ミサンガが千切れた日


一六時過ぎのテレビでやっている番組といえば、大抵は時事ニュースやトレンドや天気の類を広く浅く流す単調なワイドショーで、どのチャンネルにしても事情は同じだ。一人で家にいる時の賑やかしにはなっても、それそのもので退屈を紛らわすことは難しい。この穏やかそうなおばあさんがテレビの前で座りつつ、両手のかぎ針をせわしなく動かしているのにはそういうわけがあった。傍のちゃぶ台の隅に無造作に置かれた、ここ数日の編み物の成果品たる三つ四つのアクリルたわしが、部屋に小さな彩りを与えていた。
 この家には今、おばあさんの他は誰もいない。連れのおじいさんは農作業のため出かけている。なんなら、おばあさんもさっきまで家の横の畑で雑草取りや剪定といった日々の細々とした仕事に勤しんでいた訳で、その証として彼女の手の爪の間には、所々に庭の土のかすが挟まっていた。全ての仕事が終わった訳ではないけども、この時間の前後になると、おばあさんは家の中に戻って、このように編み物であったり、あるいは読書に勤しんでいたりする。
 インターホンの音が聞こえる。おばあさんは編み物をする手を止め、ゆっくりとした足取りで玄関へと向かう。ドアを開けると、そこにはランドセルを背負った明るい長髪の少女がいた。いつもなら快活そうな笑顔を浮かべているはずなのに、その日、その眉は悩まし気な八の字に曲げられていた。
「ただいま、ばあちゃん……」
「おかえり環。どうしたんやい、そなん顔して」
「たまきね、ばあちゃんに頼みたいことがあって……ミサンガ作り、手伝ってほしいんだ……」
「み、ミサンガ?」
 環という少女が帰って来るなり口にした言葉に、おばあさんはしばしの戸惑いを覚えた。

 大神環はおばあさんの孫である。
 父と母が仕事の都合で海外に赴任している関係上、香川の田舎にいるおばあさんの家に一人預けられている。この村には環の年代位の子は彼女一人しかいない。そのため、別の村にある小さな分校——もっともそこにさえ、同年代の子は数えるほどしかいないが―から帰った環は、大抵それから寝るまでの時間をおばあさんやおじいさんと一緒に過ごしている。さみしいという気持ちがない訳ではないが、日々温かく世話を焼いてくれるおばあさんのおかげで、環は悲観に暮れることなく、すくすくと元気いっぱいな、探検好きの女の子に育った。
そんな環が、今日に限っては何か悩んだような表情で座っている。前のちゃぶ台には置かれているのは、二色の刺繍糸が絡まり合い生まれた、糸くずというには少々サイズの大きい塊。
「家庭科の授業で手芸をすることになったんだ。先生がキット持ってきて、どれでも好きなの選んでいいよっていうから、たまき、ミサンガにしたんだぞ」
「そのミサンガっていうのがこれかい?」
「うん。ばあちゃんにも一本あげようと思って、たまき頑張ったんだぞ。でも、先生に教えてもらいながらやっても、うまくできなかった……」
 そう言って、しゅんと下を向く環。おばあさんは、申し訳なさで揺れる橙の頭をゆっくりとかき撫ぜながら、環が一緒に持ってきたキットの説明書をしばし眺める。おばあさんは知っている、環は細かい手作業よりは、おばあさんの家の裏山で宝物を探して駆け回るのが好きなタイプの子だ。明らかに教材用から離れた対象年齢高めの内容は、日頃から編み物は勿論、手を使う仕事に慣れているおばあさんならまだしも、環にしてみれば難しいの一言に尽きるのだろう。学校の先生にも家庭訪問であったことはあるが、彼もまたそんなに家庭科に造詣の深いタイプでもなさそうであった。
「ちなみに、どうしてミサンガにしたんだい?」
おばあさんが問いかけに対し、環は顔を上げる。
「ミサンガってね、切れるまで着けてればその人のお願いがかなうんだって。たまきね、どうしてもかなえたいお願いがあったんだ……それに、ミサンガならたまきでも作れるんじゃないかなって」
 なるほど、とおばあさんは相槌を打つ。しょんぼりとした表情を浮かべる環を見ると、今自分がしてやれることが、いつものように自然と彼女の心の内に湧いてくる。
「分かったよ、それじゃあばあちゃんも手伝ってあげる。立派なミサンガにしようねえ」
「ほんとう! ありがとう、ばあちゃん!」
 環の顔から憂鬱さがたちまちに吹き飛んだ。おばあさんが家でよく見るいつもの快活な笑顔。嬉しさの表れか、その場でおばあさんの胸へと飛び込んでくる。
「くふふ~♪」
「おやおや、そんなにはしゃいじゃってのう……」
 おばあさんは改めてキットの中身を確認する。
『手作りミサンガ三本キット 所要時間:約四五~五〇分』……うち一本は学校で作ろうとして失敗したやつだとして、残り二本残っている訳だ。
「それじゃあ、ばあちゃんがこっちを作ろうとするかね。環は、ばあちゃんが作るのを見ながら真似していっておくれ」
「分かった!」
 そんなやり取りをしながら、二人は袋からそれぞれが作る分の紐を取り出すのであった。

