堕ちたピン東メンバー


※この話はフィクションであり、実際に似たようなお店、従業員、同じ苗字の人がいても一切何も関係ありません

「初めまして、系列店○○から移動してきました新人の吉岡です、よろしくお願いします」

キリっとした姿勢がいい若者が俺に頭を下げる。
初対面の相手に笑顔を浮かべ、人の目を見ながら喋る若者に、俺は劣等感と苛立ちというであろう感覚に襲われた。
笑顔なぞ、もう何年も浮かべていない。誰とも笑顔で喋っていない。表情筋はアルプス山脈の岩のように固まり口は最低限しか開かず、聞き直される事が日に日に増えていく。

「あー」 それだけ言って、ボロボロの偽名の名札をつけてホールに挨拶に行く。借金取りに追われて東京に出てきた俺は、経歴、名前を偽って働いている。連絡を取り合う知り合いや友人は誰もいない。携帯はアラームにしか使わないので、何年も前から解約している。

早番と入れ替わり、遅番がメンバー2入りで交代する。4人番で、責任者と10年選手が入っていく。
「吉岡、お前は 佐藤からこっちの立ち番を学べ。3番手で行ってもらうからな」
佐藤とは俺の偽名だ。責任者の高田が俺に教育を押し付けて卓に入る。クソ野郎が、強い常連の卓が空きそうになったらトイレに篭るか飯を食うくせに。 俺は外れ卓担当なのだ。
雀荘において欠けが出た時は椅子取りゲームなんかではなく、その時間帯の責任者が誰を行かすか決める。
だから責任者と仲良くしていくのは重要で、嫌われてる奴は誰も行きたがらないような卓にだけ突っ込まれ、夜早い時間帯の忙しいときに立ち番を押し付けられる。

10年選手の桃田は高田と長く、お互いが楽しようと支えあっているので、早番との交代時の立ち番が忙しい5~6卓では一番最初に卓に入る。そして、明け方の5時6時、卓が1~2卓になると本走交代を要請し、奥の卓で寝る。
明け方に残ってるのは打ち慣れた常連ばかりで、カモのリーマンは終電前にそそくさと帰ってしまう。
忙しい時間帯に立ち番をこなし、 暇な時間になれば補充、引継ぎ、清掃をして汗が出始めた頃に麻雀を打たされる。
雀荘は男の縦社会。上に嫌われれば苦労する。

「おい、ビール!」 「コーラ頼んだぞ!何やってんだバカヤロー!」 「おしぼり!灰皿替えろ!」 「ヤキソバ作ってー!」 「出前!」 「これでラス半!」

ホールに怒号注文が殺到する。こんなのは日常茶飯事だ。 返事もせずに、聞こえた事から淡々とこなす。
怒られたって殴られるわけじゃない。言葉で傷ついたり、イライラしたりしなくなってから、怒鳴られたり、バカにされるのに一切の抵抗がなくなった。

ビールとコーラを黙って置き、黙ってサイドテーブルからビール代金を貰う。
ビールを飲んでいる客の加藤は金に無頓着でゲーム代やタバコ代、ビール代を持っていく時も一切カゴの金を見ない。千円札が30枚ほどカゴに入っている。
「加藤さん、1000円から持っていきますからね」 「んー」
カゴに他の客から手の甲が見えるように手を入れて指を四本縦に真っ直ぐ入れて指四本と親指で札をキッチリ挟みズレないように素早く抜き取り、すぐに後ろを向いてレジに釣りを取りにいく。
ふん、三枚か。レジに千円入れてビールを記帳し、500円のお釣りを持っていく。二枚は、俺の手間賃となる。
今日はひとまず+2000円の歩合だ。俺だけじゃない、みんなやってることだろう。罪の意識はこれっぽっちもない。不真面目に稼げる事が俺の美学だ。

「お後何か注文の方」これを淡々と繰り返せば客の要求は片付く。長いこと同じ店でやって身に着けた術だ。
注文を覚える気はない。 常連の注文を優先して行い、飲み物食べ物を持っていく、卓に入れといわれれば入る、ゲームシートを誤魔化してゲーム代を懐に入れる。それ以外はなるべく何も考えないようにぼーっとしながら12時間を過ごす。

吉岡はよく働いた。 常に早足でテキパキ動き、灰皿も自分から替えてドリンクも聞きにいく。
自分から灰皿を変えたのは、何年前だろう。思い出せないほど前だったし、この店ではしたこともないな。
何も注文が入っていないのに、吉岡はホールの真ん中に突っ立っていた。チェーン店じゃあるまいし、気持ち悪い奴だ。初日だから頑張っているのだろうか。

