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ゼロの回復の物語としてのBOT

BOT、2巻でがーっと感想を書いて以来真面目な物語分析などの記事を書いていなかったのですが、Xのスペースにてゼロについてお話しさせていただく機会があったためこちらにまとめることにしました。
個人的にゼロというキャラクターはBOTにおいての表の主人公の一人だと思っています。ファイナルファクトやバビロニウムのことではシャーロックがおそらく鍵を握っているのですが、成長し変化していく登場人物としてゼロをメインに物語を追っていくと非常に読みごたえがありますね。
こちらの記事ではゼロのこれまでを時系列順に振り返りながら、彼が変化していくうえで重要な意味を持つ他の登場人物とのやり取りや登場人物同士の対比について述べ、ゼロの心の在り方を解釈していきます。

1.過去 -戦闘民族として-

ゼロは自身の過去について、殺しを生業とする一族に生まれ、戦いの日々を送ってきたということを語っています。しかしながらそんな日常は辛く厳しいだけのものでなく、ゼロは同じく戦場に赴く家族たちの愛情を受けて育ったようです。

〈比較①〉ユキ

「戦い漬けの日々を送っていた過去を持つ」という境遇において、ゼロとハッカー集団JIGGY BOYZのユキは共通点を持っています。この二人が互いの過去について相手に語る会話の場面はまだないので推測にすぎない部分もあるのですが、こと苦悩という面で二人の抱えている気持ちは似通っているのではないかと思いました。

「ひゃっはっは、笑わせるぜ。罪ってのは消えるもんじゃねぇのによ」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.4』より

ROWDY SHOGUNの元裏稼業人コンビであるマルドゥク、マリーンとの戦闘の最中、ユキはこのようなことを言って二人を煽りますが、罪は消えるものではないということはユキ自身にも重くのしかかる言葉であると思われます。というのも、ユキもまた、殺しを仕事とする日々を自ら終わらせて別な願いを持って新しい人生を生きているからです。ユキは元アサシンであることを仲間たちに打ち明けていますが、JIGGY BOYSのメンバーとして戦う理由、それは未だに明かさないままにしています。ユキは自分がこれまでアサシンとして重ねてきた罪が消えるとは思っていません。それは本心ですが、それでもなお罪を償う道を探り、その願いを胸に抱いて生きています。

 暗殺組織を抜けたところで、かつて重ねてきた罪が消える事はないだろう。それを償う道があるとしたら、一つしかない。
 それは残りの人生全てを使って、一人でも多くの人を救う事。友を救い、たまたま出逢った同行者も救い、果てはこの世界さえも救う事。それがユキが戦う、本当の理由だ。

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.5』より

アサシンをしていた頃の自分がやってきたことをユキは罪だとはっきり認識しており、そこには過去の自分への嫌悪も見て取れます。ゼロもまた、人殺しにだけ特化した自分自身のことを責めるような様子がよく見受けられます。たとえ自らの戦闘技術が仲間たちによって好意的に受け止められたり、褒められることがあっても自分ではその点を良いところだとは認められない。そういった性質の葛藤がこの二人にはあるのではないかと思います。
相違点としては、戦い漬けの日々の中に特別な結びつきがあったかどうかということが挙げられるでしょう。先述した通り、ゼロが生身の人間としてたくさんの戦闘を経験していた時、その傍らには家族がいました。しかしながらユキの場合、暗殺はあくまで生きるための手段といった様子であり、組織の人間に恩があるだとか、そういった話は出てきません。心を通わせることのできる人間関係がおそらくなかったと思われるユキですが、逆にそうであったからこそアサシンをやめて、自分の思うように生きるという判断をできたとも言えるでしょう。フローリーはユキについて、幼い頃から戦闘の訓練を積んでいるように見えると分析しているので人殺しの経験値という面でもゼロとよく似ているところがありますが、そういう自分というものをやるもやめるも自分の自由というような考えはゼロの方にはそもそもないような気がします。

ゼロが一族の一員として過ごすうちに身についたと思われる性質として「強者を求める」というものがあります。これはゼロの持つ重要な要素の一つといえるでしょう。この感情は戦闘民族としての本能とも、後述する殺人兵器としてのゼロが追い求めるものとも考えられるのでゼロからは混乱や戸惑いが見てとれます。

