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タイパとかいう言葉が嫌いだ

一昨日、iPhone・iPad用のキーボードを買ったのでとりあえず何かしら書きたくなってこの記事を書いている。

とりあえずタイトルを書いてそこから何を書くかを考えているので今のところなんの構想もない。

タイトルの通り自分はタイパという言葉が嫌いだ。タイパとはタイムパフォーマンスの略で、どれだけ少ない時間で成果を出せるかということを重視する人が使う言葉だろう。

自分は無駄なことは自分をいつか助けてくれると信じている。先の読めない人生の中で、何が自分にとって必要で、何が必要でないのかなんて全くわからない。だからこそ、今すぐに役に立ちそうにないことや、なんとなく惹かれたものなんかを手当たり次第にやってみることが必要だと思う。

自分は小学校の時寄り道をするのが好きな子供だった。友達の家でゲームをするとかではなくて、普段は通らない細い道を通ってみたり、生き物や花など、道端にあるものを観察するなど、目的なく好奇心の赴くままに寄り道をしていた。

その時は寄り道が役に立つことがほとんどなかったが、寄り道によって培った、「道端にある草花や生き物を観察する」力や、「目的なく好奇心のおもむくままに行動する」力は、大量の情報に溢れ、忙しさの増す自分の人生を豊かにしてくれている。

これはほんの一例だが、受験勉強なんかで実際に無駄が役に立ったこともある。

いま役に立つかどうかを行動の基準にしていると本当に必要なものを取りこぼしてしまうかもしれない。

話をタイパに戻すと、あることにどれだけ時間をかけるのがよいかなんてわからないのにも関わらず、「より少ない時間で〜」などといっていては本来得られたはずのものが得られないかもしれない。

何か成果を出すまでに試行錯誤して回り道して、「なんだこんなに簡単だったんだ」と思った経験は誰もがあるだろう。そこで多くの時間を費やしたことは本当に無駄だっただろうか。

タイパは一つの価値観で、完全に悪だということはできない。しかし、タイパを全員が求めるべきだというような風潮には嫌悪感ないしは危機感を感じる。

「それって今必要か?」とか「それってなんの意味があるの?」といって多くの物を必要ないと切り捨てることで失っているものについて一度考えてみてほしい。そして、無駄だと思えることもとにかく興味を持ったらやってみてほしい。それはいつか自分を助けるかも知れないし、何よりこの殺伐とした社会で豊かに生きるヒントになるかもしれない。

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