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表現を生業にするには

連続投稿108日目を迎えて、煩悩の話。

煩悩:心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望。

僕の煩悩と言うか、欲望は「表現世界で生きていきたい、生業として」と言うことなのだけども。でもこれはもう煩悩と言っていいでしょう。煩悩=欲望でもある訳だし。関西小劇場で生きる上であり得ない事だから、生業にするって。でも、欲望を叶えてこそ正しい人生の過ごし方だろ。人に迷惑かけないってのは大前提で、だけど。

この記事は僕自身も判らないまま書き始めてます。純粋にどうすれば出来るのだろうか、と自分と向き合いながら模索する記事です。超の文字が4つ5つ付くほど無名で影響力もない野村有志の話なので興味ある方だけ、どうぞ。

あ!先に言っておきます、夢のない記事になってます。そして煩悩/欲望の記事だから、貴方の為にならない可能性大だし読まなくていいよ。

読まなくていいよ。

二回も読まなくて良いって言ってるのに読むんだね。これでこっちの責任はなくなった、読んだ後に文句は言いっこなしな。

でもそれほど夢のない話でも生業にする為にどうすべきなのかを君は知りたいんだね。表現だけでギリギリ、ほんとギッリギリ生きていけてる野村みたいなヤツの話聞きたいぐらい知りたいんだね。そんな君だけに語る形式でこの記事を進めよう。

表現を生業にする為には

今更説明する必要ないけれど「生業」ってのは君の暮らしを立てるための仕事な訳だよね。

じゃあその仕事は常に存在しないと不可能、単純な話で。バイトでシフト入れなかったら生活出来ないじゃない、働かなきゃ。継続して安定した収入がなければならないよね。少なくとも生きていくのに最低限の収入が必要。収入=支払ってくれる方が必要な訳で、当たり前だけど。

ではその支払ってくれる金銭はどこで発生するのか。答えは勿論、仕事(労力)に対して。または作品(商品)に対して。当然で堂々巡りなことを書いている気がするけれど。とりあえず仕事が必要なんだよ。生きていけるだけの仕事が寿命まで。そして寿命まで働きたくなければ、晩年働かなくていいぐらいに貯蓄できるほどの仕事が来続けなければならないんだよ。そんな幻想抱いてる人は居ないと思うけど、宝くじのように一発逆転出来る仕事なんて入らないよ、君にも俺にも。入るとしても0.0000000001%未満。気が遠くなる話だろ。そして未来永劫、"今"の君に仕事が来ると思うかい?思わないだろ?でも、これを読む君に金銭を払ってでも必要とする相手が必要なんだ、生業にするって事は。

では、その相手はどんな人選で仕事を依頼するのだろうか。

色んな人選方法があると思うけど、まず思い付くのは仕事に見合う能力、ででしょう。単純に「この人に依頼したい」と思われること。でもその能力ってのは表現世界では短距離走のように明確なタイムで計れない訳で。

では、どこで能力の優劣を計るのだろうか。好み?この部分も大きいと思う、オーディションとかもそうだと思うけど、肩書きで計られる部分も往々にしてあるはず。判り易く言うと、受賞歴を筆頭とした代表(出演)作品などで判断される、もっとわかり易く映画で例えると「興行収入全米第1位」って宣伝文に釣られて観に行く人が増える的な。先に説明したように明確なタイムが出ない表現においてはそう言ったモノが物差しの(大きな)一つだと思う。勿論、肩書きが何もなくともプロデューサーなどがたまたま観に行った舞台や映画で出て欲しい(仕事を依頼したい)と思う場合も僅かながらあるだろうけど、その取っ掛かりである舞台や映画に出演している必要があるよね。まずはそこに辿り着く必要が。

それら全てには信用が必要。

信用が仕事になる。先に述べたように、肩書きでも「全米No. 1」でも構わない、構わないというか「全米No.1」は無理だ、規模がデカすぎる、あれは信用の頂点だ、だけども肩書き含めた君の信用が必要な事に変わりない。よく言われる事だけど、お金とは信用である。一万円札がなぜ紙幣として成立してるかと言うと皆んなが一万円札に一万円の価値があると信用してるから。そうだろ?例えば俺がノートの切れ端に「一万円」って書いても誰も一万円の価値があるなんて思ってくれない。当たり前だけど。でも、同じノートに台本を書いたら一万円以上の価値を見出してくれるかも知れないよね。それは見出した人には1万円以上の価値があると信じてくれるから。