〈比較②〉ベイリー

ここではゼロと、同じく強者を求めるキャラクターであるROWDY SHOGUNのベイリーとのやり取りや関係性を見ていきます。ゼロと初めて戦った時、ベイリーはゼロに向けて次のような言葉をかけます。

「素直になれよ、ゼロ。俺とお前は同じ種類の生き物だ。羊の群れの中に生まれた獅子だ。獣同士、喰らい合おうぜ!」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.3』より

合成獣のライオンに育てられた過去を持つベイリーはまさにライオンのごとく強者であり、常により強い存在を求め続ける青年です。そのため、人並みはずれた強さを見せるゼロとの出会いはベイリーにとって喜ばしいことでした。
ベイリーはゼロの中に強者を求める気持ちを感じ取り、自分と同じ望みを抱く良いライバルができたと考えますがゼロはベイリーのこの言葉、自分とベイリーとが同じだとする考えを自分はそんな上等なものじゃないとしたうえで否定します。

「俺は、殺しのための機械だ!」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.3』より

3巻の段階では詳しい経緯はまだ判明しませんが、ゼロが生身の人間ではなく機械の身体を持ついわゆるサイボーグであることがここで明らかになります。一族の人間としてのゼロの強さは間違いなく己の力で獲得したものですが、サイボーグとして手に入れた強さは事実生身の人間を超えたものであり、ゼロにとっては純粋な強さとは呼べないものでした。だからこそ、生身の肉体を持ち自分自身の強さで高みを目指しているベイリーと自分とが同じだとは言えなかったのでしょう。そのうえ、ゼロの機械部分の強さは自らが強くなるために得ようとして手に入れた力ですらありません。だからこそゼロは自分自身のことを殺しのための機械と呼び、ベイリーよりも価値のない存在だと考えるわけです。
ですがそんなゼロに対してベイリーはさらに続けます。

「俺が言ってんのは体の話じゃねぇ。魂の問題だ!」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.3』より

「強くなるために異能を得た俺と、人の体を捨てたお前......どっちも普通の人間じゃねぇ、そこに大した違いはねぇだろ?」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.3』より

人間としての生身の身体をほとんど持たないゼロ。殺人のための兵器として改造された彼はたびたび人間ではない自分というものを他の人々よりも劣る存在として位置付けているような言動をします。ですが過去や事情を知らない段階にあってもベイリーはゼロを否定することがありません。「魂の問題」という言葉には純粋に強さを求めるもの同士という意味だけでなく、ベイリー自身の過去が関わっているように思えます。3巻の段階では通常の人間が持たない異能(スキル)を受け入れる者としての異常という意味でベイリーがゼロと自分を並列しているように感じられますが、ベイリーもまたライオンに育てられるという異常な幼少期を経て人間社会へ足を踏み入れていき、やがてはROWDY SHOGUNの仲間に出逢ったという過去を持っているからです。ベイリーがゼロをライバルとして認め、歩み寄ろうとしたことはゼロにとって重要な出来事となり、3巻での戦いに勝利した後もゼロはベイリーに敬意を表しています。また、ベイリーの言う通り二人はどちらも普通の人間ではないというだけでなく、チームの仲間ーーゼロにとってのMAD JESTERS、ベイリーにとってのROWDY SHOGUNーーに救われて今があるという点も共通しているといえるでしょう。
ベイリーは育ての親であるライオンから受け継いだ強さを親子の繋がりとして、また自分らしさとして愛しています。だからこそ強さを求め、他人とは違う自分であってもそのことを否定しません。それに対してゼロはどうかというと、5巻の最初の段階ではありのままの今の自分というものをやはり愛することができずにいます。

(だけど、俺は違う......俺は、人間になりたかったんだ)