 そして、約二時間後、外の日も暮れかかろうという頃。
「で……できたよ、ばあちゃん」
「うんうん、きれいなミサンガだねえ」
「ありがとう! こんなに上手にできたの、ばあちゃんのおかげだぞ!」
「そんでもないさ、たまきが一所懸命頑張ったからだよ」
 達成感からか、すっきりした笑顔で喋る環と、穏やかに応えるおばあさん。二人はそれぞれ、自らが作ったミサンガをしげしげと眺めていた。
「ばあちゃんのって、ユスラウメに似てるね! たまき、よだれが出ちゃいそうだぞ」
「ふふ、言われてみれば似ているねえ。たまきのも、コアジサイにそっくりだよ」
「ほんとう⁈ たまき、あの花大好きなんだ~」
 おばあさんが作ったものは、鮮やかな紅と淡い黄緑から成る斜め模様。環の作ったものは、同じ二色の斜め模様だが、濁りのない黄色と濃い緑。それは、二人にとっては、それぞれ家の庭の植木や道端の野草といった、身近で親しみのある自然を思い起こさせるものであった。
「じゃあ、せっかく作ったし、早速ミサンガを巻いていこうかあ」
「うん! ……そうだ、ばあちゃん! たまき、教えてくれたお礼にばあちゃんのを結んであげるね」
「おお、それはありがたいねえ。じゃあ、お願いさせてもらおうかな」
 環は片方のミサンガを手に取ると、おばあさんのがっしりとした左の手首に巻いていく。
「ばあちゃん、似合ってるぞ!」
「ありがとう。じゃあ、今度はばあちゃんが環の分を巻いてあげるとするかねえ」
「いいの?」
「これ位いいさ、さあ手を出して」
「うん!」
 ちゃぶ台に肘をつき、左腕を差し出す環。
 おばあさんはその手首に、自分の作ったのよりはやや巻きが緩く、こじんまりとして、けれども随分と綺麗に仕


 上がっているそのミサンガを回し、そして小さな結び目を作ってやったのだった。

「……そういえば、環はどんなお願いをしていたんだい? もう巻いちゃった後になって訊くのもあれだけど」
 ミサンガを巻き合ってからしばらく後、台所で夕食の準備をしていたおばあさんは、ふと思い出したように、後ろで絵本を読んでいた環に訊いた。環は、一瞬首を傾げ、すぐに彼女の方を向いて答える。
「えーと、たまきはね、友達ができるようにってお願いした! 友達百人くらいで集まって、皆で世界中冒険したいって!」
「おお、それは凄い目標じゃのう」
家に帰ってきていたおじいさんが、横から感嘆の言葉を言う。
「そのお願いなら間違いなく叶うぞ。環のミサンガは本当によくできているからな、木っと神様にも思いが伝わるはずじゃ」
「ありがとう! じいちゃんにほめられてうれしいぞ~、くふふ♪」
「じいさんは本当に環のことをおだてるのが好きなんだから」
「ばあさんも人のことは言えんだろう」
 環がここにやって来て以来、同年代の友達は本当に少ない。「友達が欲しい」というのもきっと、今日ミサンガを作る前からずっと抱き続けていた願いだったのだろう。喋る環の瞳に、「神様」かはともかく、何か運命に期待するきらきらとした期待の輝きが灯っているのを、おばあさんは何となく感じ取っていた。
「ばあちゃんは?」
「え?」
「ばあちゃんはそのミサンガにどんなお願いをこめたの?」
「……あらら、作るのに夢中にすっかり忘れておったのう」
 そう言って、おばあさんは恥ずかしそうにくすりと笑う。そして、手首のミサンガをじっと見つめつつ、しばしの間考えた。
「まあ、そうじゃな、わしは……」

