好きとか嫌いとか。

私は漁師町で育った。

小さい頃、食卓に並ぶものは海のモノばかり。

子供が食べやすいものならいざ知らず、小さい骨があるイワシ、かみ砕けないような骨の鯛、タコなんて皮がついたまま足が一本出て来るから噛み切れないわ、母の処理が大雑把過ぎて殻がいっぱい混入したカキ、砂抜きしていないアサリ、どれもこれも食べるのが面倒で、おいしく食べれるアワビだとかイカですらもう全部一緒くた「食べたくない」だった。

母は、ずーっと仕事してた。土曜だろうが日曜だろうが関係ない。仕事が貰える日はずーっと、山仕事。その合間を縫っては、学校が休みの私の為に、わざわざお昼を抜けて帰って来て、食事後はすぐにまた戻る、夕方も明かりがギリギリなくても見えるまで一切の手を抜かずにやり切る。だからこそ、また次の仕事が入る、ひっきりなしに山仕事が続く。

日雇いという、丸一日かけて頑張って例えば3000円貰えるというような、今では考えられないような仕事を、必死でやっていた、本当に1円のお金でも多く残したいと。

今でこそインターネットでどこにでも行ける、

Googleビューワーに人を落とせば、隅から隅まで高精細画像、行った事ない村にまで一瞬で旅立てるでしょ、360度見渡し「いい所だねー」なんて。贅沢だね、進化しているね。でも、私が子供頃には、インターネットなんてない、パソコンすらないよ、考えられないだろうけどね、だから、何の情報も無い、陸の孤島のような所に暮らしてた。

だからそれが常識だと思ってた。

一日駆けずり回り、泥だらけになって頑張っても3000円しか貰えないと思ってた。

まぁ、そんな事はいい。

問題は、情報が無いからこそ、そこにあるものこそが全てだと錯覚する事。

自分の置かれた状況、境遇、家庭環境、その時の自身の健康状態や体調やご機嫌に家の経済状況・・・今こそが、どうしようにも変えられない現実、そう思ったらそうなんですよね。

今思えば、私は本当に恵まれていた。あんなに努力する母の姿を見ても、嫌悪でしかなかった、自分をほったらかしの状態を。情報が無いイコール知識に乏しい、と言わざるを得ない。もっとも、小さかった故に心細かった、とか、寂しかった、という感情が働いたのもあるが、他の家の状況を知らなかったのだ。陸の孤島のそのまた更に孤立した家の中にほぼ引きこもり紙と鉛筆で絵ばっか描いてた。

はい、大幅に何を書こうとしてたか見失った。

今日は失敗したと言わざるを得ない、まとまらない。苦笑

はい、とにかくですね、あの当時、今買えば物凄い高いシロモノ「海の幸」をただ裕福に食べれる環境だったが故に、いらないとダダを捏ね母を困らせていた私・・・ナント勿体ない事をしたか・・・そして、母には感謝しかない。

と、いうような事を書くと、他界した母を偲んでいるとお思いだと思うが、母は健在である。

1分でも1秒でも無駄にしない、ずーっと考えて、この空き時間にはこれができる、この待ってる間にはこれを片付けられる、ずっとずっとずっと。動き続けている母、タフなのだ。ありがとう、そして、ごめんなさい、としか言えない。とにかく長生きしてね、孫の為にも。ネ。

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