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.5』より

ここでもまた、ゼロはベイリーの言う同じ生き物としての自分たちというものを否定します。一度目は生身の人間と、機械の身体の自分は同じではないという形での否定、今回はベイリーが以前言ってくれたように強者を求める魂を持つ者としての共通点を認めつつ、その気持ちを受け入れるかどうか、その点で自分とベイリーは違っているのだというような否定をします。ゼロは強者を好むということが、戦いを求め、殺しを求めることへ繋がっていくのだと感じています。すると心はどうなっていくか。人殺しのための機械へと、心までもが塗り変わってしまうかもしれない。それを恐れ、そうなりたくないと思うからこそゼロはベイリーと自分はやはり違っているのだと思うわけです。
しかしながら、同じでないとしてもゼロとベイリーは互いを認め、ライバルとして良い関係を築き上げていきます。初めは敵同士だった二人は5巻になると行動を共にし、協力して戦うようになりました。ベイリーというライバルに出会ったゼロは4巻でスマッシュに対してそのことを楽しそうに語っています。仲間としてゼロと共に過ごしてきたスマッシュですが、ゼロのそんな楽しそうな様子を見るのはそれが初めてのようでした。

(......コイツの凍てついた心を溶かすには、仲間だけじゃなく『ライバル』が必要だったのかね)

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.4』より

スマッシュはゼロの仲間ですから、当然ゼロの過去を知っておりそれによってゼロが悩んでいることをよく理解しています。おそらくMAD JESTERSのメンバーが本心からゼロを大切な仲間として受け入れてることを言葉や態度で示したとしても、ゼロは自分で自分自身を許すことをしてこなかったのでしょう。スマッシュ曰く凍てついた心を抱えているゼロは安心したり楽しそうにしたりといったことがないほど日々悩み通してきたということなのかもしれません。ベイリーの素直で前向きな感情はそんなゼロの頑なさに少しずつ変化を与えていくこととなりました。

6年前の出来事

もともとは生身の人間であったゼロが今の機械の身体になるきっかけとなった出来事は本編の6年前に起こりました。とある戦場で戦っていたゼロは普通ならば死んでしまうレベルの重症を負い、ゼロの家族たちはこの戦いによって全員命を落としています。そして、放っておけば死ぬはずだったゼロはとある軍事企業に回収されて人体機械化手術で延命させられることとなりました。ゼロはこうして家族と自らの生身の肉体を奪われる形で喪失します。

2.サイボーグ(全状況対応戦闘義体試作零号機)として

身体のほとんどが損壊したゼロは手術によって機械の身体を手に入れ、軍事企業が開発していた全状況対応戦闘義体の試作零号機となります。ゼロはプロトタイプ・ゼロのことであって本名ではないのではと3巻時点で思っていましたがまさか本当にそうなるとは。
新たな身体を与えられたゼロですが、家族と人間としての肉体の喪失は彼の心を壊すに至りました。ただの兵器として淡々と存在するようになり、生の実感や自己へ向けたまなざしを手放してしまいます。その後、ゼロは義体の「完成形」開発に向けたデータ収集のために1年間様々な実験を受けることとなりますがその先に待っていたのは「完成形」開発に伴う試作機の廃棄処分でした。けれども処分される前に未曾有の大災害IUSが全世界を襲います。ゼロは処分される代わりに関連企業の工場に払い下げられ、そこで不眠不休で奴隷のように働かされていたところ、MAD JESTERSのメンバーたちと出会ったのでした。ゼロは本来敵であるはずの彼らによって救い出されることとなります。

『彼を自由にしてやりたくないか?』
最初、仲間たちは全員シャーロックの意見に反対した。だがシャーロックは「助けてあげたい」の一点張りだった。

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.4』より

ゼロの身体には爆弾が埋め込まれており、逃走することも逆らうこともできないようになっていました。そんな中でゼロは絶望して自爆するのではなく、死ぬ気力もない状況で結果的にそうなったとも考えられますが、生きて戦うことを選択しています。そうして、ゼロは仲間たちとの出会いを経験することとなりました。シャーロックは多くを語らず、熱意で他のメンバーたちの心を動かしてゼロを救い出します。しかし、ゼロは自由の身となってもこの先どうして良いのかが分かりませんでした。これまでずっと、戦う以外の生き方をしてこなかったからやりたいことなどあるはずもなく、行くあてさえもありません。シャーロックはそんなゼロに、探偵をしている自分の相棒にならないかと言い、居場所とやることを与えてくれました。そうしてゼロはシャーロックたちの仲間になることに決めます。

