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ギリギリのところで

ぎりぎりのところで
生きている人がいる
電話の向こう
わたしの感情を逆なでるようにして
何とか情報を引き出そうと
せせら笑う
わたしは何故か怒りの感情すら起こらず

ただ可哀想に思った

そんなギリギリのところで生きないといけないのかい?

愛する人はいないのかい?

愛されている確かな感じはないのかい?

忘れているだけじゃないのかい?

心の中で抱きしめてみる

ギリギリのギリギリラインを

1ミリでもいいからこちら側に引き寄せてみる

多分一生会わない電話の向こうの君

それでもその人に愛みたいのをかけてみる

そんなことをしても

何も変わらないかもしれないが

なぜか涙が出る

私の中の何かが癒される

これは11月8日と日付があり、確か5年前くらいに書いた日記のような詩で実話です。このころわけあっていわゆるヤバいエロサイトにアクセスしてしまったのですよ。ほんの数分、いや数秒、だったんだけどね。流れは忘れてしまいましたが、電話がかかってきて。『おばさん、世間知らずにもほどがあるね~ウン十万分のアクセス料払ってもらうからね。こっちには弁護士がついてるんだ、』みたいな。弾丸のような勢いでマニュアルのようなものすごく人を馬鹿にする、わざと。私の感情をざわつかせるために、わざと。で、なんか対応しちゃったんですよね。電話の向こうの若い声の君に、興味があって。しばらく不毛なやりとりと言うかお相手の話を聞いて、もういいやと思ったのでブツリと切りました。相談センターみたいなところに一応相談したら、ほっとけばよいですといわれましたよ。

愛されることはもちろん癒しです。癒しの基本。なんだけども、きっとやりたくないであろう仕事をしている君に『愛をかけてみる』ということをやってみた時、本当に泣けましてね。そんな癒しもあるかと。お勧めはしませんが(笑)

でもほんと、ソングライティングを始めていますが、愛です!というと照れくさいのでアレですが、愛のようなエネルギーのようなものを感じ取れると歌が生まれるんですよね。なので、歌を書くことは私にとっては癒しの一つなのであります。

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