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「北海道の七飯町大沼に住む」決心をすること

 函館で生まれたものの、小学校時代は雪の多い田舎で育った。祖母は自給自足をそのまま行くような人で、食べ物はほぼ自分で作り、小屋を建てるのに電信柱を一人で担ぐような強い人だった。小学校は一クラス10数名で、小中一緒で、100名足らずだったのだろう。学年を越えて、みんなで遊ぶようなところだった。
 どこかで求めていた自然との共生、そして田舎暮らし。旅行会社の添乗員をやっていた時に、こんなに素直な子たちがいるんだと思った大沼中学校の修学旅行。人懐っこくて、素直でいて、学校からの道すがら、出会った見知らぬ大人にも、「こんにちは」とにこやかに挨拶する。都会でいえば、警戒心もなく、ダメと言われるかもしれないが、子どもらしさは他の学校にはないくらいの自然体だったのだ。
 もうひとつのエピソードは、高校の古典の先生の言葉だ。日本三景というのがある。瀬戸内海に面した広島県の「宮島」、日本海側にある京都府の「天橋立」、そして太平洋を望む宮城県の「松島」だ。なるほど、松島は、松尾芭蕉の句にも読まれた感動のスポットだ。「もっと風光明媚なところが、みなさんの近くにあるんです。そこが、新日本三景のひとつである大沼公園です」ときっぱり。後になって考えると、この言葉がどこかに残っていたのかもしれない。
 そして、森と湖に囲まれた場所で、秀峰駒ケ岳を有する大沼公園に出会った時に、もうそれは恋人に会ったかのように、忽ち魔法にかかってしまった。ここが住む場所だと決めた。四季折々、毎日、この場所を今もなお楽しんでいる。

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