ホールに向かって声をかける。
「吉岡、そんなに頑張らなくていい。灰皿もドリンクも言われるまでは何もしなくていい。注文がなければ座ってタバコを吸うか新聞か漫画読んでろ、それがここのスタイルだ」
常連さんからは馬鹿にした突込みが、見ない顔の客からは物凄い視線を感じる。


「いえ、初日ですから。それに俺、サボるのあんま好きじゃないんですよ」
清廉な若者は間を置かずそう答えた。サボるのが好きじゃない、そんなセリフで俺の好感度が上がるとでも思ったのだろうか。
「好きにしろ」
こいつは馬鹿で扱き使われることに喜びを見出す畜生以下だ。給料なんか変わらない、何も頑張る意味はない。価値観が違う奴と話しててもしょうがない。

立ち番を全て任せて奥の休憩室に入り枕を敷いて寝た。サボるのが好きじゃないなら、精精頑張ってもらおうじゃないか。
4時間寝て2卓になり、2人と本走を交代した。吉岡のデビュー戦に付き合うことになった。

系列店で成績を残し積み立てを50万貯めないと都内で一番レートが高いうちの店には来れない。
ピン東南1-3が飛びで6000円なのに比べて、うちは東風の順位戦でワンラスを引けば確実に1万が飛ぶレートだ。2万のラスもざらにある。
吉岡の麻雀は知らないが、腕達者と見ていいだろう。 然し、このレートは魔物だ。客は当然他の店と比べれば辛く、シビアな麻雀を打ってくる。レートも低く弱い常連と打ってきた系列店流れの奴は、一ヶ月目大抵給料を残さない。
給料以上に負け、積み立てが三ヶ月でなくなるなんていうのもザラだ。 だからこそ会社に積み立てしないとこの店には来れない。メンバーからのお預かりカゴみたいなものだ。

吉岡のデビュー戦は腕達者の常連2人と俺だった。

吉岡は緊張で手が震えている。常連の威圧的な絡みにヘコヘコとしながら麻雀を打っている。
客層は悪いしキツイ煽りも打ち方批判もある。これを上手くいなして麻雀全力で打つのは新人の若い奴には難しく、大抵みなそこでリズムが崩れる。

俺の6000オールでスタートした1回戦目は1本場以降2着取りの展開になり、オーラスで吉岡は三着目だった。

親 13400
俺 51000
吉岡 13300
常連 22300

吉岡はドラの9sを叩いてソウズホンイツの三フーロ

裏裏裏裏ポン中中中ポン九索九索九索 チー一索二索三索


親は苦し紛れのバック仕掛け。


裏裏裏裏チー四筒赤五筒六筒チー六萬七萬八萬 チー七索八索九索

役牌の西白発中は全て見えていて、残りはW東バックしかない。

その頭の東は自分がトイツで持っていて聴牌している。
親のアガリはない。吉岡があがって二着が濃厚だろう。


一索二索三索四索五索六索七索八索東東 北北北ツモ六索  


薄い369sをツモったが、倒せば吉岡が3着に上がる。
俺は東を切った。
「ロン、マンセン、二着だな、辞め」
ラスト、会社1-4です。 口上で着を伝え清算を行う。吉岡の顔、耳が赤くなっているのがわかった。
睨むような顔で一万円札を投げてくる。どっから切ったんだよってか。あがった形からだよ、新人。
千円で麻雀が乱れてくれるなら安いもんだ。
新人には手厳しく打ち、バランスを崩れさせて給料を奪う。立ち番させて自分のワン入りを増やして給料の流れを良くする。

新人に優しく打てば、給料が残りやすくなり、新人が丸卓の欠けに入ることが多くなる。
かりに俺が客から一人1G200円勝てるとすれば、1時間で3G、時給850円フルバックに1800円加算され時給は2650円になる。それも立ち番すればただの900円、かりに吉岡の卓が一人欠けても吉岡がいれば、客から変わらず200円ずつ取れたという仮定だとしても時給は2050円まで落ちる。
フルバックなら本走を無限に打ったほうが得だ。場代の600円を返せるなら、1時間で4G回せば時給は3000円以上になる。
ハッキリ立ち番なんかする意味がない。かりに1G300円しか勝てないような腕でも卓に入れば3G回れば900+900で1800円だ。

これも俺が給料を残し続けた処世術の一つだ。一人刺さってる奴を作り腐らせ精度を落とさせ立ち番を作る。
勝つためには何でもする。自分の給料を増やすためなら反則ギリギリも従業員同士の助け合いも関係ない。
新人が刺されば否が応にも立ち番をすることになり、負ければ負けるほど、立ち番が多くなればなるほど麻雀は”ジレ”が生まれる。
刺さってもずっと打ってたほうがルールや打ち方が安定してアジャストしやすくなる。


