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鎧塚みぞれと「窓」に関するメモ

『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』に、少しだけ開いた廊下の窓から顔を覗かせる鎧塚みぞれと話すときに、黄前久美子がその窓を全開にするという描写があった。
みぞれは久美子を「窓を開けるのが上手い」と評する。これは単に、リテラルに、窓を開けようとしてもつかえてしまうほど非力なみぞれに対して、久美子はそこそこのフィジカルを持っていると読み取ることもできる。
しかしこの「窓」が同時に「心の扉」の象徴でもあることは流石にまったく見過ごせるものではない。久美子にはもともと他人の心にずかずかと踏み込んでいく才能があって、基本的にはそれが『響け!』シリーズの物語を駆動させる。しかし「力がある」だけでは人間関係はうまくいかない。久美子は様々なコンフリクトを経て、「窓」を開ける「力の加減」を身につけた。
みぞれは、そういう様子を総括して「窓を開けるのが上手い」という言葉にしたのだろう。新部長としての久美子の走りだしを描く本作において、久美子が何故部長になり得たのかを分かりやすく示すひとことだと思う。

しかし一方で、みぞれは「少しだけ開いた窓こそが自分にとってはちょうどいい」とも述べる。締めきるわけでもなく、開ききるわけでもない。ここで、みぞれを主人公のひとりに据える『リズと青い鳥』で「窓」がどのように描かれていたか、当然気になった。
もう何遍見たか分からないが、「窓」に直接言及する台詞があったかと言うといまいち思い出せない。しかしやはり画面を思い起こそうとすると、そこにあるのは「窓」ばかりなのである。教室の窓、廊下の窓、階段の踊り場の窓、音楽室の窓、理科室の窓。『リズと青い鳥』に繰り返し登場するこのモチーフは、どうも校舎内のシーンが多いというだけでは説明しきれない気がする。『響け!』新作を観た後だとなおのこと。
テレビシリーズと『誓いのフィナーレ』まで確認する時間は捻出できなさそうなので、今はメモ書き程度に留めておきたい。しかしメモ書き程度でも、今感じていることは溢れてやまない。

みぞれと希美のふたりを映すカットは、全体的に窓が完全に閉まっていることが多い。その社交性とは裏腹に、心の扉が閉まっているのはどちらかと言うと希美のほうだ。

優子と夏紀の心の扉は開いている。

あるいはこういう表現も散見される。床をクロース・アップしており、窓そのものは映っていないが、窓硝子を通過した陽がリノリウムを照り付ける。ばらばらな窓枠の影が窓の存在を強く意識させる。

おそらくみぞれにとって最も「ちょうどいい」開き具合で、やはり久美子の姿を覗き見ているシーン。先ほど述べた『響け!』新作におけるみぞれと久美子のやり取りでも、まさにこのくらいの開き具合であった。

希美はみぞれの前で閉まりきった窓を開ききってみせるが、どことなく嘘っぽく、うまくいかない。このシーンで、みぞれの心の扉は希美に対して開かれない。

階段の踊り場がこのように描かれること自体がそもそも珍しい気がする。

希美とみぞれが、フルートに反射する光で「交信」するシーン。希美を映すシーンの窓は開ききっているか閉まりきっているかの両極端だが、みぞれを映すシーンの窓の開き具合にはいくつか段階があるように思える。みぞれの口数は非常に少ないが、他者との適切な距離感を探していないわけではない。

絵本の世界でも窓は印象的である。ただしやけに整然と並ぶ窓枠や青白い月あかりはどこか人間関係のあーだこーだとはかけ離れているようでもある。

以上です。

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