じゃあ、その価値を信じて貰える為に何をするかが答えなのは明確。そう

信用を得る。

少し話は変わるけど、ドラマや映画で旬な役者ってその時代において5人も思い出せる?突然のクイズだけど。でも多くとも男女5人ずつぐらいじゃないかな、旬な役者ってのは。旬って言ったけど、旬になると言うことは殆どの場合「新たに出てきた人」でもある訳で。と言うことは、新しい席はその時代その時代で5席しかないのです。数万人がそこを目指した上で5席。そこを淡い夢として目指すにしても正気の沙汰と思えぬ茨の道。役者を志しただけでムービースターになろうなんて無理なんだよ、君も、そして僕も。

いやまぁ役者を目指す方のほとんどが旬(スター)の役者になりたい訳じゃないと思うのだけどね、それ"だけ"が役者であるとも思わないし、仕事(お金)になるんだったらなんだって良いって訳でもないはずさ。自身の演りたい脚本(物語)とそして自身の役と純粋に向き合い演じたいって方々ばかりだと思うけれども。金や名誉の為だけに表現の道を選んでられるとは思わないけども。だけども、本当の意味で自身の演りたいことをやりたいようにするには売れなきゃいけない。信用(実績)を作らなきゃ行けない。そうならなければいつか辞めなきゃいけない時がくると思う、大人が生きるってのは複雑だから。そして本記事は、生業にする為には〜なので、君が生業にする為にはどうすべきかを書いていきます。そして僕も答えを持ってる訳じゃないし、僕も金になるなら何でも演るって訳じゃない。それを君に判ってもらってから、この記事を通じて共に考えていこう。

改めて言うけれど、真正面から役者のみで成功し(売れ)ようとするのは宝くじ買うのと一緒ぐらいの博打。しかも人生賭けた博打。人生賭ける=命賭けてんのと一緒。そしてこれを読む君が役者のみで関西に留まってるのなら無理です、残念ながら博打にも参加出来てないと言っても過言じゃない。役者のみを生業にしたいのならすぐ様東京に行くんだ。関西には役者のメディア仕事はほぼ無い。少なくともそれだけで生きていけるほどの仕事は無い。なのに関西で役者で飯を食って行きたいって考えるのは時間(命)の無駄だと思う。こんなこと言うと「でも◯◯さんはこの前ドラマ出てた」なんて事を言いたくなる人もいるだろう、でも継続的に仕事がなければいけないんだよ、生業ってのは。なんて事言うと奇跡的に売れた万分の1の人を引き合いに出して自身を含めた全体を語ろうとする人が居るんだけど、1%にも満たない確率が自身に当てはまると思ってんならもう末期だと自覚しないとだと思う。当たり前だけど人生は一度しかない。ここ大切、一度しかないんだよ。そしていつ終わるか判らないのが人生なんだよ、有限なんだよ。その中で1%にしがみつく時間より20%.30%を探した方がいいだろ?それぐらいは分かるよね流石に。

とまで言っても役者のみで関西に留まって居たいのだったら、僕みたいにするしかない。これはnoteにも以前書いたけど僕の場合は全てをしてる。

全てと言っても役者、作家、演出この3つだけど。この3つをする事で、まずはこの3つ出来る(出来る出来ない以前に、3つともしている)人数自体が少ない。少ない=役者のみの方と差別化出来る、と言うことは競争率も役者のみに比べて当然低い。低い上に窓口が3つある状態な訳です。窓口を言い換えれば、店を三軒だしてるのと一緒。役者の仕事も脚本の仕事も演出の仕事も受ける事が出来る状態。当然、それら全てに置いてクオリティを求められますが、役者のみの方と比べてスタート地点がまず違うってのがデカい。勿論、「役者以外は興味ないんですよ」って意見を否定するつもりもないし、そんな方も当然いらっしゃると思う。思う上で、脚本も演出もする方が作品を色んな角度で見る事が出来るようになりスキルアップに繋がるので結果役者のみだとしてもやって損は一つもないと思う、生業にしようと思うなら尚更。

