平成も終わりますので
極めて唐突な思い付きであったものの、“平成も終わるので”という理由でやってみたことがいくつか。
テストに出たりすることもなければ、人助けにもならない──何の役にもたたないし、レポートといえるほどのものでもない。
それでも誰かの知的好奇心を満たせるのならば私は満足であるし、この間抜け極まりない散文で誰かが思い止まることが出来たのであらば、私のやったことも無駄にはならないのだろう。
最初にことわっておこう。
買えるものは買ったほうが断然コスパ良い。これはガチである。
平成が終わる。
私がそれを強く意識したのは2019年の3月半ば。
お恥ずかしながらそれまでは平成が永遠に続くと思っていたし(ことわっておくが感覚的な意味で、である)、昭和に至っては明治と同じくらいの時期ですか? というような認識でいた。
当たり前ながら平成生まれにとっての年号というのは物心ついてからずっと“平成”であり、ノストラダムスの大予言が当たろうと当たるまいと“平成”であったし、2000年問題に大人が大忙しだった頃も当然のように“平成”であった。
世界が滅ぶときもシステムがぶっ壊れようとしているときも、平成はそこにあったのだ。
さて、数多の困難と災難を大人たちが乗り越えて、私たちが成人しても当然のように年号は“平成”であり続けた。あれほどてんやわんやしたにもかかわらず、“平成”であり続けたのだ。いつしか私の感覚は麻痺していて、年号が変わるのがどういうことか知っていても、ただぼんやりと“平成はずっと続く”などと思っていたのだった。だってもうノストラダムスの大予言を乗りきったのに、世界の破滅を乗りきったのに、これ以上の年号変わりそうなヤバめな出来事ある?平成は永遠に不滅っしょ?って感じ。そんな感じで生きてきた。
ところがどっこい、2019年4月末をもって平成は平成ではなくなるのだという。
令和とかいう、何かおしゃれでさらりとした響きのものになるのだという。よく知らないし、こういうのはふんわり知っておくのが一番良いだろう──と思っているので調べたいとは思わないけれど、なにやら由来が「二月の梅がきれいだよ!」とかそういうものらしいではないか。もしかしたら諸説あるかもしれないが解らないので触れられない。とにかく由来までみやびやか。新しい時代は何だか甘くて柔らかい花の薫りがしそうではないか。
というか“令嬢”の“令”というところで個人的には百点満点だ。何をかくそう、私は無類の令嬢好きだ。令嬢が出てくる話ばっかり読んでるしなんなら書いてる。一番好きな令嬢は病弱で虚弱で脆弱だけど、メンタルは強くて心に一本芯が通っているようなおしとやかな令嬢だ。そんなわけで“令和”、個人的にはメチャクチャうらやましい年号なのだ。「令和○年生まれです!」言ってみたい。すごく言ってみたい。
うらやましいとは思いつつも、平成生まれとしてはやはり平成にそれなりの思い入れはある。ので、私は平成のうちにやっておきたいことをいくつかピックアップしてみた。平成のうちにやっておきたいことにチャレンジして、平成の集大成──平成最後の思い出を作りたい。
たぶん、“平成も終わることですし”という言葉を枕詞にでもしなければ、私はこれらのことに一生チャレンジしないだろう。ならば平成でも令和でも何でも理由にしてやってみようではないか。人生と結婚は勢いが肝心であると聞く。勢いで結婚するとあとで困るとも聞く。
私は雑な人間である。
出来ることなら適当に暮らしたいし、時間をかけずに最大限の効果を得たい。だからこそ。だからこそ、私は【ていねいなくらし】をすることで【雑な生活】の良さを再確認したいと思ったのだ。
ていねいなくらしで平成の終わりを飾り、雑な生活を引っ提げて新しい時代へ進もうという魂胆である。
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