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思考できるほど暇でも無い

本当はこんなくだんなくて馬鹿馬鹿しい文章書いてる暇なんてない。今更人に伝えたいことなんてない。俺の現状を伝えたからって何がどう変わるなんてことは一個もない。自分も他人も。
今もまだ明日進捗を伝えるための作業がまだほとんど残っている。3日もあったのに、まったく進まなかった。こんなことしている場合では無いが、作業に戻るともうやるせない気持ちとか、肉体でも持ったことないようなありえない重くて硬いものが内面にずしりと乗っかってくるようで、作業の方向に目を向けられない。

9、10月以降の自分の心持ちは常に右肩下がりになってる。そりゃ、良いことも悪いこともそれなりにあったし変わらず普通にやってたつもりだったんだけど、どんどん落ちていくのが我ながらはっきりとわかった。
まだ飲み始めたてのお酒を毎日飲んで、アルコールで無理矢理平静を保ってやり過ごしてる。なりたくなかった大人に、1日ずつ1歩ずつ着実に自分から進んでいるのが分かる。分かってるのに、頼れるものも人も1日ずつ1歩ずつ進む度に無くなっていく。

今の自分は、傍から勝手に人を見て、勝手にムカついて、勝手に嫌いになっていく。近くにいればいるほど厄介な人間になってしまった。こんな大人にもなりたくなかった。
今は誰とも出会いたくない。でも、本当は誰かに頼りたい。
感謝も謝罪もできない。尊敬も軽蔑もされない。お前が落ち込むの、何故?というくらい、何も無い。何も無いはず。


音楽に救われる、とかあるけど、嘘だ。どれだけ歌詞に共感出来ようと、アップテンポで踊れる曲だろうと、音楽は所詮その時の感情の補強にしかならない。良くも悪くも。救いはきっと錯覚。でも、錯覚でも救われる人がいるならそれがいいのかもしれない。それすら感じることができない状態に陥ってるってことは、もう聴き手としては失格なのだろう。

色々整理しなくちゃならない。色んなものに対しての引き際も決めなきゃいけない。色んなものをまとめないと。もう終わろう。

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