「......わかるか、ベイリー。俺は怪盗団の皆に救われたんだ。俺は他の仲間たちと違い、世界の真実にさほど興味はない。だが仲間が俺の力を必要とするなら、敵が誰であろうと戦う。それが俺の存在意義だ」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.5』より

存在意義という言葉も、詳しくは後述しますがゼロを語るうえでのキーワードの一つとなります。

〈比較③〉ロッソ

失われた生身の人間としての身体と、その代わりに獲得した機械の身体。今のゼロはMAD JESTERSに加わり戦闘や殺戮以外の生き方を知ることとなりましたがそれでも一度殺しのための機械として存在していた過去というものに悩まされ続けます。身体的に人間とはかけ離れた存在だからこそ、せめて自分の心だけでも人間らしくあろうとする。それがゼロの想いですが、MAD JESTERSにはゼロと同じく人間らしさについて特別な想いを抱いているメンバーが存在します。歴史学者として超東京の成り立ちや謎を探るロッソの秘密。それは彼が血の呪いによって巨大な狼へと変身する能力を持つ人狼だということです。通常人狼というと満月の夜に変身をするイメージがありますが作中でのロッソは自ら血を流すことでいつでも姿を変えることができます。これだけならば仲間たちを守るための大きな力になる能力と言えますが、この能力を発動させている間、ロッソは人間としての精神を保つことができずに狼の持つ獣の狂暴性のみで敵を攻撃し続けます。自分の意思で能力をコントロールすることができないので、変身を自分の意思で解くこともできません。ただ自分以外の全てを傷つけ、殺そうとする。その場に立っている人間が自分一人となった時、ようやく人間の姿に戻ることのできる能力。それがロッソの人狼化、血の呪いの正体でした。

(……なぁ親父。今日の俺は、あんたに恥じぬ息子でいられただろうか?親父のように、強くて優しい人でいられただろうか……?)

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.5』より

ロッソの血の呪いは彼の父親から継承されたものでした。その力が危険であることをロッソに告げたのも彼の父親です。ゼロとロッソ、内なる狂気を恐れる者という点に加えて、過去の結びつきを今も強く意識しているところも二人の共通点といえるでしょう。ロッソの父親は冒険家で、自分が豊かに暮らすことよりも好奇心や人助けを大切にして生きる人でした。ロッソはその父親を愛し、尊敬し、呪いだけでなく多くの面を受け継いだと言えるでしょう。ゼロが持つ高い戦闘技術も愛する家族との暮らしの中で備わったものです。危険な力、他人を脅かす力ではあるものの、それだけではない。それを持ち、使う者の心によっては誰かを救うものにもなりうる能力を二人は手にしています。ですが、ロッソにとってその力を正しく使うことはゼロよりもはるかに困難です。変身によって正気を失い、意識を獣に呑み込まれてしまうロッソはそもそも人狼化の能力を使わないことによって仲間を守ってきました。作中でゼロとロッソが人を殺す能力について語り合う場面はありませんが、ロッソは人間らしくあろうとしても自分の思うようにはできないと感じているゼロの苦しみをよく理解しているのではないかと思います。3巻でそんな二人の正体が明らかになるという展開は非常に印象的でした。
また余談にはなりますが、MAD JESTERSのメンバーは超東京の成り立ちや覆い隠された世界の真実にたどり着こうと歩みを進めるチームである一方で、戦う理由がその個人の過去にあるメンバーが多いように思えます。シャーロックは父親の遺志を引き継ぐ形で世界の真実を追い求め、マサトとチャッターはIUSによって日常を失いこの世界と自分たちに起きた出来事の理由を突き止めようとしてきました。パルテはIUSという大嵐以前の記憶、過去そのものを失っているため、彼にとってMAD JESTERSの一員として戦うことは自分の謎を解き明かすための旅でもあります。スマッシュについては医術に長けているということ以外の情報がほとんど明かされていませんが、彼にもまた紛いものを嫌っているということ以外にこの世界の本当の姿を暴こうと考えたきっかけとなる過去が存在するのかもしれません。Astro9は全員がIUSによって孤児になりスキル使いの団長に育てられたという共通の過去を持つため、その団長の遺志を継ぎ戦っています。ROWDY SHOGUNは仲間たちと共に強くなり、今の自分を常に超えていこうとするチームです。JIGGY BOYSはMAD JESTERSと同じく様々な過去を持ち、それを理由に戦うメンバーが多いチームですが、MAD JESTERSが自らの過去の回復ーー真実にたどり着くことでようやく過去に区切りがつく、納得がいかなかったことを咀嚼することができるようになるーーを求めて戦うのに対して、JIGGY BOYZのメンバーたちは過去を切り離して自分の望む自由で満たされた未来を手に入れるために集まって戦っているように見えます。そしてDUNG BEAT POSSEはこれら4チームとはまた違った動機を持ってこのスキル使いたちの戦いに参戦してくることになるでしょう。今のところはイヌイに雇われて他のスキル使いたちを殺しに来たというだけであってファイナルファクトや世界の真実に対して関心を示しているようには見えませんが、マリクがゼロと同じ実験を受けていたということ、ハンキチの世界に対するまなざしの残酷さ、ミチのスキルに怒りが関わっているといった点からそれぞれが大きなトラウマを抱えてーー一部のメンバーたちは共通のトラウマを持っているかもしれませんーーおり、スキルによって自由に生き、世界に復讐するといったことを考えているかもしれないなと推測しています。

