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水を視る、 序:安岡章太郎『利根川・隅田川』

 表紙写真は,『利根川・隅田川』と副題を付けていながら荒川。すみません,東京の北住まいなものでiPhoneに利根川も隅田川も入っていませんでした(汗)近々,散策に行く予定なのでちゃんと調達しておきます。
 とはいえ,荒川と利根川・隅田川は切っても切れない縁。元々,やんちゃな暴れ川だった荒川は,流量の多い利根川と合流し東京湾に流れ込んでいました。そんな二つの川が合わさっておとなしく悠然と流れるわけがありません。荒ぶる川は度々江戸の町を水でおおい尽くしました。
 そして,江戸に入城した徳川家康の命で『利根川の東遷』という一大土木事業,荒川と利根川の付け替えが行われ,その後の改修・ダム化などがあるものの,おおむね私たちが知る利根川の流れとなり,荒川下流域は現在の隅田川の流路を流れるようになったのです。その後,荒川は岩淵水門を分岐点に人口水路を流れるようになり,岩淵水門から下流の旧荒川水路が隅田川と呼ばれるようになりました。
 川を動かす!ロマンを感じずにはいられない(笑)利根川の東遷も調べると話が尽きなそうです(土木工事好き)。けれどもこれは別の話,いつかまた,別のときに話すことにしましょう。
 利根川と荒川と隅田川の歴史は親子三代史。古からの水の流れ,時の流れを少しずつ視ていきたいと思います。


 ということで,やっと本文に入ります。
 2020年に読んだ本がちょうど100冊。その中で群を抜いて素晴らしく,2020yuuki大賞受賞はこれだ!という1冊が安岡章太郎『利根川・隅田川』です。文庫版だけど,表装もいい感じで,とにかく大好きな1冊。

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 とはいっても,書評を書きたいわけではないし,そんな能力も多分ない。この本がきっかけで呼び覚まされた「わたしは川が好きだ。」という感情を残しておきたい。
 ちなみに,河が好きだと書いたのは『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)や『ノートルダム・ド・パリ』(Notre-Dame de Paris)で有名なヴィクトール・ユゴー。ライン河を巡る紀行文の冒頭で,たひたび話してきたにも関わらず力強く好きだと言いきっているところがとてもかっこよく,惹きつけられます。この数行を読んだだけでライン河に恋してしまう(笑)

 たびたびあなたに話してきたことだが,わたしは河が好きだ。河は商品を運ぶのと同じように思想を運ぶ。(中略)
 これもすでに話したことだが,あらゆる河のうちでも,わたしが好きなのはライン河だ。

-ヴィクトール・ユゴー『ライン河幻想紀行』(岩波文庫)

 とはいえ,はじまりは安岡章太郎の川からだ。

 利根川とはかぎらない,とにかく自分になじみのある川を,川下から川上まで,空の上から眺めてみたいというのが,私の念願(?)の一つだったーー。(中略)
 なぜだろう,なぜ川の流れにひきつけられたりするのだろう?「川は生きている」からだろうか。

ー安岡章太郎『利根川・隅田川』(中公文庫)

 と言って,安岡が小型双発機をチャーターして利根川の水源探しの空の旅をするのが昭和39年(1964年)(作家というのは儲かったのね・・なんて思ってしまいますね。)。
 利根川の水源・源流をめぐっては,明治,大正,昭和初期と南極探検隊のごとく危険な探検が行われ,水源が大水上山(刃根岳)と確認されたのが大正15年(1926年),源流部が大水上山の三角形の雪渓であることまでわかったのが昭和29年(1954年)。
 大正15年の利根の水源探しの探検計画については,
  「「南極極地,アフリカ,チベット,ゴビの砂漠探検に比すべき」壮挙であって,もしそれが成功すれば,「頽廃せる世道人心を益すること,甚大なるべし」と当時の上毛新聞に書いてある。」
と安岡が書いている。
 それくらい,利根川の源は謎めき,危険がいっぱいだったということだ。私が知る利根川は,千葉と茨城の間をゆったりと流れる川。それ以外の表情を知らないと,思いながらGoogleMapで銚子の河口から利根川を遡上していたらなんてことはない,渋川,水上,…よく行った温泉街のそばを流れる川も利根川だった。なんとなく,利根川の支流くらいの認識でした。
 というよりも,南極に行くくらい危険だった利根川の源流をGoogleMapで簡単に見ることができる衝撃!

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『利根川水源碑』の右手に扇状に広がる雪渓。これが利根川の源。首都圏を潤す水は雪解け水だった。知識としては知っているけれど,こうやって見るとなんだか感動。安岡が双発機をチャーターしてしまうのも納得。
  「出来るだけ低く,出来るだけ遅く,と操縦士にたのんでおいた」
という安岡のように,私も山肌すれすれを飛んで上空からみたい(安岡は実際には上流に双発機では行っていないようです。)。

 ところで安岡は荒ぶる利根川について,こんな風に書いています。

 上州女の気の荒さは,最近でも電話の交換嬢が中年男の局長をシゴいたりして有名だが,利根川もまたこのへんでヒステリー女のように何度も暴れまわるのである。ちょうど滝が滝壺で水勢を増すように,山から下りてきた川もこのへんで平野にぶっつかると勢いがついて,どっちへ曲がるか方角に迷うのだろう。

ー安岡章太郎『利根川・隅田川』(中公文庫)

 女性の私からみても,非常に面白い文だと思うのですが。今なら,フェミニズム団体が即抗議して連載打ち切り,謝罪文掲載となってしまうのでしょうか。
 ところで,これを読んでくださっている方は,「電話の交換嬢」なる職業をご存知でしょうか。『となりのトトロ』でサツキがカンタに連れていってもらった本家の電話で大学にいるお父さんに電話を掛けるときのアレです。といっても,このシーンでは交換嬢の声も姿も見えませんが,こうやって電話を掛けていたというイメージをもってもらえたら。この話は,元電電マン(ウーマン?)の血が騒ぎます。けれどもこれは別の話,いつかまた,別のときに話すことにしましょう。

 さて,電話の歴史はおいといて,川の歴史に戻り本を読み進めます。すると,素敵な出会いが訪れます。

 たとえば浦和市の郊外にのこっている通船堀というのは,利根川から流れる見沼代用水路と,荒川の支流芝川をつなぐ運河で,徳川期は勿論,大正の初期までは埼玉の米はこの運河をとおって東京にはこばれたというのだが,水位の違う芝川と用水路をいくつかの閘門(こうもん)で階段式に連絡させているのは,パナマ運河と同じ原理によるものだ。これが出来上がったのは享保十六年(一七三一)だから,パナマ運河より大分はやい。

ー安岡章太郎『利根川・隅田川』(中公文庫)

 パナマ運河がさいたまにある!(いや違う)
 軽い興奮状態におちいります。このあと,安岡は通船堀の惨状(当時の)をみて「ただのドブ川」と酷評していますが,今どうなっているのか視たい!視たい!視たい!ためしにGoogleMapで検索してみるとちゃんと出てきます。これは行かなくては!
 こうして,「わたしは川が好きだ。」という感情が呼び覚まされたのです。
 ということで,次回『見沼通船堀を視る』へ続きます(たぶん)。

後記:ところで,「呼び覚まされた」というからには元々内なる感情があったということですが。これについても,後々書いてゆきたいなと思います。父が隅田川で水泳を習った話とか(なんだそれ笑)。


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