だが責任者の立場からすれば1ヶ月目の新人を手荒く扱えば自分の評価に関わり、昇給昇進の問題になる。
だから新人は多少損をしてでも3日以内で必ず負けさせるのだ。

みんな集中した環境でゆっくり打ちましょうなんていうのはプロにでもやらせておけ。
こっちは相手のコンディション精度をいかに落とし一人を殺すか考えている、よっぽど俺のほうがプロだろう。
生きるために何をしてでも勝ちに拘っている。同僚は仲間でも友達でもライバルでもない、ただの敵なのだ。
同卓する回数が多い分、何をしてでも苦手意識を植え付けさせ心理の風上に立たなければいけない。


次の半ちゃんも吉岡はラス、本走金は3万円で、新人は3万負けた段階で卓から強制的に抜けさせられ、その日は立ち番となる。2ラスを引いた吉岡の本走金は残り5000円になっていた。

2回戦を2着で終えた俺は3回戦目トンパツ倍満の4000円オールをツモり、1回戦目のように圧倒的なリードでオーラスを迎えた。

親 19500
俺 43000
吉岡 17300
常連 20200

吉岡が12順目にドラの5mを強く切ってリーチ。2位目の常連はオリて親は悩みながら筋を切ったりしている。
俺は吉岡をラスで終わらせるべくピンフのみでゼンツッパ。
吉岡のラスヅモは虚しく捨て牌におかれ、常連は完全なベタオリ、親のラスヅモに力が入る。
「うわぁ~~、てんぱんねぇでやんの!」親が言いながら現物を合わせて手牌を伏せた。

俺が最後のハイテイ牌をつもる。無筋の赤5p。

リーチ棒を出した吉岡は2着と3900差、3着と3200差で一人聴牌なら二着まで浮上する。
順位戦のオーラスで、危険を冒して聴牌を取る意味は何もない。 吉岡はしきりに点差ボタンを押して何かを俺に伝えようとしている。伏せろって言っているんだろうな。

小考し、俺の強打した赤5pに吉岡は唇をかみ締めて手牌を倒した。

「・・・聴牌です」
四萬赤五萬六萬七萬八萬九萬九萬一筒一筒一筒二筒三筒四筒 


「私も聴牌」

一索二索三索三索四索六索七索八索九索九索七筒八筒九筒 


「吉岡とそれぞれ3000縮まるので斉藤さん二着残りですね。柳さんも三着まま」
「俺二着か!佐藤助かったぜ~」
「ラスト、会社1-4」

顔を茹蛸のように真っ赤にした吉岡だが、カゴには1000円しか入っていない。
ラスで8000円のルールだ、当然アウトを切るしかなく、アウトを切れば新人は交代。
「吉岡君美味しかったよご馳走様、ただ働きご苦労さん」
常連の容赦ない煽りに丸の卓からも煽りが飛んでくる。吉岡の笑顔は完全に消えていた。

奥で寝ていた高田が卓に入ってくる。

「あいつ強いって噂だったのに、使えねえな。ねみいよまったく」
「ま、東風なんてそんなもんだろ。あいつツイてなかったよ」

翌日からは、数えるぐらいしか吉岡と喋らなかった。挨拶も、初日だけだ。


2ヵ月後、系列店で結果を出した吉岡は、翌日以降長考が増え外から見ても麻雀を完全に見失い、2ヶ月でアウトオーバー40万を記録し、系列店に戻されたが、そこでも刺さり翌月飛んだ話を聞いた。

「吉岡、飛んだらしいぜ。美味しかったから、また戻ってきてほしかったのにな」
情報通の高田が卑しい笑顔でボロボロの歯をむき出しにしながら喋りかけてくる。
高田から聞いた話では、ネット麻雀テンホウで東風九段だったらしい。自信があったんだろうな、もう麻雀はやらないかもしれない。そのほうがいい。

客の現金カゴから抜いた金で、今日も風俗で女を抱き酒を飲み3畳の寮で酔いつぶれる。
この生活から抜ける気も、抜けてすることも、やりたいことも、ない。そうやって、気付けば38だ。
腹は力士のように出て肌はボロボロ、目は空ろで髪は白髪でぼさぼさ。30を超えてから鏡を見なくなった。

娘は今、何歳になっただろうか。
嫁はもう、俺を許してくれているだろうか。
親は、もう死んだだろうか。10年以上、連絡をしていない。
何も考えたくない。考える事もない。2段ベットを降りてトイレに行き、ぶっとく敷いたコカインを鼻から吸う。
ああ、気持ちいい。

薬を決めている時以外では、誰かを虐めている時と、女に中出しする時だけ、生きていると感じれる。
死ぬ気すら起きない。真面目に働く気も、生きがいも、やりたい事も何もない。

早く、また新人が来ないだろうか。

娘に会いたい。

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