<援助者>

ゼロとの比較とは別にゼロを語るうえで欠かせないのはシャーロックとゼロの存在でしょう。ゼロはその身体のほとんどが機械に置換されているとはいえ、首から上は生身の人間のままであり、身体の仕組みも人間のそれです。そのため彼の身体のパーツが損壊したり、負傷した場合にはシャーロックやスマッシュがメンテナンス、治療にあたっているようです。シャーロックは工学のスペシャリストであるため、主にゼロの機械部分を、スマッシュは人間としての部分を専門に診ているのではないかと思います。
ゼロへの接し方についてもそれぞれで違いがあるように感じました。まずシャーロックとゼロは探偵事務所での仕事における相棒であるだけでなく、ゼロにとってシャーロックは命の恩人であり、地獄のような日々からの救世主です。2巻でシャーロックがROWDY SHOGUNによって拘束された際も、ゼロはシャーロックの短い言葉を信じその場は離脱して後から彼を救いだすという選択をしました。このようにこの二人はほとんど言葉を交わさなくても分かり合える強い信頼関係で結ばれていますが、そのうえでシャーロックがゼロに語りかけること、発する言葉は未だにゼロを導く役割を果たしているような気がします。
一方ゼロとスマッシュのやりとりで印象的なのは4巻における治療シーンです。スマッシュによって腕のパーツを直してもらっている間、ゼロはスマッシュにベイリーのことを語ります。ゼロが嬉しそうにベイリーの強さについて話すので、スマッシュは唯一ゼロを負かした自分たちがゼロにとっての史上最強の敵なのではないかと冗談っぽく問いかけていました。スマッシュはゼロが無意識のうちに楽しそうにふるまっていることに気がついていますが、あえてそのことには触れずライバルと出会ったことでこれまでとは少し心のあり方が変わったゼロのことをあたたかく見守っています。スマッシュはゼロにとっての優秀な聞き手となっているのではないかと感じる一場面でした。ゼロが仲間に加わった直後もひどく負傷していたでしょうし、その後の任務でも治療が必要な場面はたくさんあったでしょう。そんな時にスマッシュはゼロの身体を治しながら話し相手にもなっていたのではないでしょうか。そしてスマッシュに限らず、仲間たちのそうした関わりが少しずつゼロの心を開いていったのではないかと思います。

3.MAD JESTERSとして

救い出されたゼロはMAD JESTERSという仲間に出会い、家族を再獲得することとなります。それによってゼロは仲間に受け入れてもらい、仲間の役に立つために行動しようとしますが、ゼロは自分にできることは戦うことしかないと思っているようです。実際には他人に利益をもたらすから仲間になるのではないですし、ゼロには戦うこと以外にもできることがたくさんあるのですがゼロ自身は殺しのための機械であった自分というものを常に意識してしまっています。しかしそれと同時にゼロは人間らしくいるために戦うことから離れようとも考えています。戦わないことを選択するならば、自分がチームのためにできることはなくなってしまう、そう考えることがゼロに存在意義についての苦悩をもたらしているように思えます。ただそこに存在しているだけでいい、それだけで愛される価値があるのだというような考えを持てているようには見えません。

