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意識高い系の人について

私の知人に俗に言う『意識高い系』の人がいる。時々仕事で一緒になって色々お話を伺うのだが、すごいなぁと尊敬するような気持ちと、少し『?』と言う違和感を感じていた。『何だろう?この変な感じは?』とずっと気になっていたので、ちょっとその件について考えてみる。

○彼女についてのいろいろ
・彼女はとても勉強熱心で向上心があって努力家だ。
・彼女は美人でおしゃれで、水泳、筋トレ、ランニング、健康的な食事など、美容や健康についての意識も高く、自分磨きにも積極的だ。
・きっと自分が大好きなんだろうな、と感じさせるような自信のある言動をしているが、なぜか周囲の目や評価をとても気にしている。

『かっこよく思われたいんです』

彼女はいつもおしゃれなので、ある日私は憧れるような眼差しで『かっこいいですね。』と彼女に言った。彼女は『かっこいいと思われたいんですぅ。』と嬉しそうに返してきた。私はその返しがすごく意外だったのでびっくりした。

きっと自信に満ち溢れている(ように見える)彼女のことだから、力強く『ありがとうございます!』と言うか、『そんなことないんですよぉー。』と謙遜しつつもニヤける感じなのかなと思ったけれど、予想していた結果とは違って、『人からそう思われたい』という本音のような気持ちをストレートに言われたので驚いた。

かっこいいとか、かっこ悪いの価値観は別として、かっこよく見せて、かっこよく思ってもらいたいという自己演出をしているように思えて、私はその言葉が重要なキーワードに感じ、ますます彼女の言動を注目するようになった。

胸元の開いた服

彼女は私と会う時はいつもおしゃれなのだが、また別の日には何度か胸元の開いた服を着てくる時があった。彼氏と会う時なら納得できるが、どうして私と会う時にそんなセクシーな服を着てくるのかまた疑問に感じた。私と会った後、別件で男性にでも会うのかなと思ったりもしたが、仕事の打ち合わせ、しかも女性の私と会う時に、挑発的な服装は流石に気を使ってしまい疲れた。

まぁ、欧米女性のファッションは割と胸元を出したり、体のラインを強調した服を仕事でも気にせず着たりしているから、きっと欧米カルチャー好きな彼女らしさなんだと思えば少し納得できた。実際彼女は海外に留学経験もあるし、海外の友人も多いらしい。

彼女と会うと向上心や成長したいというモチベーションの高さ、勉強熱心さや努力など、色々なことが勉強になる。そして様々な情報や知識を熱心に教えてくれる。しかし、彼女と会った後、妙に疲れる時がある。

『やりましょう、是非!』

またある日、真夏のとても暑い日に打ち合わせで彼女と会った。開口一番に彼女は『私、今熱中症で体調が悪いんです。』と言ってきた。私は「大丈夫ですか?今日お休みしても良かったんですよ、連絡して下ったら良かったのに。。。」と何だか申し訳なさそうに答えた。彼女は『いえいえ、これくらい大丈夫ですから。』と顔色もあまり良くなく、フーフー言いながらも、きっちり仕事はしてくれた。私は「体調悪かったのにすみませんでした、お大事にして下さいね。」と言ってその日は早々に別れたが、こういうことは過去にも何回かあった。

以前彼女は熱が出て体調不良だけれど、微熱だったのでオンラインで打ち合わせをしたこともあった。特段急ぎの仕事ではなかったので私はもちろん止めたし、何を言っても彼女は言うことを聞かないくらいの『やりましょう、是非!』という前のめり感が凄かった。

どういう言葉を言えば彼女は大人しく休んでくれるのだろうと悩んだこともあったが、彼女のとてつもない向上心や熱い気持ち、モチベーションの高さに沢山励まされもしたし、それと同時にすごく疲れるなこの人、と思う時もあった。

ファンタジーな服装

別の日、また打ち合わせがあり彼女と会った。相変わらず彼女はおしゃれだった。私の周りにはいない港区女子風なファッションというか、コスプレっぽい、なぜか舞台衣装感があって目立っていた、というか周囲から浮いていた。きっとこれが海外だったり、パーティーだったら気にならなかったかもしれないと思ったが、その服装の中に、仕事をする動きやすさ、着心地、同僚や仲間、クライアントへの配慮など、色々なことを考えると、どうも実体感というか、現実味が伴っていない印象があった。実際彼女はフリーランスで仕事をしているが、オフィスなど会社で働いたことがほとんどない、と言っていた。

やはりそれは彼女が言っていた『かっこよく思われたい』『魅力的に見せたい』という気持ちを最優先させた、良くも悪くも地に足がついていない、ファンタジーな演出が前面に出た服装なのだと思った。

私の周りにいる仕事ができる人って、おしゃれな人というイメージよりも、そんなことが気にならない割と地味めなファッションの人が多かった。(アパレルやクリエイティブ業界なんかは、おしゃれに気を使うことはとても大事かと思います)

服装で自己演出する

本当に仕事ができれば服なんてそんなにこだわらなくたっていいんじゃないかと思っていたけれど、(スティーブジョブズのように毎日同じ服とか)やっぱりそこは彼女のコンプレックスや満たされない気持ち、なりたい自分を演出するために、どうしても『服で!』何とかしたいというメッセージが彼女の服装からひしひしと伝わってきた。

胸元が開いた服を着るときは『私はセクシーで女性としての魅力がある人なんです』というメッセージがあるし、エレガントな服は『私は上品な女性なので大事に扱って下さい』、アクティブでスポーティーな服の場合、『私は健康で前向きでアクティブです』といったメッセージがあると思う。

