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眠り展:アートと生きること

眠り展:アートと生きること
 

ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで

東京国立近代美術館


2020年11月25日(火)-2021年2月23日(火・祝)
33人のアーティスト 120点の作品

コロナ禍と眠り


コロナ禍になって外出が減り、家にいる時間が増え、睡眠時間が多くなった気がする。
世の中が少し休んでいるというか、眠っているような、充電しているような感じもする。

久しぶりに日曜日に仕事が休みになったので美術館に行ってみたら、やはり混んでいた。
しかし眠りがテーマの展示ということで、カーテンの仕切りがあったり、ゆったりとした空間になっていた。
純粋に作品を見るということと、どんな風に鑑賞者は作品を見ているのかも観察できるいい機会だった。

眠りについてのイメージ


安らぎとか、夢とか、死とか、眠りというと色々なことを想像する。
日々抑圧されていたものが、夢うつつになると溢れ出してしまうことがある。
変な夢を見たり、寝言を言ったり、そして朝起きるとよく覚えていなかったり。
。。眠りについて考えてみると、理性と常識でコントロールしていたことが制御不能になっている気がする。

その制御不能な自分の本音というか、本能の力を借りて作品をつくってみる、というアプローチも面白いかもしれないと思う。
「あ、私ってこんなこと感じていたんだ、本当はこうしたかったんだ」とか。

催眠術や心理学的なアプローチとも言えるのかもしれないけれど、日々自分の気持ちを抑え込んでしまいがちな時は、その睡眠という力を借りて自分を観察してみてもいいのかもしれない。

ジャオ・チアエン 『レム睡眠』


ジャオ・チアエンの『レム睡眠』という映像作品について、その夢うつつな状態 (浅い眠りのレム催眠) の時に色々なことを語ってもらうという作品が興味深かった。



私は旅行が好きで色々な場所に行くのだが、旅先でなぜかフィリピンの方からよく話しかけられる。

彼ら彼女たちは世界中で働いていて、一般的に明るくてフレンドリーだ。そして友達や家族の話をよくしてくれる。
しかし普段話せないような、異国の地での苦労やつらさ、悲しみ、寂しさなど、抑圧してしまっている感情はきっと誰にでもあるだろう。時には泣きながら、叫ぶように話している様子が切実な印象を受けるのと同時に、夢うつつで寝ぼけているの?お酒でも飲んでいるの?うそ言っているの?気持ちが高ぶって大げさに言っているの?と思ってしまうような危うい印象も受けた。



ただそばにいて話を聞く、気持ちを共有するだけでも、満たされない気持ちは少しずつでも癒えていくのかもしれない。
とても個人的でニュースになんてならない小さなことも、こうやって作品として提示すると、ひとりひとりにそれぞれの物語があって興味深いと思った。

そして些細なことでも共感したり、感動したり、人ごとではなく、作品を通じて深く理解したり、繋がるような気持ちになったりする。

「お疲れ様、とりあえずゆっくり眠ってね。また明日いつでも話を聞くよ。」と言ってあげたくなるような作品だった。

塩田千春 『落ちる砂』


塩田千春の初期作品は、彼女の作品の中でも特に印象が強い。一般的には糸を空間に張り巡らせた大規模なインスタレーションが有名なのだが、彼女の人間的魅力が如実に表現されているのはやはりパフォーマンス作品だと思う。
彼女のそこまでしなければならない、どうしようもない欲求の強さというか、強迫的で根源的な『何か』が作品に込められている感じがして、いつも注目している尊敬するアーティストだ。

映像作品の中で、彼女は白い服を着て屋根裏部屋で横になっている。しかし明らかにベッドの配置が不自然だ。決してゆっくり眠れるような角度には置かれてはいない。まるで眠ってはいけないかのように、何か無理を強いられている印象を受けた。体勢も辛そうだ。そして部屋中に煙が次第に充満し、砂がどんどんこぼれ落ちていく。屋根裏部屋からは光が差し込んでくる。しかし煙で遮られるような、でもその光を頼りに生きていくしかないような、そんな印象を受けた。

彼女の作品エッセイで、『頻繁に引越しをしなければならず、目が覚めると今どこにいるのかさえ分からない時期があった』と語っていた。
海外で自分の居所が定まらず、きっと不安になることも多かったと思う。ドイツというヨーロッパで暮らすことは、アジア人、そして移民として、マイノリティーとして生きることの苦難も痛感していたのかもしれない。

彼女の作品を見ると、いつもその強迫的で根源的で重厚感に満ちたエネルギーを受けて落ち込んだり、ネガティブな気持ちになったりする。しかしそれだけではなく、不安や苦しみを背負ってでも『それでも私は生きていく』という強い決意というか、メッセージが込められているような気がして、中途半端でゆるい生き方に逃げてしまいがちな自分にとって、いつも勇気をもらえるアーティストだと思っている。

目覚めを待つ眠り


2009年に東京国立近代美術館で河口龍夫の個展『言葉・時間・生命』を観た。あれからもう10年以上経ってしまったのだな、と時の流れを痛感した。


一番印象的だったのが、植物の種子を鉛でコーティングし、未来へ命を繋ぐタイムカプセルのようにした作品だった。
今や卵子や精子も冷凍保存して、しかるべき時に解凍して受精させたりと、どんどん技術が進歩している。

コロナ禍で世の中は眠ったような状態になっている。私はこのままぬくぬくと眠っていたい、とやや現実逃避的な考えに陥ることがあるけれど、しかるべき時に向けて命の種子は目覚めを待ち続け、今も眠っていた。

観賞日:2021年2月14日(日)

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