そして、僕は最近事務所に入った。窓口をもう一つ増やそうと思って。でも、事務所入ったからって売れる訳じゃない。当たり前だけど。まずテレビドラマや映画でスターになる最低限の条件は絶世の美男男子であること、最低条件が絶世。僕も含めてこれは無理。万が一、君自身はいけると思ってたとしても無理かどうかは自身ではなく周りが決めます。だからビジュアルは諦めて僕と一緒に先祖を恨もう。でも先祖は恨みたくないよね、じゃあ諦めよう。で、こんな事言ってると個性派俳優で売れる人もいる、って思う方も言う方も居るだろうけど、個性派俳優の席はスターより少ないと知るべき。知るべきだし、ビジュアルで売れてない分息が長いのです。息が長い=席は空かない。向こうも空けようと思わない。空いたとしても座りたいのは君だけじゃない、何万人がその一席に向かって死物狂いで走ってくる。

ここまで読んで下さった方なら、淡い夢は抱かないで居てくれるはず。万が一、そんな夢と言う名の幻想を抱いてた方も一先ずその夢を横に置いてくれたと思います。

では、改めて表現を生業にする為には

先に挙げた様に、仕事を受けれる窓口を増やすのも一つの手。

そして、仕事(チャンス)を自身で作る。

作るんだよ、自身で。表現を生業にしたければ待ってちゃ一生生業にならない、マジで。一生、マジで。待つのは待っていいけれど、待ち時間にボーッとしてちゃいけない。何度も言うけど宝くじ当たったみたいに棚からぼた餅食えるようになる人は何万分の1で君はそうじゃない、僕も、僕も君もそうじゃないだろ?表現を生業に出来るほどの仕事は絶対に待ってるだけじゃ来ない。なので足りない分は君も仕事を作り続けるのです。作り続けてそれを信用(実績)に変えて行くんだ。作るのが無理なら営業するんだ、営業をしない会社なんてのはこの世に存在しないんだから。これに関しては表現者は個人事業主であるってのを自覚してれば理解して貰えるはずだけど。個人事業主なんだよ、僕らは。君もそうなんだ。

そして僕らは仕事を手軽に作れる時代に生きてるんだよ、自ら世界へ発信できるモノが身近に沢山あるだろう。TwitterなどのSNSや、YouTubeなど誰でも手軽にできて世界に発信出来る。このnoteだってその一つ。なのに作らないなんて、作る気がないって言ってんのと一緒だよ。僕らは個人が発信出来る時代を生きてるんだよ。使わないなんて意味不、意味不だよ。

でもこう言う事を言うと「いや、俺はテレビに出たいねん、YouTube(など)なんて」と言う人がいる。

その昔、テレビが始まったばかりの頃、映画スターは「テレビなんて出ねぇよ」とテレビを下に見ていた時代(歴史)が確かにあった。でも時代と共にテレビへみんな移行して行った。そして今やYouTubeなどに個人が発信する場に移行しつつある。歴史は繰り返すんだよ、普通に考えれば生業としての主戦場は変わりゆくターニングポイントなんだ、今。新しいメディアがあちらこちらで生まれてきてる。それを例えるなら、昔ビデオテープがVHSとベーターに別れてて最終的にVHSが生き残ったみたいにどのメディアが生き残るのかは判らないけれど、確実に現在進行形でメディアはYouTubeなどに移り変わってる。もう今から動いても遅いぐらいに移り終わってると言ってもいい程に。でも、今動けば遅すぎることはない。役者だからと言って不器用に台本と向き合ってるだけ、の生き方だと生きていけない。生業にしたいのなら。でもそれは今だからじゃない、昔からそうさ。動いた、いや気付いた人だけが生き残ってるのだから。