〈比較④〉マリク

5巻にて、全状況対応戦闘義体の完成形であるマリクがゼロの前に現れます。彼は現在DUNG BEAT POSSEのメンバーの一人であり、依頼によりゼロを殺しに来たのでした。彼のスキルは武器と自分の肉体をマージし、あらゆる武器での攻撃を行なうこと。さらにDUNG BEAT POSSEが所有するスキル無効化弾の影響や、シャーロックを守りながらの戦いに持ち込まれたこともあり、ゼロは苦戦を強いられますが仲間たちの協力もあり最終的にはマリクに勝利します。

「……仲間たちは逃げ始めたようだぞ。お前は逃げないのか、マリク?」
「逃げるわけねーだろ。オレはDUNG BEAT POSSEの武器の性能の体現者だ。それが逃げたら業界の信用に関わる」
「あくまでビジネスという訳か?ベイリー同様のバトルマニアだと思えば、中身は違うようだな」
「ああ違うね。オレは武器そのものだ、その存在意義は勝つ事だ。戦って戦って戦い続けて、この世の全てに勝利する。それがこのオレ、DUNG BEAT POSSEのマリクだ!」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.5』より

「だが負けたままじゃ、オレの存在意義がなくなっちまう。次は勝つ、絶対にな。それまでその体、錆び付かせるなよ!」

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.5』より

今回の仕事のクライアントのイヌイが死亡したという情報が入ったことで、DUNG BEAT POSSEのメンバーたちはこれ以上戦う理由がないと判断し撤退していきますが、マリクはゼロとの戦闘を続行し自分が戦う理由を語りました。ゼロはマリクが腕試しのために自分に挑んできたのだとばかり思っていましたが、マリクはあくまで武器商人であるDUNG BEAT POSSEの利益のことを考えて戦っていたことが分かります。DUNG BEAT POSSEの他のメンバーたちの場合、一銭にもならないことで命を落とすリスクを冒してまで戦う意味は全くないのですが、マリクの場合は彼の敗北自体がチームの不利益に繋がるので退くことはできないというわけです。マリク自身は戦いを楽しみ、ゼロよりも優れたスペックを備えた義体をスキルと同様肯定的に捉えています。しかしながら戦うことを抜きにしたら存在している意味がなくなると考えているところはこれまでの苦悩するゼロに共通します。無意識に自分がただ自分として存在していることに価値があるという考えを否定しているらしいことがうかがえます。

ゼロはその生涯を、戦いと共に生きてきた。
戦闘民族の末裔として。殺しのための機械として。
怪盗団の仲間たちと出会ってからも、それは変わらなかった。自分は戦いを続けることでしか、皆と繋がれないと。その絆だけが、自分を人間たらしめるのだと。

『小説 BATTLE OF TOKYO vol.5』より

戦うことでしか、役に立てないという考え。それが戦うことで人間らしい繋がりを持つことができているという考えに変わった時、ゼロの心は存在意義の悩みから解放されていきます。
ゼロが強者を求めることに否定的だったのはそれが殺しの機械としての自分に繋がるからでした。しかし、ゼロの人間としての心が戦いに求めていたのは人を殺したり他人を傷つけたりすることではありません。ゼロにとって戦いの技術とは家族が教えてくれたことであり、その家族たちが遺してくれた大切な絆です。そしてMAD JESTERSというゼロの大切な仲間たちを守るための力でもあります。他者との絆、人間らしい関わりを戦いによって実感できているのだということに気づいたゼロはようやく強者を望む自分というものを受け入れることができるようになるのです。
このように仲間と敵、両方との関わりを通じてゼロの心が変化していき、やがて完全にとは言えないかもしれませんが、自分自身をありのまま受け入れ、愛することができるようになっていったのだと解釈します。

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