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誤りを指摘するときに改善点を言う必要があるかどうかについて

「文章における誤り」を指摘するときには、シンプルに指摘すればOKで、改善点を言う必要は無い気がしています。

たとえば、
・誤字脱字の指摘だった場合→淡々と修正する
・わかりにくいという指摘であった場合→(必要があれば)わかりやすいように修正する
・相手が誤解した場合→(必要があれば)誤解が無いように修正する
ということで事足りると思うので。

指摘の95%は元の文章を向上させてくれる有益なものだと思います。

一方、経営や政治における誤りを指摘するときは、改善点を言う必要があると個人的には思っています。経営や政治においては「100%効果があってデメリットが無い」という事は殆どあり得ないから。

たとえば、経営において良く例に上がるのは「品質と価格」の話。

現在のように原材料が高騰する中で、消費者の財布が堅くなっている状況があるとする。品質を落とせば安く提供できるけど、品質を維持しつつ価格を上げるという選択もある。

ただ、品質を落とせばたたかれるし、価格を上げてもたたかれるのは良く有る話。要はどっちを選択してもたたかれる訳だ。

もちろん、品質を維持して価格も維持するのが経営努力でしょ?と言うのは簡単だけど、改善以上に価格高騰がある場合は、経営努力ではどうにもならない部分も大きいです。

なので、私は経営者を一方的に批判しても、何も生まれないと思っています。今の状況下において全ての条件を満たすことは出来ないけど、もっと良くなる道を一緒に模索しつづけることこそが大切だと思います。

言い換えると、経営における「単なる指摘」は思考停止と等しいと思います。言い換えるなら経営者は「そんなこと分かってるわ!」という指摘が多いというか。まぁ、単純に経営者が選択を間違えていることもあるので、そういうときはきちんと指摘した方が良いけども。

なお、政治にも似たような事が言えるんだけど、特に政治的な主張をしたいわけでも無いので、このあたりで終了します。

いずれにせよ、皆で改善案を考え続けて、より良い社会を作っていきたいものです。

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