい。

ここ1年、目の前のことに必死すぎて、心が固く冷たくなって、感受性がひどく弱くなりやすい時期だったと思う。
それでも、なくなったり、消えてしまったわけではない。ただ、隠れてしまっているだけ。

満を辞して向かったのは、恋人の演奏の場。
いつしか、彼の演奏を聴くたびに、一音目で涙が出るようになっていた。彼と、そしてバンド全体に、ど直球で勇気や生きる希望をぶつけられる。コロナ禍の制限や会社の辛さ、そんなものと戦っていた私には、救われるような心持ちであった。
あなたらしさが、とても真っ直ぐで強いのに、優しく感じられた。

彼は演奏家になった。
ある程度決められた中で演奏していくのだと思う。
それでも、その中にちゃんとあなたらしさがある。仕事としてだからこそ、今度は少しマイルドになって。それでも音や笑顔や手を振る仕草から、勇気や優しさが伝わってくる。
少しマイルドだからこそ、今度は涙ではなく、笑顔になることができる。

そうして思う。人は環境が変わっても、その人であり続けると。社会や会社は、私の思うようにはなかなか動かせないし、私が私でいられる時間は大きく限られる。それだから、心は固まり、冷え、感受性は弱くなる。
しかし、つまるところ、私は私なりのやり方でしか働くことはできないのだ。音楽のように、表現すること自体が目的でない仕事であったとしても、どんな仕事でも、自分らしさは出てくるし、その人なりのやり方になるのだ。


3月31日、仕事のセミナーがひと段落ついた。
セミナーの中で、ある心理学の先生が言った。人は、生きる上で安心基地(ポジティブな感情になれる場所・人)、安全基地(ネガティブな感情から守ってくれる場所・人)、そして探索基地(安心基地と安全基地の双方と連絡を取りながら、成長していくための場所・人)の3つの基地を持たないと、健やかに生きられないらしい。

今、私が生きる「現実」には、彼という安心・安全基地と、会社という少しばかり大きすぎる探索基地がある。
きっと、多くの人にとって、社会人になりたての時期は、この探索基地が大きすぎるのだろう。ましてや、一人暮らしをしていたり、家族といてもその関係性によっては、安心・安全基地がうまく作動できず、なおさらしんどいはずだ。
だからこそ、辛くても決して自分を責めなくて良いのだと思う。周りの環境によって、自身の心が変化しただけであって、自分自身は決してつまらなくなんかなっていない。


春、環境の変化があることだろう。
多くのものを知り、アップデートしていき、自分が変わってしまった気になるかもしれない。時にはしんどくて、心を失ってしまった気にもなるかもしれない。
しかし、それでも大丈夫。私たちはどこにいても、何をしていても、私たちでしかないのだ。












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