見出し画像

『天国大魔境』五十嵐回感想:マスコットにみる愛情の翻案

まずは大まかに。
『ヤマノススメ セカンドシーズン』新十三合目 不思議なホタルの物語(絵コンテ・演出:柳沼和良、作画監督:今岡律之)や『モブサイコ100 III』008 通信中② 〜未知との遭遇〜(絵コンテ・演出・作画監督:伍柏諭)のような独立性があって良かった。こういう話数は後で見返したくなったときに通しで見なくてもいいので気が楽です。話が話なのであまり繰り返し見たくないという思いもあるけど。
五十嵐海がコンテなどを担当する回・通称「五十嵐回」に大きな注目が集まるようになって久しく、例えばきらら漫画『ぬるめた』や日々の大量のラクガキで人気を博す漫画家・イラストレーターのこかむもは以下のように述べているほど。

実際、『SSSS.GRIDMAN』『プロメア』『SSSS.DYNAZENON』『サイバーパンク エッジランナーズ』『グリッドマン ユニバース』の「話の転換」は五十嵐無しには成立し得なかったと思う。一方で、真偽は不明だがTRIGGER NIGHT Vol.11で五十嵐が「辛い回を担当すると辛くなってくるのでもっとテキトーな回をやりたかった」と述べていたという証言もある。「テキトーな回」の射程がどこまでなのかは分からないけど、少なくとも前後の脈絡を握りしめて全力で走ってどう置き去りにするかが重要だったこれまでの「五十嵐回」と比べて『天国大魔境』第10話のオムニバス性が「適当」だったのは間違いない気がする。だから『ヤマノススメ Next Summit』#07みたいなフニャフニャな作画も見れた。再三にはなるが、それはそれとして結局「辛い回」ではある・・・。

弱音吐きはこの辺にして。
さて、本話数には原作漫画からの様々な翻案が見られる。
例えばマルとキルコが「壁の町」の校舎を探索するときの背景。職員室や教室は五十嵐らしいセル描きの小物で埋め尽くされており、比較的簡素な原作の背景に比べてキルコの言う「人が住んでた感じ」がよく伝わってくる。あと、セル描きの小物が画面内に多いとシンプルに嬉しい。

あるいは例えばマルとキルコを「壁の町」へ案内するジューイチの姿。「壁の町」から脱走した過去のジューイチと「壁の町」へ向かおうとする現在のジューイチが同ポジで重なる。本話数を「辛い回」たらしめるラストのジューイチの犯行への布石であり、ジューイチの主観の強調。過去のジューイチにまつわる描写は原作にも色々あるけど、この曲がり角を用いたのはアニメ版だけ。

ジューイチの境遇は複雑です。女性至上主義の集落で監禁されて育ったジューイチは当然女たちへの不満を募らせるけど、一方で精子の提供を強要してきた女ふたりとそれで産まれた子供・十五のことを愛してしまう(その女ふたりと十五を合わせた4人で脱走を試みるほどに)。結果、ジューイチは逃げ果せて女ふたりは惨殺され、十五は男たちに匿われた。仲間想いでもあったジューイチは、同じく監禁されていた男(仮称6号)が十五の面倒を見て育ててくれていたことに感謝しつつも、女ふたりが惨殺されるきっかけを作った仮称6号の行動に対する恨みの方が勝ってしまい、長い間仮称6号を殺す機会を窺っていた。最初に「壁の町」をマルとキルコに視察させた後の「子供どころか……敵さえ もういなかったんですね……」という台詞の「敵」が「人食い」ではなく仮称6号であることは言うまでもない。そして「人食い」の危機が去り、勘違いしたままのマルとキルコも集落を去ったあと、密かに仮称6号を殺し、十五を連れてあてのない車旅へ出る。

本話数は、先に述べた「曲がり角」の他にも、原作には無かったジューイチの愛情と復讐心の示唆に溢れている。その最も象徴的な例が、本稿の表題に据えた、EDクレジットから読み取る限り恐らく五十嵐がデザインしたと思われる「マスコット」なのだと考えます。

この構図の反復が本当に強く印象に残る。

ファーストカットからルームミラーにぶら下がって存在感を示してくるこのマスコットは、どうやら十五の出産に関わった女ふたりから貰ったものであるらしい。それを後生大事に抱えて「壁の町」から脱走したジューイチは、脱走して手に入れた「自由」の象徴とも言える車に結び付けることを選ぶ。

で、マルとキルコが車を引き継いだときにはもう無いし、十五を手にしたジューイチの新しい車にも無い(ラストカット)。
ジューイチにとってこのマスコットは、十五の生き写しであり、女ふたりの形見でもあり、仲間に絆されて復讐心から目を逸らさないようにするための強い意志でもあったのだと思います。仮称6号を殺して「敵討ち」を果たし、生きた十五を抱えて運転するジューイチにもうマスコットは必要無い。そして、アニメ語りにおいて散々擦られたらしい上手/下手理論に従うなら、未来に進むマルとキルコとは対照的に、このような生き方を選んでしまったジューイチにはもう過去しかないのでしょう。かけがえのない愛情故にそれに付き合わされる十五はこの時点でどうしようもなく不幸なのかもしれない。

みたいなことを今日はずっと考えてずっと見てました。もちろん作画の快楽もあり。
色んなアニメで五十嵐回が見たいな、という思いを強くした日でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?