 環が上京することになったのは、それから間もない日のことだった。海外に行っていた両親が日本に帰ってきて、祖父母の家に預けられていた環も改めて二人の下に戻ることとなったのだ。別れの日、泣きながら別れを惜しむ環を、おばあさんはいつものような穏やかに抱きしめて落ち着かせ、空港まで送ってやった。
 保安検査場で手を勢い良く振りながら、両親と共にターミナルの奥へと消えていく環を見送りながら、おばあさんは寂しさと共に、微かな期待を感じていた―この小さな村ではなく、東京でなら、きっとじきに環は良い友達と巡り合えるだろうと。帰りのバスの中、環の手に固く結ばれていたコアジサイのミサンガを思い出しながら、彼女はそっと目を閉じる。大丈夫、環は良い子だから、きっとこの期待は信じられる、そう思いながら。

 またしばらくしたある日、おばあさんが台所で夕食の片付けをしていた時にそれは起きた。小鉢にこびり付いたカボチャの滓を洗い流していると、手首のミサンガが蛇口の水流に耐えかねるように、ぽつりと切れた。そのままシンクへと流れていく紐を見て、おばあさんはやや驚いた。日々の農作業や手仕事によりすっかりくたびれ、最初の色合いも大分褪せていたとはいえ、まだまだ千切れるような気配はなかったからだ。
排水口の網からミサンガを拾い上げた瞬間、立て続けに、遠くからじりじりと電話のベルが鳴る音がした。おじいさんが所用でいなかったので、炊事を中断し、急ぎ足で音の鳴る方へと向かう。
「もしもし」
『ばあちゃん、たまきだよ! たまきね、今度アイドルになるんだ!』
「あいどる?」
 すぐに話を飲み込むことはできなかった。アイドルという存在は知っていても、まさか環がそれになろうなんて、今まで考えたこともない。とりあえず詳しい経緯を知ろうとおばあさんが尋ねる間もなく、そのまま環は興奮しながら色々と話をしてくれた。
 どうやら、今日の昼、環が公園で石切りをしていると、それよりも遠くに石を飛ばせるお兄さんが現れたらしい。環が「おやぶん」と呼ぶその男は、アイドル事務所のプロデューサーと名乗り、彼女をアイドルに勧誘したのだとか。そのまま環と一緒に家に来た彼のことを、両親は最初、というか今でも少し訝しんでいるそうだが、名刺を見る限りちゃんとした事務所に勤めていることは間違いないらしく、本人もやる気なので、とりあえず一度やってみようということらしい(この辺りについては、途中で環の父も会話に挟まって、色々と説明してくれた)。
『事務所にはね、同じアイドルの女の子がいっぱいいて、たまきと同じくらいの歳の子もいるんだって! だからアイドルになったら、たまきの友達もいっぱい増えるよって、おやぶんが言ってたの!』
 そうかい、と相槌を打ちながら、おばあさんはふと思う。環はいつも明るく元気な子だけれども、こんなに声を上ずらせながら、ワクワク話しているのを聴くのは初めてのような気がする。村で一緒に住んでいた頃には知らなかった、彼女の新しい感情を耳越しに感じながら、おばあさんは考える。
正直、環がアイドルになるということに驚きを感じてないかと言えば嘘になる。彼女がアイドルに向いているのかもよく分からない。だけど、今の自分に言えることは、ただ一つ。
「……アイドル、頑張りなさい。環」
 おばあさんの激励に、受話器の向こう側からの返事は、これ以上ない程元気なものだった。
『うん! たまき、頑張る!』

 電話を終え、台所に戻ったおばあさんの目に入ったのは、シンクの傍にある切れたミサンガ。
「そうか……こんなに早く、叶うもんだねえ」
 おばあさんは、ミサンガを作った夜のことを改めて思い返す。あの時、環に訊かれた、おばあさん自身の願い。
『……環のお願いが叶いますように』

 更に時が過ぎた日の夜。
 二一時過ぎ、おばあさんの家のテレビの画面には、名前程度なら多くの人が知っている全国ネットの音楽番組が流れている——普段のおばあさんなら観ないような番組だ。
『それでは、TIntMe!の皆さん、どうぞ!』
 一同の拍手。次いで、眩い衣装に身を包み、ステージの上で踊る三人のアイドル。そのセンターにいるのは、今やすっかり人気アイドルとなった環だった―愛らしくも絶妙な艶やかさを湛えた声で歌いながら、香川にいた頃以上の笑顔をテレビ越しの観客達に向けている。
 そして、テレビの横のウッドボードには、環の写真と一緒に、同じ日に千切れた二本のミサンガが画鋲で留められていた。

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