ここまで読んでも「いや、自分だけはもしかしたら勝手に仕事が来る万分の1の存在に」と思ってる方は居ないと思うけど流石に。居ないと思うけど、僕や君の周りには自覚してるのか無自覚なのかは判らないけど側から見るとそんな人達ばかり。舞台など演技する機会がない限り芝居とは無縁な生活ばかりしてる人達でしょう。95%の小劇場の人間はそうだと思う。会社員をしながらとかの人もいるからしょうがない部分も少なからずあるけれども。でもそんな中で君が、舞台などに関わってない時期、いわゆるオフも芝居と向き合ってみたらどうだろう。95%が向き合ってないのだから、向き合うだけで5%側の人間になれると思わない?こう考えれば少しだけ簡単に思えないかい?5%側に成れれば、ゴールが近くなる気がしない?そして、常に芝居と向き合ってる人間に信用がないはずがないだろう?でも、でもさ、オフにも芝居と向き合うなんて面倒だよね。じゃあ僕の様に一年に10本ほど舞台に出演したりすればいいよ。そうすればオフがなくなる。それも面倒かな?面倒って言葉が誤解を招きそうだけど、でも詰まるところ面倒に負けてる訳じゃない?向き合わないって事は。色んな意味を込めての面倒だよ。でもさ、それは君だけじゃない、大多数のみんながその面倒から逃げてる。なんたって面倒だから。でも大多数(95%)が面倒って思ってんのなら、そう思うこと全てやればいいんじゃない?

面倒=チャンス

こう捉えよう。自身が面倒だな、と思うことは大抵の人も面倒だと思ってる。だとすればその面倒はチャンスなんだよ。「面倒だな」と思うたびにチャンスを見つけたと思えばいい、そう考えるとチャンスはゴロゴロ転がってる。部屋の掃除をしろって言ってる訳じゃなくて、腕立て伏せでもいいよ、ジョギングでも。興味ない演劇の本を読むでもいいし、誰かが語る何気ない言葉に物語を常に想像するだけでもいい、人間観察でも、書いたことのない台本を書いてみるでも、兎に角面倒だと思う"表現のスキルアップ"の第一歩を踏み出すだけで多数の人間より勝れる要素になる。そして続ければ確実に勝れる。

脚本なんて最たるもの。面倒の権化。

面倒なんだよ、一文字書くだけで面倒。その一文字一文字が次に繋がる訳だし、伏線にもなるのだから、適当に書けない。面倒だ、なんと面倒な作業なんだろうかといつも思う。この記事さえ本当は面倒だ。今すぐお腹いっぱいご飯食べて寝た方が楽なのは重々承知の上だ。なのに書く。脚本も書く。なのにそんな面倒をなぎ倒しながら出来上がった脚本に「おもんない」の一言で斬りつけてくる人達がいる。なんてやるせない作業なんだろう…と思うよね。でもさ、面倒もそうなのだけど、ネガティブに思ってしまう事ってさ、面倒と同じで全てチャンスなんだよ。心が折れそうな事は他の大多数も心が折れそうになってんだから。そう思うとあらゆるネガティブに立ち向かえないかい?だってチャンスなんだもの。みんなが勝手に面倒や挫折を避けていくのだから、ネガティブになると次に進まないんだから、難しいって思う気持ちも同じだよ、難しいもチャンス。「脚本書くのって難しい」って思うのなら、みんなもそう思ってんだよ。そしてそれらに立ち向かいそこで戦い続けるだけで勝者に近付くんだよ。いや、勝者と言うより煩悩を手に出来る。煩悩は面倒と真正面にぶつかったもののみ手に出来る物でしょ。本来の煩悩の意味とかけ離れてるけれども。

煩悩が現実に近づくと言っていいし、現実の先にしか煩悩は存在しない。ある日突然、煩悩が手に入るはずがない。じゃあどうすべきか、ここまで読んでくれた君は答えがもう判ってるだろう。その答えとは、そう、信用を得る事。

まだ手にしてない僕が言っても説得力ないかも知れないけれども、面倒に打ち勝った者だけが信用に値する人となると思う。人は自身に出来ない事をやり続ける人間を無条件に信用する。巷で安易に安くて軽い文脈で語られる「才能ある人」とは面倒に打ち勝った人を指すと言っていい。「才能」は「面倒に打ち勝った人」のみ手にする。打ち勝つと言うと面倒に思うけど、そう、面倒はチャンスなんだよ。それに気付いて、動いたものだけが勝ち上がれる。


さぁ、面倒を楽しもう。

応援してくれる人達は、燻り続けてる君や僕を見たくないはずなんだから。

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