子ども おとな チューニング
いつか死が訪れるのでそれまでは愛しいと感じたことに対して素直になろうと思います。
できるなら、会いたい人には自分から会いに行こうと思います。
だっていつか死が訪れたら人に忘れられる存在なのだから、人に迷惑をかけない程度に素直に生きたらええやんと思ってしまいます。
いたって簡単、ゴチャゴチャと言い訳をする前に行動
悲しいとか辛いとか色々あるけれどそれも生きている証拠ですね。
このように周りのことは一切気にせず、自分の気持ちに素直な子どもの自分もいれば
もう大人なんだから。と個人的な感情を殺して律しようとする自分もいます。
子どもと大人の自分が自分の心の中で戦っているので
あの日からゆっくり休めていないのかもしれません。
でも変わらないことといえば、
何度裏切られようと私は人間が好きだということ
昔から変わらない一途な性格
この辺だよなー
他人を嫌な気持ちにさせない程度には素直でいたいけれど貫くには相当な覚悟がいるんですね。
人生は選択の連続だなんて言いますけれど
本当にその通りだと思います。
この気持ちを捨てる選択肢もある。
捨てるためにはベクトルを自分に向けるしかないです。
自分の成長だとかキャリアだとか
なんか、最近思うんだけど
自分が自分と向き合うのってとてもしんどいことじゃないですか。だから人は他人に恋をするのかなと
自分をみなくていいように…というか
でも本当の恋をすると、相手を介して自分を知ることもあるような、で苦しくなる
特別な感情を他人に抱くことは
苦しいことだと思いますね本当に
もっとワイルドに生きていたいのになあ!
結局ゴチャゴチャと悩む性格は変われません。
悩んだらこうやって文字にするしかないです。
スピッツを聴きながら文字にするんです。
言語化が私とこの世界とのチューニング方法というか
そんな感じだよね〜
くっっさいな!!!
私を知ってほしいなんて感情はびっくりするくらい微塵もありません。ただ相手を知りたいという探究心が私を突き動かしているようです。
そうか!いまピンときたわ
多分共感したくないんだと思います。自分の中にはない理解し難い相手の価値観だったりを知りたいからこんなに興味が湧くのかもしれないです。どうして?なんで?って、知らない価値観を知りたいんだと思う。
メッセージとかLINEのやりとりが大の苦手なのだけれでも、自分の感情はどうでもいいのに会話するにはその辺も皆無では進まないから…かもしれません。
会って話そうぜ!?!?とすぐなっちゃう
文字だと誤解生じるし、誤解されるのが嫌すぎて長文になるから嫌いよ!!
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