私は動きやすくて着心地が良ければ自分の服装も他人の服装もあまり気にしていなかったので、服装から色々なメッセージを伝えたり、自己演出できたりもするので、これからは少しは気をつけないといけないなと反省した。

しかし往々にして私の周りにいる仕事ができる人は服装でドヤっていない自然な人が多いので、そういった人たちがいてくれて、正直ほっとする自分がいる。服に気をつけることは大事だけれど、自分も相手も疲れない服装が一番いいなと思った。

『私は魅力的な人なのだ』とあえて演出する理由

色々と彼女に対する文句みたいになってしまいましたが、そんな彼女の意識の高さとモチベーション、服装や言動から、『私は魅力的な人なのだ』という演出を一生懸命にしなければいけない理由は一体何なのかと、また疑問が湧いた。自信に満ち溢れた言動とファッションをいつもしていたので、自信があればそんなにぐいぐいアピールしなくても充分満足できそうなのに、なぜぐいぐい攻めて来るのだろうか?と思った。

色々とお話を伺うと、彼女は仕事も万全の準備で望んでもクライアントの反応がイマイチだったとか、仕事相手との相性がよくないと仕事がうまくいかない、常に自信はあるけれど、やっぱり人は苦手だとか、相手の言っていることがよく分からないからもっと理路整然とはっきり言って欲しい、などなど、彼女なりの苦労もあるようだった。

そういった話を聞いていくと、私の中で『かっこいい人』と『かっこよく見える人』は違うし、『自信がある人』と『仕事ができる人』は必ずしも同じではないということが分かってきた。

ぐいぐいアピールの無限ループ

ぐいぐいアピールしても、彼女が満足できる反応が相手からなければ不満になるのだろうし、一番違和感を感じる点は『私の満足感』が最優先になってしまっていて、相手の気持ちは二の次になっていることだと気付いた。

そしておそらく、ぐいぐい強めにアピールしたということは、それと同じか、それ以上のぐいぐい、すなわち強めの手応えが得られないと満足できない、または気づかない『強めを好む人』なのだと思った。

もし彼女の望む強めな反応でなかった場合、きっと彼女の中では無いものになってしまっているのではないか、と思った。ということは、彼女の満足感を満たすには、強めにぐいぐい返さないと伝わらない、ということになる。

彼女は自分の満足感を満たすため、そして不足感を抱えたまま永遠にぐいぐいと攻め続けてしまう、ぐいぐいの無限ループに陥ることになるだろうと思う。(ぐいぐいが多い)

彼女がキャッチできない微細な反応に気付いてそれを受け止めることができて、ささやかなものにでも満足できる包容力が育ってくれたら、ぐいぐいの無限ループから抜け出し、彼女の人間の深みみたいなものが増すような気はするが、彼女にとってその気づきが今必要なのか、それは私には分からない。

私の満足感=相手の満足感

自分の満足感を満たすことはとても大切だ。しかしそれと同じくらい相手の満足感を満たす気遣いというか、配慮がないと自己中心的な印象を与えてしまい、きっと相手はモヤっとしてしまうだろう。やる気はあって意識は高いのに、なぜか一緒にいると疲れる、残念でもったいない人になってしまう。

私はこんなに頑張っているのに、みんなの反応がイマイチ、それは私の頑張りが足りないんだと感じ、更に頑張って(熱中症になったりする)何でみんなもっと頑張らないの?認めてくれないの?と世の中や周囲の人間に怒りを持っていたり、見下していたりする。
その満たされない気持ちをカバーするために更に努力し、自己演出し、積極的にアピールする。もう書いていて何だか疲れそうな生き方だと思う。

私だったら疲れてギブアップしてしまいそうな状況だけれど、彼女はものすごいパワーで頑張れてしまう。それってある意味すごい才能だと思うが、とても危うい生き方だとも思うし、きっと相手とトラブルになったり、体を壊したりすることも多々ありそうな感じがする。

本物の意識高い人になっていく

しかしその絶え間ない努力を続け、経験と結果が積み重なってくると、しだいに周囲から認められるようになる。意識高い『系』の人から、本物の意識の高い人になっていく。

血の滲むようなつらくてしんどいプロセスを経て、きっと彼女は本物のすごい人になっていくような気がする。なので彼女をディスったり、妬んだり、うざがってばかりでも良くないと思うし、その絶え間ない努力と高いモチベーションを維持する精神力はやはり見習わなければいけないと思った。

そしてきつくてつらいプロセスを逃げずに、でももう少し楽しく、緩く生きていく方法もあるんじゃないか、と思ってみたりする。
どうしても意識高い系の人って自分上げ、相手下げのような見下した言動をしていることが多いし、頑張る自由もあるけれど、頑張らない自由だって人それぞれあるだろう。

私は彼女からすごく沢山のことを学んだ。私も意識高い人になりたくて彼女と仕事をしていたし、きっと私も自己中心的で痛い女性だったかもしれないと反省した。

肩の力を抜いて生きる

意識を高く持つことは大切だが、自分にも相手にも心の余裕というか、余白というか、自由がある柔軟な接し方をしたいとつくづく思ったし、自分も相手も幸せになれそうか、傷つけていないかを配慮していきたいと思う。そして微細な反応もキャッチできる人でありたいなと思う。
そしてもう少し私は肩の力を抜いて自分と相手、世の中と向き合っていきたいと思う。

彼女の成長を今後も見守っていきたいと思うし、きっとまた良い意味でも悪い意味でもやらかしてくれそうな気がするので、楽しみにしている。

しかし私の精神力が割としょぼいので、そばにいると疲れてしまう。これからはちょっと遠いところから、ささやかに応援していきたいと思っている。









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